ほぼ週刊イケヤ新聞ブログ版

コピーライター・ミュージシャン池谷恵司の公式ブログです。
私的メールマガジン「ほぼ週刊イケヤ新聞」のブログ版です。

笑って終わろうよ

2008年12月31日 23時45分21秒 | Photo&エッセイ
妻のブログにもあるが、息子の響が、冬休み中家にいて、怒られると都度つど、こう言っていた。
「年の終わりなんだから、笑って終わろうよ」。

これは笑ったなぁ。

ほんとうに小学校二年生ってのは、面白いよ。

ありがとう。
今はおばあちゃんの家に泊まりに行ってしまってるけど
早く帰ってこいよ。
響けブログは、こちらから。
http://blog.goo.ne.jp/hibikeblog/

映画「40歳問題」、そしておれの明日はどっちだ

2008年12月31日 09時54分25秒 | 映画レビュー
40歳問題 ミニ・オリジナル・サウンドトラック

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珍しい映画で、音楽ドキュメンタリーだ。
フライングキッズの浜崎貴司、、まごころブラザースの桜井秀俊、そして大沢伸一。
その3人に曲を作ってもらうドキュメンタリーで、そこで40歳代とはなにか
40歳代の人間たちは何を考えているかを描くという、ユニークなドキュメント。

新宿でみたが、観客は4人、しかも二人(カップル)は途中で帰ってしまった。
たしかにドキュメンタリーとして面白いかというと、面白くないかもしれないし、
結論が出たわけでもなんでもない、放り出されたような映画であった。
三人は無謀な企画に戸惑いながら、音楽を作るが、一人はまとめようと、一人は戸惑ったままで、一人は怒りをあらわにする、そのまるでむき出しな感じが、痛かったし、でもそれがバンドだし、音楽だなと思った。
ビートルズのレットイットビーという映画は、まさにバンドが崩壊しつつあるときの、バンドのギスギスした、気持ちがささくれ立った様子を描いていて、本当に見ていても辛く心が痛いが、そういう瞬間がたくさんある映画。或る意味で出色だと思う。名作とは言えないが。

40代の抱える要素を、
浜崎、桜井、大沢氏はそれぞれシンボライズしているようにも思えた。

桜井氏。企画の意図をくみ、なんとかまとめて、苦労もして、形にしてあげようとする、非常に善な、仕事のスタンス。

大沢氏は、その対極で、アーティスティックで、企画そのものが乱暴だし、表面的に企画に、そして各人の持ちネタの規格に沿った音楽を作る、ことへの怒り。

浜崎は、ある意味自然で、戸惑ったまま、自分のロールを果たしつつ、大沢氏にも桜井氏にもシンパシーを示す。

これは、音楽人に限らず40代の人間、が抱える、葛藤する3つの要素を体現している。

つまり、一番思ったのは、40歳代半ばである自分のことだ。

論語では「不惑」というが、いまの40は、正反対だ少なくとも俺は。
たぶん「惑うな」と言われるぐらいに惑う年代なのではないか。

家庭を持ち、仕事では中堅となり、子供は学校にいっている。
でも、いまいい家庭を作っているか、家族を幸せにしているか、
仕事で何事かを成しているか。


自問すればするほど、何もしていないのではないかという無力感に襲われる。

俺は何事もなすことなく、家族を幸せにすることもなく、日々を緊急事態に追われて走り続け、気がつけば40代を終えてしまうのではないか。



今年もクリスマスの夜に、聖歌を歌いました。

2008年12月26日 20時20分38秒 | Photo&エッセイ
今年もクリスマスの夜に、聖歌を歌いました。

今住んでいるマンションに引っ越してから、クリスマスに特別な感慨を持つようになった。ここはマンションが建つ前は以前神学校だったそうで、その神学校にあった教会が直ぐ近くに移設されており、その教会から毎年イブに合唱隊がやってきて、クリスマスキャロルが行われる。
ちなみにクリスマスキャロルとはこんな意味です。ウィキペディアからの引用です。

クリスマス・キャロル(英語: Christmas Carol、フランス語: Chant de Noël)はキャロルの一種で、現代ではキャロルというとクリスマス・キャロルのことを指すことが多い。

