ほぼ週刊イケヤ新聞ブログ版

コピーライター・ミュージシャン池谷恵司の公式ブログです。
私的メールマガジン「ほぼ週刊イケヤ新聞」のブログ版です。

ONJO/大友良英ニュージャズオーケストラのCDはなかなかいいぞ。

2006年10月31日 11時12分07秒 | CD&コンサートレビュー
たしか今年の1月だったか、雪の降る新宿厚生年金で、ピットインの30周年(40周年だったか)のコンサートがあって、それはそれは大勢の素晴らしいミュージシャンが出演した。そのなかで初めて見たフリージャズ系のオーケストラが「ONJO」それっはつまり、Otomo Yoshihide’s New Jazz Orchestral.大友良英ニュージャズオーケストラの略。これが良かったのよね、そのときゲストではテナーサックスに菊池成孔が出ていて、ボーカルはカヒミカリイでした。
よかったのでアマゾンでCDを買ってみたら、これまたいいね。かなりマニア向けではありますが。
このフリージャズバンドには、笙がいるのよ。あの雅楽の笙ね。それからサインウェーブしかでない電子楽器の人もいる。あとはサックスやラッパと3リズムだが、どろどろしたフリージャズとはちがって、非常に現代的な混沌であって、しかもそこはかとなく崩壊しそうなロマンチシズムと耽美性があって。
いま学生でジャズやっていたら、まちがいなくこの道に進むな。

ちなみに大友氏はいま読んでいる菊池成孔の東大での音楽の講義をまとめた本「東京大学のアルバートアイラー」にゲストとして出てきていて菊池氏と対談しているのが文章にまとめられているのだが、異常に面白いです。まるで打ち上げのようで、とても面白い。

どなたにでも勧められるCDではないですが、ジャズ好きの方はぜひ。そうでないかたも、こういう音楽もあるということで、聴いてみてはいかがでしょうか、決して騒々しかったり不機嫌になったりする音楽ではありませんので。

こちらにアマゾンのONJOのページがあります。

「拓郎のつま恋」コンサートへの試論への、自己反論

2006年10月30日 05時19分24秒 | Photo&エッセイ
先日このブログに書いた、
「拓郎につまごいコンサート」に集まった中年諸氏への反論の試論
について。
アクセスログを見るといつもよりかなり多いので、多くの方が見てくれているようです。かなりの暴論で申し訳ないぐらい。

さて、その件では何人かの方からも意見ももらっているのですが、自分でも先日の自分の論旨に自分で突っ込みたくなる部分もあります。いわば、今日は反論への自己反論。

まず反論その1
・NHKの番組をみて、違和感を思ったわけですが、それはコンサートそのものの反論ではなく、NHKの番組が措定したストーリーに反感を持っただけではないか。

→これはかなり自分でも言えてる、という気がします。「私は今日まで生きてきました」という歌詞は、団塊の世代を言い当てる時にとても使いやすい。

→反論その1の根拠としてNHK衛星放送でやっていたコンサートそのものを見た友人(音楽的に信頼できる)によれば、とてもよかったとのこと。つまりNHKの例の番組の意味づけが恣意的だっただけで、コンサートそのものは良かったのだろう。

反論その2
・あらゆるユースカルチャーに端を発するアートは同じ運命をたどるのでは?
→若者の反乱として、あるいは革命として生まれたアートは数年、あるいは十数年程度本来のエネルギーをもってるが、その後はその世代には思い出としてしか残らないのでは。だからフォークだけがそれにあたらない。たとえばパンクもそうだし、ヌーベルバーグもそうかも。アメリカンニューシネマも。そしてなによりベートーベンの音楽とかもそうかもね。大きく言えばマルキシズムも?

反論その2の亜流
・だいたいフォークをリアルタイムで感じた人間でなければ「フォークの本来の姿とは?」「いまフォークは死んだ」とかほんとにどうでもいいだろうな。左翼の内ゲバみたいなモノに見えているのかも。「反革命的だ!」みたいな。


反論その3
・瀬尾一三のアレンジが良くないだけでは? あのバックバンドの演奏は悪しき世界歌謡祭とかJOCとかのニュアンスが感じられるモノで、非常に嫌悪感があった。あのアレンジが悪いから、当時のフォークのエッセンスが偽物のように感じられたのではないか?

