ほぼ週刊イケヤ新聞ブログ版

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「いまはもう、人生を語ろう」#01 音楽以前からポセイドンの目覚め

2022年11月25日 23時18分21秒 | DIARY

「いまはもう、人生を語ろう」#01 音楽以前からポセイドンの目覚め

 

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僕の音楽体験は、浜松だけあって幼稚園の年長、一年生、二年生とヤマハ音楽教室にいったことだった。が、この時は音楽にはほとんど興味が持てず、オルガンも買ってもらったのか、家にあったが練習は全くしなかった。当時は野球が大好きで、ヤマハが終わってからは野球ばかりしていた。

音楽に目覚めたのは、父の死に関係がある。父が僕が小学校の4年の時に亡くなり、母が実家にしばらく身を寄せることになった関係で小学校の時転校することになった。浜松城北小学校から浜松鷺ノ宮町学校に引っ越したのだ。僕の人生で転校はこの1回(後にまた城北小学校に戻るので言って戻って都合2回だ)だけだった。

転校って、やっぱりキャラクターに影響を与えるのだと思う。転校先の鷺ノ宮小学校にはトランペット鼓隊があった。それまで一切音楽には興味がなかった野球少年だったのに、僕はなぜかトランペット鼓隊に入りたいと思った。これはいまだに理由は謎だ。謎だとおもったことは明瞭に覚えている。夜、母の実家の離れのような部屋で家族三人で寝ていたが、トランペット鼓隊に入りたいと思った夜か、あるいは入って良いと言われた夜か覚えていないが、寝ながら天井を見て「ああ、不思議だな、なんでトランペットが吹きたいのだろう」と小学校5年生ながら、なんか不思議なものを感じたのだった。

そして無事トランペット鼓隊に入ってトランペットを吹いた。特段上手く吹けたわけではなく、下手だったと思う。今思えばアンブシュアもなにもあったもんではなく、ただ鳴るように小学生が適当に吹くのだから、上達できるようなアンブシュアが身につくはずはない。あまりよくないことだった。事実僕はその後中学・高校でアンブシュアの悪さに悩まされることになるのだった。

とはいえトランペットが吹けたことは嬉しかった。

が、また転校だ。一年半あまり母の実家に家族もろともお世話になった後、また昔の家に戻り、昔の小学校(追分小学校)に出戻ったのだった。

その当時戻った追分小学校にはトランペット鼓隊はなかった。でも僕はどうしてもトランペットが吹きたかった。それでどうしたか。ヤマハかじまち店でトランペットのカタログを穴が空くほどながめつづけ、結局お年玉を集めたお小遣いで、ヤマハのコルネットのカレッジモデルを買ったのだった。

 

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たぶん買ったのはこれ。YCR232

なぜかコルネットを買ったところが、我ながら渋い。当時コルネットの形に魅入られたのだ。当時の自分に今いってやりたいのは「お前、コルネット選ぶなんていいセンスしいてるぜ」ってこと。

でコルネットを買い、家で練習し(当時は牧歌的で家でラッパの練習をしても、近所から怒られた陸上をもらうことはなかったのだ)、ときおり浜松まつりで進軍ラッパを吹いたりしつつ、まずは小学校時代はラッパを吹く、ということろから、僕の音楽始まったのだ。

第1回終わります。

 


「いまはもう、人生を語ろう」イントロダクション

2022年11月25日 23時16分50秒 | DIARY
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「いまはもう、人生を語ろう」イントロダクション

 
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池谷恵司
 

オレは吉田拓郎のファンであったことはないが、フォークが音楽人生の始点なので、それなりに影響は受けている。「今はまだ人生を語らず」というタイトルが素晴らしい曲がある。

サビは「こえてゆけそこを、こえてゆけそれを、今はまだ人生を、人生を語らず」だ。まさにボブ・ディランだなぁ、すごい。

これが心の中にあったので、今まで自分の人生を回顧するようなことはなかったし、それを文字の形で書き残すことも無かった。

が、還暦もそろそろ見えてきたし、自分の記憶もかなりあやふやなので、誰のためにもならないが、自分のためと、あとは、もし偶然見つけたら読んでほしいのは俺の唯一の誇りとも言える、わが子、響のために、「いまはもう、人生を語ろう」を数回にわけて書いておこうと思う。

なのでほかの人はスルーしてください。