主としてキリスト教文化圏において、イエス・キリストの誕生と関係した内容のうたである。救世主キリストの誕生を祝い、誕生にまつわる様々な場面や逸話を歌詞にしたうたをいう。通常、クリスマス前の時期にうたわれ、クリスマス・イブにおいてはとりわけ愛唱される。
キリリとしたクリスマスらしい静謐で身の引き締まるような寒さの中、聖歌を歌うのはクリスチャンではない僕にとってすら、非常に身が清められるような思いである。

毎年、同じ日に、子供の大きくなったことを思い、一年無事に過ごせたことを思い、また隣家の人々と声を合わせて歌を歌うという素晴らしい機会に恵まれることは、とても幸福だ。寒い中、30分足らずだが、僕にとっては一年で最も貴重で満ち足りた時間のひとつである。






あなた、会社を辞めてから、下り坂よね。

2008年12月26日 20時09分37秒 | 心にしみる妻のひとこと
聖なる夜が空け、

キリリと冷えた、よく晴れた朝、

妻の一言がありました。

ピリリとね。

あなた、会社を辞めてから、下り坂よね。





あぁ。

来年は、いい年にしたい、と思ってます。


グサリとくる一言をはね返す心の護身術
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放課後の音符(キイノート) 山田 詠美、という最も遠い惑星

2008年12月25日 06時02分05秒 | レバレッジリーディング
放課後の音符(キイノート) (新潮文庫)
山田 詠美
新潮社

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なぜか、読んでみた。
ソフィア・コッポラの「ヴァージン・スィサイド」という映画を見たときも思ったが、少女から大人の女性へ移行する期間の女の子ってのは、もう生き物の常識を超えた存在であって、僕にとってだが。何を考えてどうなっているのかさっぱり分からないが、甘美な存在だ。
いまの僕からは最も遠い存在ではあるが、美しいジュピーター&マースみたいな感じで眺めていたいものだ。
そんな印象を持った、女子中学生の放課後のたわいのない、でも変貌しつつある感じが分かる本。でも多分コレもまた幻想に過ぎなくて、コレは山田詠美が、「かくあるべし」という思いをこめて書いた本だからな。まだ整理され、意味づけられている。実際にはもっと混沌とした、生命の原始のスープみたいな心理状態なのでは無かろうか。なぜかおとなの女性になると、ぐっと、生物そのもののしぶとさを逆に身につけて、男性なんて儚いもの、という感じになるんだがなぁ。
これ以上は止めておきます。

ヴァージン・スーサイズはいい映画だった。
そうだ「害虫」もいい映画でしたよ。これもそんな、少女の映画。宮崎あおいちゃん、当時こんなに有名になるとは思ってもみなかったが。蒼井優も出てる。今ならとんでもない豪華キャスティングだ。「害虫」の音楽はナンバーガールだったし、脚本に至っては、友だちの清野弥生ちゃんだった。凄いな。今思うと、清野、凄い映画作ったよ。元気か清野ちゃん。まだ北欧住まいなのかな。さて今からサンタは寝ます。

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WALL・E ウォーリーを観た。<★★★★☆>

2008年12月23日 22時49分44秒 | 映画レビュー
WALL・E ウォーリー

子供と見てきました。
最近子供つれてコンサートだのドラムレッスンなど、いろいろいっているんだが、親の都合って感じでいつも音楽である。
これは、あまりにも偏っているのではないかと反省し、今回は映画に連れて行った訳だ。
とはいえ、僕も見たい映画ではあったので、一石二鳥か。
で、実際にディズニー/ピクサーの映画は、いつも驚くほど水準が高い。
今回だって、本当にすごいよ。大きなスクリーンでぜひ見てほしいんだが、もうアニメのクオリティってのは、cgだのなんだのってことではなく、一つの表現手法として完全に世界ができている。驚くべき説得力であり、目の快楽でもある。

ストーリーはあまり難しいことはありません。ま。なぜか映画になると地球を救うという、宇宙戦艦ヤマトのようなことになるのは、不思議なところだし、700年ものんびり宇宙で暮らしている人類についても、ま、突っ込みどころは満載ではあるが、なんといっても主人公のウォーリのチャーミングさ。これはほとんど台詞がないものだから、なんというか、まるでサイレント映画時代のチャプリンを見るような、不思議な感覚である。いい曲もいっぱいかかるし、エンディングで、とてつもなくいい曲だな、とおもったなら、なんとピーターガブリエル様のすばらしい曲でしたよ。驚いたな。すごい曲を、このアニメのために書き下ろしたのだろうか、もちろんその価値はあるんだが。でも、子供がみても楽しめるのに、大人が見てもちゃんと納得がいく一人で見ても楽しいってのは、本当にすごいねえ。ジブリも然り、だが。ディズニー/ピクサーの底力、恐るべし、である。