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反論への再度反論

・上記反論は、中島みゆきによってすでに否定されているような気もする。拓郎のつま恋コンサートでの、中島みゆきのサプライズゲスト参加、そして「永遠の嘘をついてくれ」という拓郎への提供曲のデュエット。
あの歌詞と存在感は、団塊世代の自己大肯定大会への強烈なアンチテーゼであり、のど元への鋭敏な切っ先だったのように感じられる。

などといろいろと考えておりますが。なかなかまとまりませんか。この話は。


エビスのジーンズは、もういらないかなぁ

2006年10月28日 07時39分35秒 | Photo&エッセイ
珍しくジーンズの話。もう10年ぐらい前からジーンズに凝っていて、それもヴィンテージではなく、国産のレプリカだ。
当時からジーンズフェチでは話題だったEVIS。僕は7年前に京都で買ったEVISのLEEのモデルを持っていて、ずいぶん修理しながら今でもはいています。先日も修理にだしていて、あがったので、原宿のEVISに取りに行きました。半年かかったけどね。ちょうど修理センターを修理していたとかで。
それにしても、国産ヴィンテージジーンズでは、EVISが勝ち抜けた感じだね。コカコーラかなにかの懸賞にもなったし、プロモビデオではあのBeyonceがはいていたし。街角でもよくEVISを見かける。
ただこうなると、ヴィンテージジーンズというよりはオシャレジーンズというブランドポジションになるので、私のような硬派な国産ヴィンテージジーンズファンからすると、ちょっとはけない感じ。



赤坂の菊乃井

2006年10月27日 00時24分34秒 | 一食入魂&つけ麺ジャンキーズ
先日、仕事で赤坂の菊乃井に行ってきました。
NHKの料理番組でも有名な村田さんにインタビューしたのですが、とても深い話でびっくりしました。料理屋さんというのはおいしいモノを出す、というレベルのものを考えているのではなく、ある時間、そこでいかに楽しく気持ちよくいられるか。体験を売る空間だと話してくれました。料理が4、サービスが4、空間が2。ともおっしゃってました。

たしかにホテルでもコンサートでも、料理でも、それぞれのコンテンツが一次的な主目的ではあっても、結局はそこで過ごす時間が楽しいかどうか。それはエンターテイメントの本質であり、サービスの本質かもね。勉強になりました。




ハロウインだった。僕が子供の頃はなかったな。ロックンローラーになれよ。

2006年10月26日 03時32分54秒 | Photo&エッセイ
子供の行事を見ていると、僕の頃にはなかった楽しいモノがいろいろあるモノで、先日は保育園でハロウィンだった。子ども達が思い思いの変装で登園して、騒ぐ騒ぐ。楽しそうだ。魔女あり、オバケあり、アニメのヒーローあり。我が家の響君はもちろん電車の運転手である。こんな変装で保育園ごと街へと繰り出して商店街で「trick or treat」と叫んでお菓子をせしめる。楽しそうだ。現在家のテーブルには子供のせしめた駄菓子が山のようになっている。

「小学生ぐらいの男の子、世界の果てまで飛んでゆけよ、ロックンローラーになれよ。欲望を止めるなよ、コンクリートなんか かち割ってしまえよ、かち割ってしまえよ」と歌うくるりの「男の子と女の子」という歌に最近惚れ込んでいるが、こんな歌詞だった。素敵な曲です。子供を見ていると、僕はつい口ずさんでしまう。

