とある事情で、数週間前から楽器演奏から距離を置くことになった。
小学校でコルネットを、中学校でギターを初めていらいのことだ。楽器演奏は私にとって、深い部分のアイデンティティであった。結局現在まで続けている仕事も、楽器演奏に深く根ざしている。先日も家に和音が出せる楽器がなくなったことに気づいて愕然とした。ギターや鍵盤楽器は友人に差し上げたり、預かってもらったり、あとは倉庫に預けた。では、そこでで、音楽の距離感が変わったか、というと、さほどは感じない。音楽を日常的に聴いている状況はかわらない。
ただ、たまに必要に応じて家で楽器を構えたりすると「上手くなろう」「楽器を弾くことで自分がカッコ良く見えたい」という気持ちが生じることに気づいた。前は気づかなかったがもっとそれが強だったはずだ。これは、演奏にとってネガティブか? ポジティブか? それは判断が難しいところだが、すくなくとも枯淡の域からは遠い。
私が近年ベーシストではないのにベースを弾いて楽しかったのは(必要に迫られて弾いたのだが)、ベースを弾いて褒められたいという気持ちがゼロだったからだ。自分のアイデンティティにベーシストはなかったから。むしろ私がベースを弾くことで、音楽が動き出し、成り立ち、ひょっとして自分の貢献でその音楽がカッコ良くなるのかもしれない、と思ったからだ。これは純粋に音楽のクオリティへの貢献であり、ひいては、それが自分にとっての満足だった。
近い将来か、遠い将来かわからないが、楽器演奏を再開するとき(しないかもしれないが)、楽器と意識的に距離を置いているこの時期に感じたことが、自分の音楽の糧になるのかもしれない、と思うと,何事にも意味はあるのだな、と思わされる、長すぎる10連休のなかばである。