<★★★★☆>4点差し上げます。

スタッフ&キャスト
[監][案][脚]アンドリュー・スタントン 
[総]ジョン・ラセターほか 
[脚]ジム・リードン 
[声]ベン・バート エリッサ・ナイト ジェフ・ガーリン シガニー・ウィーバー 

以下、公式のご説明
ディズニーとピクサーが放つ、最新CGアニメ。荒廃した未来の地球で、孤独にゴミ処理を行っていたロボットが宇宙へと飛び出し、夢と感動にあふれた大冒険を繰り広げる。
ストーリー
人類に見捨てられ、地上はゴミによって荒れ果ててしまった29世紀の地球。ロボットのウォーリーは、ひとりぼっちで700年にもわたってゴミ処理に精を出していた。そんな彼の前に、純白のロボット“イヴ”が現れる。

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パナソニックのパソコンを見て、コニカの現場監督というカメラを思い出した

2008年12月22日 10時00分08秒 | Photo&エッセイ
先日、秋葉のビックカメラでパソコンを物色していたらパナソニックと思うんだが、頑丈なパソコンってのを売っていて、ぐっと惹かれたのだった。
多少濡れても、ホコリまみれでも大丈夫、多少落としても大丈夫というパソコンで、店頭ディスプレイではなんか、消防隊みたいな人が持って明けているようなグラフィックだったように記憶している、キーボードもでかくて手袋をしていても打鍵できるようになっていたのだった。
たぶん、実際に、そういう火事場、災害場、救助遭難、もっといえば戦場で、パソコンの能力はとても役立つだろう、でもそこにもっていくにはあまりにパソコンはひ弱だ。サバイバルツールの面々から見たらまだ歩けるかどうかの幼児並みだ。

それにしても、ああいうタフ仕様のものにどうして惹かれるのだろう(サバイバルツールも含む)正直言って、このパソコンだって、買ったらオフィスか家で使うだけなんだろうが、なんか欲しいよな。

で、思い出したのがデジカメになって、まだあるか定かではないが「現場監督」というコンパクトカメラだった。
あのカメラはコニカから出ていて、埃まみれでも大丈夫、とにかく多少濡れてもいい、軍手でもシャッターが押せる、とにかく写る、壊れにくい、というカメラで、見た目からしてもう、タフなのだった。綺麗にトルとか、芸術とかという写真のアプローチを尻目に「オレ達、難しいことはわかんないけど、写ってないと仕事になんないんで、バッチリストロボ飛ばして、ホワイトボードといっしょに現場を移すんだよ」っていうところがかっこ良かった。

当時実はフィルムの最大の需要家は、現場や役所関係だときいて、へぇ、そうかなと思った記憶がある。いまはデジタルでやってるんだろうな、ひょっとして、あのミドリの駐車禁止取り締まりのいまいましい奴らが使っているデジカメが最大の需要家だったりして。ああ、あれは忌々しい。




フィルムの現場カメラのレポートはこちらにありました。
http://www.asahi-net.or.jp/~sp5j-hys/lens/genbakantoku.html



調べたらコニカの現場監督、しっかりデジ化してました。
以下です。

ズームとかね、ついてないモノがモノホンな感じです。
もちろん現場なので日付が必要です。
こんどこちらも見に行ってきます。

KONICA MINOLTA genba28ewd 現場監督28WB ECO(オートデート)

コニカミノルタ

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KONICA MINOLTA 28WD ECO ND 現場監督WD ECO 日付なしモデル

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Konica Minolta DG-4W DIGITAL現場監督

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立って仕事をするということ

2008年12月21日 12時35分12秒 | レバレッジリーディング
立って仕事をするということを、やってみようと思っている。
仕事を始めてから、あまりに長い間座りつつけ、キーボードを打ち続けていると思うが、これを立ってやれば