こんな歌詞です。
「男の子と女の子」

ぼくたちはみんな いつでもそうです

女の子のことばかり 考えている

女の子はわがままだ よくわからない生き物だ

でも優しくしてしまう 何も返ってこないのに


小学生くらいの 男の子と女の子

男の子同士の 遊びは楽しそうだ

割って入ってくる 女の子はふてくされ

こんな世界はつまらないと 一人で遊ぶ


小学生くらいの男の子 世界のどこまでも

飛んでゆけよ ロックンローラーになれよ

欲望を止めるなよ コンクリートなんか

かち割ってしまえよ かち割ってしまえよ


ぼくたちはみんな だんだん年をとる

死にたくないなと 考えたりする

愛する人よ もうすぐ気づくだろう

僕の優しさも だんだん年をとる

大人になった女の子 僕をどこまでも

愛してくれよ 何ももてあまさないで

好きだという気持ちだけで 何も食べなくていいくらい

愛しい顔を 見せてくれよ

Hi Hi Hi

「拓郎につま恋コンサート」に集まった中年諸氏への反論の試論

2006年10月25日 01時03分08秒 | Photo&エッセイ
まず読者諸氏に伝えておきたいのは、私は日本のフォークを愛している人間で、いまの私の音楽の基になっているものの一つである。
吉田拓郎も、かぐや姫も好きだった。かぐや姫のゴールデンベストというアルバムは生まれて初めて真剣にギターをコピーしたLPだった。正やんのギターに憧れていたのだ。吉田拓郎もかっこよかった。

昨日、つま恋35年ぶりの同窓会、というNHKの番組を見た。この夏行われた「吉田拓郎とかぐや姫のつま恋ライブ」の様子とそこに集まった観衆、そしてつま恋運営サイドの人間模様を描いたものだ。全体に団塊のリタイアメントを背景に、35年間頑張ってきた人たちが集まって、青春を追憶し一日だけの大同窓会になぞなえる、といった感じでまとめられていた。うまく筋が通ってまとまっていたと思う。いい番組だとは思った。

しかし、僕は違和感を感じた。そしてその違和感をどうしても看過できなかった。
その気持ちは24時間以上経った今も、まだ言語化されていない。どうして違和感を感じたのか。なにがひっかかっているのか。それをうまく整理することができない。だから、今日のところは思案橋。試論としておこう。

拓郎の名曲「今日まで、そして明日から」がコンサートのエンディングで歌われたこともあり、その曲のリフレイン「私は今日まで生きてきました。そしていま私は思っています。明日からもこうして生きていくだろうと」。これを番組の背骨となるテーゼにしていたように思う。50代以上のおじさん諸氏が、拓郎の歌に合わせて大合唱するわけだが。それぞれが自分の人生のフラッシュバックを眼の裏で見つつね。

思うに、フォークの時代、「私は今日まで生きてきました。そしていま私は思っています。明日からもこうして生きていくだろうと」というのは、とても厳しい自己否定、自己憐憫、自己放棄を内包していたもんだと思うのだ。フォークを歌っていた人間は、まだ人生を総括するほど長くは生きていなかった時期だしね。

でもいま、つま恋につどった叔父さん達のそれは、まったくその正反対の自己の肯定であり、自己のまつりあげ。「輝け10年前の俺」みたいに見えた。これが僕の違和感の源泉だ。

懐かしがる音楽は、演歌ならいい(演歌の人ごめん)。でもフォークってのは、もっとヒリヒリしたものじゃないのか。いまでもタカダワタル氏とか、加川良とか、もちろん井上陽水にもひりひりりた自己批判と自己憐憫、そして前進する意思を感じるよ。でもフォークで、懐かしがって肯定するってのは、フォークの自己矛盾、フォークの死ではないか。

たとえば、ゲストで出てきた中島みゆき。彼女は非常に鋭くとがっていたと思う。あの会場のなかで、あのオジサンたちへの最も強烈なアンチテーゼとして存在していたのではないだろうか。出るべくして出たのだ。(幽霊じゃないけどさ)。
彼女は拓郎がダメだったころに拓郎のために書き下ろした「永遠の嘘をついてくれ」という曲を歌って、なんのMCもせずに帰って行った。これは本当に、本当に素晴らしかった。そのためだけにつま恋に行くべきだったかもしれない。
その時感じたことはこの日のブログに書いてありますので、ぜひ。you tubeの動画はもう削除されてしまっていますが。

永遠の嘘をついてくれ。それは、自己肯定=自己暴露ではなく(嘘でもいいから)僕たちはまだ旅の途中であり、後ろは振り返るなという意味を僕たちに突きつけていたのではないか。拓郎は照れくさそうだった。彼はたぶん分かっていたのではないかと思う。

