ほぼ週刊イケヤ新聞ブログ版

コピーライター・ミュージシャン池谷恵司の公式ブログです。
私的メールマガジン「ほぼ週刊イケヤ新聞」のブログ版です。

4月28日(土)のつぶやき

2018年04月29日 02時55分06秒 | tweet

4月27日(金)のつぶやき

2018年04月28日 02時54分35秒 | tweet

4月26日(木)のつぶやき

2018年04月27日 02時54分20秒 | tweet

4月25日(水)のつぶやき

2018年04月26日 02時56分41秒 | tweet

4月24日(火)のつぶやき

2018年04月25日 07時27分23秒 | tweet

コンテンポラリーなギタリストかどうかは、ディレイあるいはルーパーをどの程度使いこなしているかによると思う。

2018年04月24日 17時50分35秒 | CD&コンサートレビュー



最近のいろんなライブを見て思うのは、コンテンポラリーなギタリストかどうかは、ディレイあるいはルーパーをどの程度使いこなしているかによると思う。例えば非常に素晴らしいギタリストであっても、ベテラン、ありいはご同輩ぐらいのギタリストの場合、ディレイはあくまでリバーブ的な使い方をしている。

しかし、例えば加藤一平さん、市野元彦さん、ビル・フリッセルや最近注目しているアメリカの女性ギタリストMary Halvorson、あるいは音響系のロックギタリストなどのコンテンポラリーなギタリストは有名無名に方はかかわらず、ディレイなどを非常に上手に、かつ面白い使い方をしながら本質的な意味で自分の演奏に取り入れている。

考えてみれば、ディレイと言うエフェクターはコーラスやディストーションのように自分の演奏している音に効果を付加するタイプのエフェクターとは実は違うのだ。ディレイとは、自分がした演奏をリピートする効果であるが、実際はもう一つの発音体であり、もう一つの楽器だ。

自分の演奏とは時間的にずらしたり、あるいは音程的にずらしたりしながらもう一つの発音体として扱うことで、もう1人の自分のような演奏を繰り広げることができるのだ。これは単なる室外リバーブやエコーとは全く違う発想の演奏である。

先般の岸本賢治さんのライブで見たギターの演奏は、ギターソロの時、気づかないうちに伴奏に自分のコードワークをルーパーで使っていた。後で思えばソロの冒頭かトランペットのアカンパニメントの時にワンコーラスサンプリングしたのだろうが、すべてが流れるように音楽的だったのでどこでサンプリングをしてたのかわからなかったし、ギターソロのときバッキングでギターが聞こえてきた時は、だれか別のギタリストがいるのかと周りを見回してしまったぐらい自然に使いこなしていた。素晴らしいルーパーの使いこなしだった。


岸本賢治さん

 


さらに、これはギタリストだけに限らない。

エレクトリックバイオリンやベーシストたちの中には、ギタリスト視点では、エフェクターの使いこなしが心もとないというか足元が危ないように見える方もいらっしゃるが、最近はボーカルあるいはマルチインストロメンタリストの人たちが、ディレイやルーパーを使って実に上手で現代的なパフォーマンスを見せてくれることが多い。

先般ホンブログで記事を書いたヘッドホンライブでの霧島さんのパフォーマンスもそうだった。コーラスは自分で多重録音し、そしてそれをバックに演奏をする。音楽に詳しい友人に教えてもらった天才マルチ・ミュージシャン、ジェイコブ・コリアーなどは、もともと1人でマルチの楽器を演奏して歌を歌い目の前で曲を作り上げていくいわゆるルーパーのマスターのとしてのパフォーマンスを行っているようだ。これも実に新しい一人バンドのスタイルだ。

いずれにしても、事例やルーパーの使いこなしが、これからのコンテンポラリーのミュージシャンの1つの試金石であり、大きな武器となるに違いないと感じている。

というわけでライン6のディレイも買わなくてはならない。長い言い訳だ。


4月23日(月)のつぶやき

2018年04月24日 02時56分01秒 | tweet

4月21日(土)のつぶやき

2018年04月22日 02時58分57秒 | tweet

ヘッドホンライブに行った。

2018年04月21日 12時17分07秒 | Photo&エッセイ

 

とある機会でヘッドホンライブに参加した。
通常のライブのようにPA機器はない。
ミキサーから各客席にケーブルが引かれ、
ヘッドホンアンプとヘッドホンでライブを聴くのだった。

桐島ノドカのライブだっがた、歌が素晴らしい彼女のヘッドホンライブは
耳元で細密に歌声を聞くことができ、
いったんCDだの、データだのにしていない生の歌声なので
ハイレゾどころか、超ハイレゾのクオリティで、
生っぽいこと限りない。ま、生です、目の前で歌っているのだから。
そこにある種エロティックな感覚さえ覚えたのだった。

MCに至っては、もう、最高に音が良い電話のようで、
ライブとの違いは音質だけではなく、関係性にもあって、
歌手、オーディエンスの一対多の関係性ではなく、
歌手、聴いている私、という一対一の関係性になる。
それは、ライブではなく、対話なので、
MCも大勢に話しかける、みんな、のってるーみいなものではなく、
極めて一対一のパーソナルなものに感じられるのだった。

面白いことに、そうなると、いわゆる盛り上がりはない。
むしろ、関係性が深まる。
だから終わったら、終わりであって、横のたちと連帯して拍手をするような
アンコールは生まれず、おわたら「じゃあね、また」で終わるのだった。

とても面白かったし、
自分が好きな音量で、じっくり楽しめる体験も斬新だった。
でも一番何に似ているのか、といえば、
レコーディングのモニターだ。
20代の時、レコーディングしたことを思い出した。


4月19日(木)のつぶやき

2018年04月20日 02時57分46秒 | tweet

4月17日(火)のつぶやき

2018年04月18日 02時56分22秒 | tweet

4月16日(月)のつぶやき

2018年04月17日 02時54分33秒 | tweet

4月15日(日)のつぶやき

2018年04月16日 02時58分08秒 | tweet