1.効率が上がるのではないか。机が広く使えるのではないか。

2.腰が痛くなくなる、肩が凝らなくなるのではないか。

3.居眠りをしなくなるのではないか

と考えているわけである。

3は、ま、確実にいけるだろう、倒れたりしない限り。
そういうときはきちんと寝るなりするべきなのだ、居眠りなどせずにね。

立って仕事をするという発想のきっかけはキヤノン電子の社長酒巻 久さんの本を読んだからだった。
椅子とパソコンをなくせば会社は伸びる!
酒巻 久
祥伝社

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パソコンはなくせないが、イスならなくせるかな。と思ったわけだ。

でもパソコンも、仕事に不可欠だとはいえ、かなり時間の浪費の元凶にもなっていて、メールチェックだって、もっとゆったりとした周期でも問題ないだろうし、webだって、最小限しか観ていないかというと、結構余分な物を観てしまっている。だいたいPCのファイルの整理だけだって、けっこう時間をかけてしまっているのが本当のところである。今日だって気づけばファイル整理に現実逃避していたしな、俺。

さて、では立って仕事をするとして、最大の問題は立ち机というものが、ほとんど世の中に存在しないことだ。でもこれには理由があって、立ち机に最適な高さってのは、人によって千差万別。ズボンのサイズや靴のサイズと同じでさ、身長によって、はたまた書く姿勢、読む姿勢によってかわってくる。でもそんなものにあわせて立ち机をいろいろ作るのは不可能だ。

ということで、作るか、自分の高さにあった、なんらかのチェスト、サイドボード、キーボードスタンド、棚の上の部分をぶった切る、とか、ま、いろいろ妄想している今日この頃、ま、このポストのテーマはこのブログのテキストは立ってパソコンを打ってみたらどの程度打てるか、という実験なのであって、このポストはすべて立ったままキーボードを打って書かれているのであった。

諸氏の期待にそぐわず申し訳ないのだが、意外に疲れはしないが、手で何かを書く時よりは低くないと腕が上がりすぎてテキストは打ちにくいのであった。それにしてもキーボードを打つために両手を宙に持ち上げていなくてはならないのが、座っているときよりキツイのはどういう訳なのだろうか。

ま、ここまで10分というところか。こんな感じでキーボードを5時間とか8時間とか、打ち続けられるモノだろうか。
さてここで引き出しを出してキーボードを打ち始めてみた。ほぼへそぐらいの高さであって、下記机では使えないぐらい低い高さ。でもやや低いとはいえ、打つことはできるし、このくらい低くてもそれほど辛くもない。

ということは、立ち机っての高さってのは、書くときは高いが、キーボードを打つときは低いほうがいいとうことになるのだろうか。
むしろ、アップルショップのジーニアスバーのカッコイイお兄ちゃんたちのように、なんかアームのようなものにラップトップを載せて、必要なときにさっと引き寄せて適宜打ち、またどける、みたいなカッコイイのがいいのか。いや、それで本当に原稿をバリバリ書くことはできるのか。
心は千々に乱れる今日この頃でございました。

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『遊雲さん父さん―小児がんを生きたわが子との対話』を読んだ

2008年12月20日 00時44分08秒 | レバレッジリーディング
遊雲さん父さん―小児がんを生きたわが子との対話
有国 智光
本願寺出版社

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この本を読んで、本当は、泣いてはいけないと思った。

でも泣いてしまった。僧侶、宗教家の父が小児ガンに罹患した子供を浄土へ送るまでのことを書いた、慈愛と深みに満ちた素晴らしい本である。

著者とお子さんは、もともと父が子供に「遊雲さん」とさん付けで呼ぶような、しっかりした親子関係の中で、僧侶である著者が、子供に命のこと、生きるということを教えられる、という内容といっていいのでは? 読みは浅いだろうが。どこかしら、仏教的な悟りへ近づいていくように見える。

特に遊雲さんが、苛酷な治療に耐え、いや耐えるというのもちがうな、苛酷な中でも楽しみながら、過ごしている姿、そして最後に、ありがとう、僕はもう逝きますといって息を引き取るあたりは、もう大泣きである。

というのも、僕も弟を脳腫瘍で亡くしていて、生きるということ、ガンということについて、深く考えさせられた経験があるからだ。いろいろあって、いま会社員でなくフリーで仕事をするようになったのも、弟に教えられた「何か」、たぶん「生きる」ということについて考えた結果なのかも知れない。
僕はこの本の著者のようにりっぱなわけではかけらもないもので、やっぱり弟の発病、闘病の期間は、辛かったし、可能性が低いときでも、すがりつくように治らないかと思ったものだった。当時映画を観ていて、もうしばらく映画が観られないな、と想ったことがある。というのも、映画ってのは、本当によく人が死ぬのだ。ラブシーンより死ぬシーンが多いのではないだろうか。そしてそのシーンがあるたびに、その命を弟に与えてもらえないだろうか、と思ったものだった。