かぐや姫はうわすべりしていたな。申し訳ないが時代の風化に耐えることができなかったとしか言いようがない。どの曲もとてもいい曲だけどね。精神的な支柱には成り得ない曲、もっといえば人生が変わったりはしない曲だ。
拓郎の曲は何人も、中島みゆきもふくめて、人生を変えた歌だ。その歌を、懐かしのメロディにしては、いかんのではないか、おじさんたちよ。

そうだ、かまやつさんもゲストで出ていたが、彼はいいね。ひょうひょうとして、しかもロックだ。昔を懐かしんでなんて全然いないように見えた。オジサンの集団を見学に来た好奇心で溢れる青年のようだったよ。あれが正しいフォークの、ロックの姿だ。

オジサン。昔の曲は、懐かしむためにあるんじゃない。もういちど噛みしめて、かみ砕いてしまって、麦酒で飲み干して明日に向かうためにあるんだ。あしたからは、こうして生きていくのは止めようと思うのが、あなた達の年代のなすべき事ではないのか、団塊諸氏。「いまはまだ人生を語らず」「明日に向かって走れ」だ。人生を噛みしめて歌うのは、マイウェイか、愛の賛歌にしてくれ。(シナトラ、越路吹雪ごめん。あたなたちに悪気はない)


最後に、中島みゆきが拓郎のために作った「永遠の嘘をついてくれ」の歌詞の一部だけを再度引用します。


君よ永遠の嘘をついてくれ いつまでもたねあかしをしないでくれ
永遠の嘘をついてくれ 一度は夢を見せてくれた君じゃないか

傷ついた獣たちは最後の力で牙をむく
放っておいてくれと最後の力で嘘をつく
嘘をつけ永遠のさよならのかわりに
やりきれない事実のかわりに
たとえくり返し何故と尋ねても 振り払え風のようにあざやかに
人はみな 望む答だけを聞けるまで尋ね続けてしまうものだから

君よ永遠の嘘をついてくれ いつまでもたねあかしをしないでくれ
永遠の嘘をついてくれ  出会わなければよかった人などないと笑ってくれ





ああ、すっきりした。暴言・暴論失礼しました。
懐メロでフォークがでると悲しくなる理由も、やっと自分でわかりました。


赤坂のそばや「砂場」は江戸の味か? それは明日の心だー!

2006年10月24日 00時38分36秒 | 一食入魂&つけ麺ジャンキーズ
たまにある仕事なんだが、本日は料亭にいってきた。それは赤坂の菊之井であって、本店は京都。それは日本を代表する和食の粋であって、そこの村田さんというオーナーで料理長、料理界の重鎮の方にインタビューをした。僕には非常に荷の重い仕事だったわけだが。

そのことはあとでまた。
ところで料理の仕事って、往々にして、意外なことに飯は食えない。撮影用に一つ作ってくれるだけで、それを味見するだけなのだ。なので、実際には仕事の後空腹に耐えかねていることが多い。旨いものをほんのわずかだけ食べているので、かえって空腹が浮き彫りにされてしまうのだ。

てなわけで、帰り道、赤坂で旨いそばやと評判の「砂場」にスタッフと言った。細くコシの強い麺と甘くて濃い味のつけだれ。江戸っ子はざるそばをそばチョコの中に全部入れず下だけちょっと入れてずるりと食する、などというが「砂場」のそばのそばつゆの濃厚さであれば、ほんとにそれでちょうどいいぐらい。食べ終えてそば湯で割ってもまだ直に呑むには濃すぎるぐらいだ。

実に旨いそばだ、とはおもうのだが、大盛り1300円で、この量。普通のそばやの並盛り程度であって、ちょっと高いなー。ま、天ぷらそばの天ぷらとそばがきあたりで酒を飲んだ後にたぐるならちょうどいいくらいかもしれないが。

さて、なんで「明日の心ダー!」というタイトルを付けたのかというと、時間はずれのそばやには当初我々チームしかいなかったのだが、後からふらりと入ってきたのがあの、小沢正一さん。無言でそばを食っていたが、なんかかっこよかたし、「あしたの心ダー」って本当はいいたかったのよね。もしくは「ハーモニカがほしかったんだよ」って、わかりますか?わっかんねーだろーな。

では、その理由はあしたの心だー!


