仕事でクルマの自動運転について書いたことがあって、
そこから技術特異点=シンギュラリティへの興味が生まれた。
クルマの運転は、実際機械化されたほうがはるかに安全だろう。
昨今のお年寄りのブレーキとアクセルを間違えた自己や
酒酔い運転によるひき逃げなどを見ていると本当にそう思う。
すでに研究開発は進みつつあるが、前後左右のビデオカメラからの
画像認識による道路状況の把握、GPSやネットからのマップデータ、
クルマの駆動状況のモニタリング、さらにはクルマ同士の
センサーでの相互の位置や状況の確認などを考えれば、
人間の運転の精度などひとたまりもない。
間違いなく自動運転が勝つ。
しかし、運転プログラムには哲学、倫理が必要となる。
どうころんでも、自分側か相手側が死ぬ事故が必至、となったとき
どう動くべきか。あるいは、ハンドルを右へ切ると5人死ぬが左へ切ると
6人死ぬ、切らなければ自分を含めて4人死ぬ、という状況が発生したら
自動運転はどう判断するのか。
できるだけ人数が少なければいいのか。
それとも子どもがいるか、などの変数を組み入れるのか。
いずれにしても、ここは非常に難しいところ。
そして道路に関する法律との兼ね合いも難しいだろう。
完全に自動運転であれば免許は必要なくなるはず。
無人での運転はいいのか。
でも深夜の大型トラックなど無人で走れるなら、そのほうがいいはず。
そうなったとき何か事故が起きたら誰がどう責任を取るのか。
みたいなことを考えつつこの本を読んだ。
ま、そんなことへの答えは書いてなかったとは言え、
ディープラーニングという手法の革新性、
あるいは米、欧州がAIとロボットを使って
インダストリー4.0,つまり
第四次の生産革命(蒸気、電気、インターネットまでが1,2,3)を
獲ろうとしている。日本はまるで遅れているが。
そんな知識も得ることができた。
そしてチェス、あるいは将棋のソフトの話も面白かった。
すでに画像解析では、レントゲンからガンであることを見つける
能力はAIの方が高い。
パーカーのフレーズをディープラーニングすれば、
あっというまに法則性を見つけて、
パーカーのフレーズを無尽蔵に作り出せるに違いない。
いずれにしても人間の知能をAIが超える時は、きっと来ると思う。
(来ないという著名な知識人もいるが)
その時人は何をすればいいのか。興味深いところではあるのだった。