しかしこの本にあるようなことに同感した点もある。それは弟だけが、どこかで「特別な治療」や民間療法を含めた「特別な薬」やそういうものを使って無理やり治す(治らないだろうが)ということには、抵抗を感じたことだ。これは家人を含めいろんな人が、そういうことを勧めたし、そうしない僕や母を責めたりしたが、感覚的にそれはイヤだった。でもその時の気持ちはこの本に書かれていることと同じだったんだな。
それはある種の明るい諦め、もしくは運命に対する謙虚さ、または無理に抗うことへを「見苦しい」と感じるメンタリティかもしれない。脳腫瘍で弟を喪うのは悲しいが、人はいずれ死ぬのは事実であって、それがほとんど不可避な時、またはシュレジンガーの猫ではないが、実際には答えが出ているが、今はわからないだけ、という時にジタバタとするのは、嫌だった。それより、今この瞬間、弟が生きていられる時間を、どれだけ充実して楽しく(楽しくは無理だったが)後から悔いの無いように共に生きられるか。そのほうが大切だと感じられたのだった。
遊雲さんの再発後、再々発後のスタンス、そして父親である著者のスタンスも、この本を読む限りかなり僕の気持ちに似ていたように思う。

人はいずれ死ぬわけだが、それを気づかないように生きているのが、現実だ。メメント・モリ。死を想え。死すべき病に罹患したものは、必然的にその境地に至る。弟は、再発が明らかになってしばらくすると、それまでの鬱的な状態から、むしろ明るく穏やかになったように見えた。もちろん死を怖れていないわけではなかったし頭痛もしていたので苦痛はあった。痙攣もあった。しかし、実にその瞬間瞬間を無心に味わい、生を濃く生きていたように見えた。僕と弟の祖母はいま90歳を過ぎて健在ですばらしいのだが、弟が最後に祖母のところに行って泊まったときはずいぶん祖母と話し、みんなを笑わせ、まるで仏様用に穏やかだった、と母は言っていた。そして、その話をした時の母の顔も、とても穏やかだった。生を輝かそうと想って生きるものは、周りの人間にも優しいエネルギーを与えるんだな。



疑惑なのか、魅惑なのか、仙夜一夜「魅惑のイージーリスニング」を次郎吉で観た

2008年12月19日 10時19分56秒 | CD&コンサートレビュー
疑惑なのか、魅惑なのか、仙夜一夜「魅惑のイージーリスニング」を次郎吉で観た。
すでに妻がブログで取り上げているので詳しくはそちらに譲るが(http://blog.goo.ne.jp/hibikeblog/e/0925765735e46313f3bc139851e5824f)、ミュージシャンが心からおもしろがってする演奏は、観ていてとても楽しいものだ。特に仙波清彦氏(Dr.)と村上ポンタ秀一(Dr.)のコンビネーションは凄い。いや、このツインドラム。これを高円寺で、家から自転車で見に行けるとは贅沢なことである。
いや、最高でしたよ。例えばね、オープニングはツェッペリンの「移民の歌」のイントロで始まって、いきなり「オリーブの首飾り」になる。が、バックはハードロック、ツェッペリンのまま。と、ま、こんな感じの演奏が展開されるわけです。坂田明さんの「Look of love」とかね。
坂田明さん、やっぱり凄い存在感と音量。それから吹いていないときの落ち着きぶりと、譜面の行き先を他のミュージシャンに堂々と聞く態度が素晴らしい。
白井良明、そう、ムーンライダースのギタリスト。間近で聞いたが素晴らしいミュージシャンだったよ。バカテクではないが(というかそういう演奏はしなかったが)、鍵盤楽器がない編成で、唯一のコード楽器。そこでしっかりとバンドの音楽性を支える屋台骨となっていて、高い音楽性、頼れる音楽性を発揮していた。流石である。レスポールで、いい音で、バリバリと弾く瞬間もあり、とても感服した次第。ジャズ的セッションでここまでできるのは、音楽的な完成度が高い人なんだな。
それにしてもポンタ、仙波の生の音でグルーブが堪能できるのは、贅沢の極みであった。ありがとうございました。