赤坂のそばや「砂場」の場所やメニューはこちら




映画「ワールド・トレードセンター」を見た<★★★☆☆>

2006年10月21日 01時33分10秒 | 映画レビュー
ワールド・トレード・センター

ワールド・トレード・センター
[監]オリバー・ストーン 
[脚]アンドレア・バーロフ 
[出]ニコラス・ケイジ マイケル・ペーニャ マギー・ギレンホール  マリア・ベロ

読者諸氏は、2001年9月11日の同時多発テロを知ったときのことを覚えていますか。
僕はハッキリ覚えています。会社で残業中の時でした。
最初は同僚が「ツインタワーに飛行機がぶつかった」といったので、
窓際に走っていて「それって青山のツインワター?」と聞いてしまいました。
その後、テレビを見ているうちに二機めの激突があり、
何時間も会社のテレビに釘付けになってしまったことをよく覚えています。

あれから5年経って、やっと9/11をテーマにした映画がいくつか出てきましたが、
これだけ時間がかかっていることからも、いかにアメリカが
あの事件で大きなショックを受けたかがわかるような気がします。

この映画『ワールド・トレード・センター』は、救助に向かった警察官が
ビルの崩壊に巻き込まれて生き埋めにされてしまう映画で、
巨匠オリバー・ストーンがメガホンをとった作品です。
あえて過剰なメッセージも、また過剰なストーリーもなく、
飛行機が衝突する瞬間のシーンもありません。
しかし(これから見る方のためにあまり筋は書けないのですが)
なんといってもあの大惨事を現場で目撃しているかのような
リアリティが凄いです。現場がいかに凄惨であったか、
ワールド・トレードセンターでそして生き埋めにされるということは
どういうことなのか。どれだけ絶望的なことなのか。

主役を張るニコラス・ケージは、さすがの貫禄と演技です。
またもう一人の主人公であるマイケル・ペーニャは、
以前このコーナーで取り上げた「クラッシュ」でも
素晴らしい演技をしていた人で、今回もやはり素晴らしい。
二人は生き埋めにされてしまうので、暗い画面の中で、
顔だけで演技をするシーンが長いのですが、両者ともさすが。
絶望と希望が交錯する特殊な状況をリアルに表現していました。

それにしてもこの2名が生還したのはまさに奇跡的なことで、
そこには、彼らの生還を可能にした多くのボランティアや
レスキューたちの決して諦めることのない果敢な活躍がありました。
これらは実話であるがゆえに、よりいっそう感動的です。
しかし実際のところ『ワールド・トレードセンター』の
中でエンドロールで語られているように、ワールド・トレードセンターでは、
このテロで2000名を超える方々が亡くなっています。そしてビル崩壊後、
生還したのはわずかに20名といいます。
つまり生還率0.1%以下なわけで、ほとんどの方々は奇跡の生還が叶わなかった。
この映画を見ると、逆に非常に多数の亡くなった方々を思わずにいられません。
実に痛々しい気持ちになるエンドロールでした。

ワールド・トレードセンターの公式ホームページはこちら
予告編も見られます。
http://www.wtc-movie.jp/top.html

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以下、ウェブからの紹介文です。
21世紀最大の悲劇“9.11同時多発テロ”。人々の心に残る事件のウラ側を描くヒューマン・ドラマ。監督は「プラトーン」などでアカデミー賞3度受賞したオリバー・ストーン。テロリストの手によって、マンハッタンの貿易センタービルに旅客機が墜落。多くの人々が救援を求める中、港湾警察官のマクローリンたちは避難救助に向かうのだが、ビルの崩壊が起こり瓦礫の中に閉じ込められてしまう。

ストーリー
あの事件がおこった9月11日、世紀の大事件が起こるとも知らずにニューヨーク市民は、何の変りのない朝を迎えていた。本作の主人公となった、港湾局警察に勤めるベテラン巡査部長のジョン・マクローリンと港湾局警察官のウィル・ヒメノをはじめ、警察官たちも普通に業務を開始したが、2001年9月11日午前8時40分過ぎ、突如、タワー1(北棟)に、アメリカン航空11便が激突した。続いてタワー2(南棟)にも、ユナイテッド航空175 便が激突。アメリカ国民は、自分の目を疑った。ジョン・マクラーレンたちは、上階に取り残された人々を救出すべく、部下たちと共にタワーへ向かった。しかし、突然タワーが崩壊。ジョン・マクローリンたちも瓦礫(がれき)の下敷きとなり、生き埋めになってしまった。生死の境目をさまよう中、ジョンたちは愛する人のため、大切な人のために生還できるのか?

もうすぐジャズトランペットデビューです、ああ、楽しみだ!

2006年10月20日 23時48分27秒 | DIARY
楽器をはじめたら周りに言ってみるモノで、縁あってジャズのユニットに誘ってもらうことができた。すでに3回ぐらい練習しているが、ズージャってのはまたロックとは違った楽しさがあるな。ただ4管なのでしっかりアレンジ譜があって、ソロ以外の部分はしっかりと譜面通り吹かなくてはいけない、とはいえ、譜面を見て真面目に楽譜通りに演奏する、なんてこたぁ、ここ25年ほどやってねーぇわけで、なかなか一苦労だ。楽譜が苦手でさ。でもみんなで揃ってハモるってことは、実に楽しかったりもする。音楽監督のトロンボーンのK島さん、苦労かけます。

さて、女性ボーカル入りのちょいワルオヤジジャズ軍団、赤坂で11月23日にライブをやります。スタンダードの名曲をズラリとそろえてます。ドラムやベースはプロなみのバカウマでっせ。マジな話。このリズムセクションをバックにソロを吹けるってのは、まぁあり得ない幸せでしょう。初ジャズデビューがこのバンドってのは贅沢すぎるかもね。ぜひ遊びに来てください。

ライブは11月23日(祝日)の昼間。赤坂のStage1というライブハウスです。


千駄ヶ谷の自転車屋なるしまフレンドは自転車乗りの聖地か?

2006年10月19日 23時57分17秒 | 自転車のはなし
心の底から自転車を愛する私にとって、千駄ヶ谷に勤務しているのは神の思し召しかもしれない。なぜなら、千駄ヶ谷は自転車の聖地だからだ。なぜ聖地なのか。それはそこに、なるしまフレンドという自転車屋さんがあるから。ここは文字通りメッカであって、全身ピッタリタイツのローディ(ロード自転車乗り)たちがわんさかとメッカを詣でにやってくる。店内はロード自転車とそのアクセサリー、ウェアなどが山盛り。数は大型自転車店より少ないが、選りすぐられたものが並べられており、しかも価格はリーズナブルだ。さらに言えば店員がほぼ全員現役の自転車乗りであって、グッツなどを相談すると、使ってみたが良かった、という感じで、リアルな意見が聞ける。

でも本当の楽しみは店の中ではなく、店の外の自転車パーキングに停めてある、詣でに来る自転車フリーク達の自転車だ。なるしまに来るということで、もう最高にめかし込んだ自転車でやってくるわけだ。

たとえば冒頭の写真は、ロード自転車のハンドル。このハンドルはカーボンによる一体成形だろう。品番までわからないのだが、イタリアの一流ブランドチネリ製だから、おそらくハンドルだけで5万円は軽い。たぶん10万円かそれ以上だろう。BORAって書いてあるホイールはたしか50万くらいするのではなかったか。自転車全体なら、たぶん200万近いな……。

適度に走り込まれた、このゴージャスな自転車を見ながらパーツの選択について批評するのは、自転車好きにとってはまさにこたえられない、至福の時間であるわけです。ああ、楽しい。




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よく晴れた美しい日の運動会だった

2006年10月17日 23時40分15秒 | Photo&エッセイ

先々週の土曜日は子供の運動会だった。前日が大雨だったので絶対に中止だと信じていて夜遅くまでいろいろ雑事をやっていたわけだが、翌日はピーカンでビックリ。1年に何度もないほどの晴天ってやつだ。晴れ男やなー。

天気がいいだけで気持ちがいいのに、保育園の運動会は近くの小学校を借りてやっていて、ここが芝生でこれまた気持ちいい。子ども達の声を聴いているだけでもなんだかウキウキするし。秋の日、高い空、音の割れたスピーカーからのマーチ。おにぎりとお茶。よく晴れた日の運動会は、まるでご褒美のような一日だった。

来年からはうちに子供は小学校なので、保育園のバブバブしたカワイイ運動会とは今年でお別れです。楽しかったよ。




手術の時にヘッドフォンで音楽を聞けるのをご存じでしたか?