最後の晩餐

EMIミュージック・ジャパン

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ゴールデン☆ベスト
ムーンライダーズ,鈴木慶一,鈴木博文,橿淵哲郎,岡田徹,矢野誠
日本クラウン

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アンソロジー 1976-1996

メディアリング

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DON\'T TRUST OVER THIRTY
ムーンライダーズ
ポニーキャニオン

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月面讃歌
ムーンライダーズ,ムーンライダーズ,鈴木博文,曽我部恵一,白井良明,原田知世,サエキけんぞう,鈴木慶一,かしぶち哲郎,BIKKE,桜井秀俊,大橋信行
キューンレコード

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短くも美しく燃え~ムーンライダーズ・ベスト1999-1996

ファンハウス

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YMOのライブが実にすばらしい!細野晴臣のベースと高田漣のスチールギターは特に。

2008年12月18日 03時58分57秒 | CD&コンサートレビュー
GIJONYMO-YELLOW MAGIC ORCHESTRA LIVE IN GIJON 19/6 08-

commmons

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妻のブログ「響けブログ」にも書かれてしまったが(http://blog.goo.ne.jp/hibikeblog/e/8c29849370e1603148b79c9657ec7beb)
ここのところ、スケッチショー、そして今年になってからのYMOばかりを聞きまくっている。
なぜだろう。あとは坂本龍一の「トニー滝谷」のサントラ盤だ。

で、先日、新しいYMOのライブ盤がでるというので、CDショップに買いに行くのももどかしくiTuneショップでダウンロード購入してみた。本当はショップで買うのが好きなんだが、背に腹は変えられない、野暮な多忙。

エレクトロニカをライブで聴くのはどうか、とも思ったんだが、これがまた素晴らしくて驚いた。にじみ出る肉体性というか、エレクトロニカなインプロビゼイションというか。エレクトロニカジャズってのもいける気がする。あ、これはYMOとは関係ないですが。
演奏曲は近年のスケッチショーやHASYMOや、YMOの曲もありますが、このアルバムには坂本龍一の「TIBETAN DANCE」も入っています。どれも素晴らしいです。アレンジも演奏も。

それにしても演奏家としてのYMOの三人の素晴らしさは、ほんとうにすごい。ということが今更ながらわかった。演奏力の素晴らしさって言うのは、音楽ジャンルがどうなろうが、音楽シーンがどう変わろうが関係ない、問答無用のすごさがあると思う。枯淡の域。俳句的な境地、墨絵のような。

細野さんのベースは、トーンといい、フレージングといい、タイミングといい、本当にすばらしいですよ。最近ベースを弾くのでそれはよくわかる。フレーズが難しいとか、テクニックがどうとか、関係ないね。あのレベルになれば。全体を見渡しながら弾かれるベースの存在感は、ちょっとすごいですよ。
ライブの動画を見るとムスタングベースみたいなちっちゃいジャズべみたいなものを使っていて、ちょっと興味アリます。軽そうだし、ああいうベースを使うのも粋な感じがする。

そして出色が。高田漣のスチールギター、スライドギターだ。アルバムには入っていないんだが、これがライブで本当に効いている。一度新宿ピットインで、ジャズの師匠に誘ってもらってみたことがあったが、その時も素晴らしかったんだが、イエローマジックオーケストラでの演奏は、驚くべき音楽性の広さを感じさせる。ウィキによれば
1990年代後半ごろから父・渡のバックを務める傍ら、ハナレグミ・原田郁子・畠山美由紀・ポラリス・アン・サリー・サンディーなど数多くのセッションにも参加する。
2006年には細野晴臣&東京シャイネスのメンバーとしてペダルスティールを担当。同じく2006年には高橋幸宏ソロツアーもペダルスチール、マンドリン、アコースティックギターでサポート。
2007年にはHuman Audio Sponge(細野晴臣・高橋幸宏・坂本龍一)のチャリティライブにサポートメンバーとして参加している。
少年時代はYMOのファンで、ペダルスティールを始めた動機は「キーボードみたいだったから」という逸話は一部で有名。ブライアン・イーノの「APOLO」におけるスティールギターのサウンドが自身のルーツにあるとも語っている。
アコースティック楽器やペダルスティールのオーソドックスなフォーク/カントリースタイルのプレイはもちろん、エフェクターを多用したペダルスティールで空間的なサウンドやシンセサイザーのようなエフェクティブな音まで作り出すプレイスタイルの幅広さは、他に類を見ない。 また、独自の活動を始めて2007年現在、自身のソロアルバムも五作品リリースしている。
また、俳優・大杉漣の「漣」という芸名は、彼の名前の「漣」に由来する。
----wikipediaからの引用

だそうだ。YMOのファンだったというのもすごいが、この、イーノのアポロがスチールギターのルーツというあたり、すさまじい。彼は実にいいミュージシャンだな。

もう一枚のロンドンのライブはCDで買おうと思います。


みなさんも、ぜひ聞いてみてください。

LONDONYMO-YELLOW MAGIC ORCHESTRA LIVE IN LONDON 15/6 08-

commmons

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「じつは、わたくしこういうものです 」 クラフト・エヴィング商會を読んだ。

2008年12月16日 06時54分25秒 | DIARY
じつは、わたくしこういうものです
クラフト・エヴィング商會
平凡社

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いやー大好きですよ、こういう世界。
ブンガクはよくわかんないですけど、
渋めのメルヘンというか、ビターキャラメルといおうか。
大人のおとぎ話というか。
(これから読む人のために、種明かしはできないですけどね)
また写真がすばらしい。
こういう本を本棚に入れておくだけで
楽しくなってくるような気がします。

この世界観というか、
たたずまい、なにか似ているかと思ったら、
僕がもうずっと前から大好きで、よく聴いている
(しかし滅多にその時間家にいないから本当はなかなか聴けない)
FMラジオの番組「サントリーサタデーウェイティングバー アバンティ」なのだった。
あの番組もいいな。ほんとうに。
ここにアドレスがあります。
http://www.avanti-web.com/


3トニックシステム、その好例としてのコルトレーンの「カウントダウン」という曲

2008年12月14日 07時39分15秒 | 原朋直トランペットレッスン講義ノート
ヤマハ銀座アネックス(http://www.yamaha-ginza.co.jp/school/annex/index.html)で開講されている原朋直さんのジャズトランペットコースに通ってます。

もうすぐ4年めになります。

光陰矢のごとし、ラッパ鳴りガタし。
いや、我ながら巧いな。ラッパではなくだじゃれです。

そこでいつも音楽やジャズに関わる素晴らしい話が聞けるので、読者諸氏にもおすそわけしています。

今回は昨日に引き続き、コルトレーンチェンジのその3、
カウントダウンです。

ちなみに、原朋直さんのレッスンノートは、こんな感じで書いてきています。
よかったらまとめてお読みください。
http://blog.goo.ne.jp/hoboike_diary/c/672018a64cffd906d0ee9d84ecc96a94


3トニックシステム、その好例としてのコルトレーンの「カウントダウン」という曲について。

前回の練習曲がジャイアンとステップすでしたが、これはコルトレーンチェンジとはいわないようで、
その理由はフルサイズのコルトレーンチェンジから頭の部分が外れていた(省略されていた)からです。
今回のカウントダウンが、フルサイズのコルトレーンチェンジです。

説明は前回と同じですが
Cの3トニックシステムの場合、EとA♭(長三度)のコードがC以外のトニックです。
事実上は転調ですが、これをある程度の早さで回すと、転調感があまりない感じでコード進行が感じられます。それがマルチトニックシステムの特徴です。


まずキーをCで考えると
こういう通常のコードを考えます。


この間にCから2全音離れたE、そこから2全音離れたA♭とを入れます。
CとEとA♭はオクターブを三分割した音程です。


こうなります。


このマルチトニックシステムの骨組みに対し、コード進行を滑らかにするためにドミナント7Thを入れます。するとぐっと滑らかで唐突なコード進行がなくなり、転調の感じが薄まりつつも、早いハーモニックリズムでちょっとジェットコースターのような軽いめまい感がでてきます、このあたりがコルトレーンチェンジの醍醐味か。


この4ページでひとかたまりを1全音ずつ転調します。上の段の最後のコードD7でが次の段のコードDmっていうふうに、平行調で移調しているところがミソです。
(冒頭のphoto)


最後の4小節はコルトレーンチェンジではありません。

この曲は、なんとTune UPというマイルス・デイヴィスの曲を元にしており、それを換骨奪胎して、コルトレーンチェンジを入れ込んだもの。
最後の4小節は、Tune UPのままです。