2006年10月17日 00時26分33秒 | Photo&エッセイ
今週は母の病状の説明を聞きに行く。マンモトーム生体検査によるガン組織の精密検査の結果が出る予定だ。それによって使用する化学療法の薬・投与方法といった治療計画が説明されるはずだ。

母はセカンドオピニオンにより、手術→化学治療(抗ガン剤)という標準的な治療である術後化学治療から、化学治療→手術という術前化学治療に治療方針を変更した。これは新しい考え方であって、ガン細胞がある局所よりも全身治療を重視するという考え方の治療だ。メリットは抗ガン剤の効きがよくわかることにある。
(ただし進行の早い癌の場合はまず局所をいかに早く正確に余すところ無く除去できるかが問題となる。)

治療計画の変更により、乳腺科の外科から腫瘍内科に主治医が変更になった。すでに母親と新しい主治医は顔合わせをしているが、母親の印象としてはセカンドオピニオンで方針を変えたことについて、非常に穏便に嫌みを言われたと感じたようだった。もちろん母親の思い過ごしかも知れない。しかしガンという病気と向かい合っている精神的にいっぱいいっぱいの患者にとって、命を預ける主治医の態度を「そう感じた」ということだけで厳しいことだろう。セカンドオピニオンの負の一面を感じた。

ところで手術の時に好きな音楽が聴けるようになっていることを、諸氏はご存じでしたか? もちろん部分麻酔の手術に限るんでしょうが、なかなか乙なことをするものです。私は母親の病院に付き添って初めて知りました。自分が手術をすると仮定すると、何を聞くのか悩ましいところだ。そういえばメグ・ライアンが「シティ・オブ・エンジェル」という映画の中で、外科医役で手術中にジミ・ヘンドリックスを聞いていたな。

オレなら何かな。渋くマイルス・デヴィス? コルトレーンの至上の愛? いや、むしろ陽気にエルトン・ジョン? ボブ・ディランの「ノッキング・オン・ザ・ヘブンスドア」って縁起でもない。うーん「Let it be」もなすがままな感じか。Bandの「I shall be released」って出来すぎ? いや、やっぱりバッハかな。無伴奏チェロとか。ベートーベンとかじゃ笑っちゃうよな、ジャジャジャジャーンとか。いっそメタリカとか、ディープパープルのスピードキングあたりでいかがか。ああ、高田渡の生活の柄とかもいいねぇ。アーロン・ネヴィルのアメイジング・グレース? いや、ほんとのことを言いましょう。僕なら迷わずデヴィッド・シルビアンです。

みなさんは、何を聴きますか?


Nobuの寿司

2006年10月15日 23時28分25秒 | 一食入魂&つけ麺ジャンキーズ
先日、年上の知人と寿司を食べに行った。

その知人は膵臓癌で余命数ヶ月といわれているにもかかわらず精力的に活動しており、飯もどうせならもう旨いものしか食べたくない、ということで旨いものを食べに行くことにした。そのときはホテルオークラの久兵衛に出かけた。非常に旨かったのでその話も後日するが、そのときに思い出したのが、青山にあるNOBU TOKYOの寿司が非常に美味しかったことだ。そのときに聞いたのがNobuで寿司を握っている職人は以前久兵衛で板人が握っているという話だった。

Nobuの寿司はご覧のように日本の寿司とはちょっと異なっていて海苔の上にさらに大根が巻かれたりしている。見た目逆輸入寿司のようだ。一番代わっているのはクラブ(蟹)のソフトシェル、つまり甲羅を(どうやってやるのか?)柔らかくしてフライする。ソフトシェルクラブをとにかく潰すようではあった。