ゴルフはおとなの遠足か?「自由と冒険のフェアウエイ (中公文庫)」山際淳司を読む

2008年12月12日 08時43分33秒 | レバレッジリーディング
自由と冒険のフェアウエイ (中公文庫)
山際 淳司
中央公論社

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ゴルフには興味がないのだが、表紙が素晴らしかったので手にしてみた本。表紙のイラストは、やっぱり! いま一緒にバンドをやっている佐々木悟郎さんだった。素晴らしいイラストだ。装丁もやっているのかな。

スポーツライター山際淳司はあまり読んだことがなかったのだが、文体は簡潔にして直截的で、でもすがすがしさと余裕もあって素晴らしいと思う。

ゴルフって、体力と精神力がイーブンぐらいに必要なスポーツらしく、たんに体力勝負でないところが大人に人気があるんだな。体力で劣っていても勝てる可能性は十分ある。それに道具だの理論だのコースだの、大人が飽きないような要素がいくらでもある。ゴルフクラブを選んだり、球を飛ばす(弾道?)理論を研究したり。
そのあたりに大人が真剣になって遊んでいることのばかばかしさと愛しさと、をまるごと楽しむこと。そのあたりがやや自虐を含みながら山際氏のエッセイに語られていて、面白い。つまり大人がおおっぴらにたのしめる遠足であり、鬼ごっこであり、運動会なんだなーと。

ところで山際氏は『江夏の21球』で若くして注目を集めたノンフィクションライターだが、スポーツを中心に旺盛に作品を発表していた矢先、46歳の若さで、胃癌で亡くなった。非常に残念なことである。以下はウィキペディアの山際氏の説明の最後の部分からの引用です。

「スーパードライ」などいくつかのCMでもイメージキャラクターとして起用された。1995年5月29日、胃癌による肝不全のため、46歳の若さで急逝。『サンデースポーツ』のキャスターを降板した直後のことであった。


みんな山が大好きだった
山際 淳司
中央公論新社

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逃げろ、ボクサー (角川文庫)
山際 淳司
角川書店

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急ぎすぎた旅人―山際淳司 (角川文庫)
山際 澪
角川書店

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12月になると聞こえてくる、ジョンの声。

2008年12月11日 23時08分06秒 | Photo&エッセイ
12月。
シオンの歌を思い出す。
「12月 街はクリスマス気分
あちこちから思い出したように ジョンの声」。
あれはいい歌だった。

最近ベースを弾くようになって、普通に曲を聴いていてもベースの音色に気が行くようになった。
先日ビリー・シーンのクリニックできいてなるほど、と思ったんだが、昔のベースはフロットハムのピックアップがあったよね。ギブソンのSGベースもそうだし、ホフナーのバイオリンベース、つまりポールのあのベースも、フロントハムだ。
ビリー・シーンは、自分のベースにフロントハムをつけているが、やはりスーパーウーハー的な音が欲しいからつけているようだ。

で、何が言いたかったのかというと、12月、ジョンの声。ということで偶然だったガオとのいいヘッドフォンで、ジョン・レノンの「woman」を聴いた。で、初めて気づいたんだが、あの曲のベースの音は、どうきいてもフロントハムだし、どうきいてもポール・マッカートニーがバイオリンベースで弾いているような音とフレーズだ。もちろんポールが弾いたのではないと思うが、そうでないとすれば、当然、ジョン・レノンが、腕利きのニューヨークのベーシスト、そうさな、トニー・レビンあたりに、ポールみたいに弾いてくれ、この曲は。っていったんだな、きっと。

そう思ったら、泣けてきた。

それから間もなく、ジョンは射殺された。

ポール・マッカートニーは、どれだけ悲しんだだろう。ファンの俺ですらあんなに悲しんだのだから、本当に本当に哀しかったのだろう。

12月になると、ジョンの声を、思い出す。
強いけど、優しい声だ。そして、勇気と、子供を慈しむ気持ちと(ハウスハズバンドだったからな)、ロックンロールな気持ちを与えてくれる。

師走だけど、暖かい日なたもある。
一曲分だけ、ジョンの声を聴いて、日なたに居ようと思う。

ダブル・ファンタジー ~ミレニアム・エディション~
ジョン・レノン,ヨーコ・オノ
EMIミュージック・ジャパン

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