いまでも思い出せる、ちょっと舶来な感じの寿司の美味しさだった。


映画「イルマーレ」を見た<★★★☆☆>

2006年10月15日 08時27分33秒 | 映画レビュー
どーも最近映画館で食指を動かすような映画がない。そういう時期は1年に何度かあって、映画のリリースのたぶん端境期なのだろう。それほど見たいわけではなかったが映画館に行きたいという飢餓感に負けて見てきたのが、キアヌ・リーブス、サンドラ・ブロック主演の、秋らしいこの恋愛映画だったのだ。

イルマーレ

[監]アレハンドロ・アグレスティ 
[総]アーウィン・ストフほか 
[製]ダグ・デイビソンほか 
[脚]デビッド・オーバーン 
[音]レイチェル・ポートマン 
[出]キアヌ・リーブス サンドラ・ブロック 
[制作データ] 2006米/ワーナー
[上映時間] 98分

恋愛映画の王道ってのは、逢いたくて逢えないという構造の中でお互いに愛を深めあって成就を渇望するわけだが、これは時空を超えちゃってるわけで、発想が凄い。もちろんあり得ないわけだが、「あり得ない」と批判するのは違っているわけで、その設定をどこまで活かせるのかが映画を作る側の醍醐味だ。

でも、その点どーだろうか。つっこみどころはいろいろあって、それぞれが住む世界にもお互いはいるわけなので……。とか。ああ、このあたり映画の筋に抵触するのであまり書けませんが。

さらに恋愛映画ってのは、テーマが恋愛だけではコクがでないもので、そのために隠し味、またはフーガの技法としての対旋律として、戦争だったり、宗教だったり、親子の愛だったり、芸術だったりという一般的に恋愛とは次元の違う崇高なモノが対比されるのが王道。このイルマーレではそれが親子の愛と葛藤だったりするわけだが、あまりに付け足し程度で出汁がまったく効いていない。建築だなんていっても、まったくこの映画のテーマに関係ないようだ。

さて、最大の難点は僕がサンドラ・ブロックの良さをまったくわからないこと。どこがかわいいのでしょうか、サンドラブロック? 誰か教えて。キアヌ・リーブスも、建築家には見えないなー。知的な感じがない。

この映画、メグ・ライアンでやったら、どれだけ可愛らしい映画になっただろうか、と思うと素材としては悪くないのよね。

ということで<★★★☆☆>3点です。


以下webからの紹介です。--------------------------------------------------

韓国で大ヒットした同名作をリメイク。2年の時を隔てて展開するラブ・ストーリーを、「スピード」で人気を博したキアヌ・リーブスとサンドラ・ブロックの共演でつづる。2006年、湖岸にたたずむガラス張りの家から引っ越すケイトは次の住人に宛ててポストに手紙を入れる。しかし、その手紙を受け取ったのは2004年にこの家を訪れたアレックスだった。これをきっかけに2人の文通が始まる。

龍の子のランチの棒々鶏はとにかく旨い・辛い・旨い

2006年10月14日 01時50分34秒 | 一食入魂&つけ麺ジャンキーズ
以前、会社は原宿にあった。その頃週に一回は通っていたランチが、竹下通りと明治通りが交差したあたりにひっそりと地下にある四川料理の店「龍の子」であって、ここの棒々鶏が最高だ。辛いものが好きな人にとってはここの担々麺はまた絶品であるというが、僕は辛いモノが苦手なので、担々麺は食べたことがない。
棒々鶏だって僕にとっては十分辛いのだ。

この棒々鶏は季節というか時期によって辛さがずいぶん違う。(キュウリの量も野菜の値段でずいぶん違う気がするが)暑い季節は比較的遠慮なしに辛い感じだ。先日千駄ヶ谷からわざわざランチで食べに出かけたが、辛かったー。でも旨かった。ほんとに旨いよ。胡麻がいいのかな。おひつで出てくるご飯がガンガン減る。しかも付け合わせの漬け物が言語道断で旨いので、ほんとに困るぐらいご飯が減る。以前妻と来たときはおひつをお代わりしてしまったことがある。

ああ、月に一度は食べたいです。

↓龍の子のランチに来るとメニューを見ずにB-1を下さいという。


↓この漬け物がまた絶品である。