
kan-haru blog 2007
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花まつり
4月8日は、お釈迦様の誕生日です。
釈迦は紀元前5世紀頃、現在のネパールにいた釈迦族に生まれ、灌仏会(かんぶつえ)は、釈迦の誕生を祝う行事で、別名を花まつりと云い毎年4月8日に行われます。
釈迦誕生の時に、龍が天から飛来して、香湯(ソーマ、アムリタ)をそそいだという故事に基づくものです。
ソーマ:ヴェーダなどのインド神話上で、神々の飲料とされるある植物の液汁。
アムリタ:インド神話に登場する神秘的な飲料の名で、飲む者に不死を与えるとされる。乳海攪拌によって醸造された。(Wikipediaから)
日本では、様々な草花で飾った花御堂(はなみどう)を作って、その中に灌仏桶を置き、甘茶を満たします。誕生仏の像をその中央に安置し、柄杓で像に甘茶をかけて祝います。
甘茶は参拝者にもふるまわれ、甘茶で習字をすれば上達すると言われたり、害虫よけのまじないを作ったりもしたと云われます。

花御堂(写真拡大)
大林寺
大森町界隈の大林寺(大田区大森中2-7-19)では、毎年花祭りを行っており、遠い昔の戦時中の小学生の頃花祭りに行き、甘茶をふるまって貰ったことを思い出して、午後、京浜急行電鉄大森町駅から徒歩10分の大林寺(地図参照)に行ってみました。
大林寺は、日蓮宗長亨山薬王院で池上本門寺の旧末寺です。
寺伝によると、もとは真言宗であったが、1488年(長亨2年)海徳阿闍梨日位を迎えて改宗したといわれます。七世日了は、1573~92年(天正の頃)七面大天女を境内に祀り、大森の七面様とよばれ、戦前まで縁日には大変にぎわいましたが、戦災で堂宇を消失して再興されておりません。
一二世日好は、1716~36年(享保期)に、村民の窮乏をのぞくため副業として麦藁細工を村民に教えて、製品を近くの東海道筋で土産物として販売させて困窮を救ったと伝えられてます。それ以来、麦藁細工は大森村の名物として広く知れわたりましたが、現在では継承されず麦藁細工を作れなくなっております。

正門 本堂 遠景
池上道道標
1729年(享保14年)に、大森村の甲子講という日蓮宗の信者たちが建てたもので、もと池上本門寺に至る道は、東海道から今の京急梅屋敷駅あたりで分かれていました。この道標は、その分かれ道に建てられていました。
池上道道標は、高さが1.62mの大きな道しるべであり、正面は鬚題目と「池上道」と刻しており、側面には「一五町で品川へいきぬけ」と書かれています。
これは、池上本門寺を参詣してから、品川宿へ行けることを示したものです。
現在は、現在は東海道の工事などにより、大林寺境内に移されており、区指定の文化財になっております。

左 池上道道標
三面大黒天画像
着彩の紙本画の三面大黒天画像は、1564年(永禄7年)戦国武将の武田道遙軒野信綱の作品であります。武田道遙軒野信綱は、武田信玄の弟で、1582年(天正10年)に織田信長に滅ぼされましたが、絵が大林寺にどのように伝えられたのかはわかりません。
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毎月1日付けのIndexには、前月の目次を掲載しております。(3月分掲載Indexへ)
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花まつり
4月8日は、お釈迦様の誕生日です。
釈迦は紀元前5世紀頃、現在のネパールにいた釈迦族に生まれ、灌仏会(かんぶつえ)は、釈迦の誕生を祝う行事で、別名を花まつりと云い毎年4月8日に行われます。
釈迦誕生の時に、龍が天から飛来して、香湯(ソーマ、アムリタ)をそそいだという故事に基づくものです。
ソーマ:ヴェーダなどのインド神話上で、神々の飲料とされるある植物の液汁。
アムリタ:インド神話に登場する神秘的な飲料の名で、飲む者に不死を与えるとされる。乳海攪拌によって醸造された。(Wikipediaから)
日本では、様々な草花で飾った花御堂(はなみどう)を作って、その中に灌仏桶を置き、甘茶を満たします。誕生仏の像をその中央に安置し、柄杓で像に甘茶をかけて祝います。
甘茶は参拝者にもふるまわれ、甘茶で習字をすれば上達すると言われたり、害虫よけのまじないを作ったりもしたと云われます。

花御堂(写真拡大)
大林寺
大森町界隈の大林寺(大田区大森中2-7-19)では、毎年花祭りを行っており、遠い昔の戦時中の小学生の頃花祭りに行き、甘茶をふるまって貰ったことを思い出して、午後、京浜急行電鉄大森町駅から徒歩10分の大林寺(地図参照)に行ってみました。
大林寺は、日蓮宗長亨山薬王院で池上本門寺の旧末寺です。
寺伝によると、もとは真言宗であったが、1488年(長亨2年)海徳阿闍梨日位を迎えて改宗したといわれます。七世日了は、1573~92年(天正の頃)七面大天女を境内に祀り、大森の七面様とよばれ、戦前まで縁日には大変にぎわいましたが、戦災で堂宇を消失して再興されておりません。
一二世日好は、1716~36年(享保期)に、村民の窮乏をのぞくため副業として麦藁細工を村民に教えて、製品を近くの東海道筋で土産物として販売させて困窮を救ったと伝えられてます。それ以来、麦藁細工は大森村の名物として広く知れわたりましたが、現在では継承されず麦藁細工を作れなくなっております。

正門 本堂 遠景
池上道道標
1729年(享保14年)に、大森村の甲子講という日蓮宗の信者たちが建てたもので、もと池上本門寺に至る道は、東海道から今の京急梅屋敷駅あたりで分かれていました。この道標は、その分かれ道に建てられていました。
池上道道標は、高さが1.62mの大きな道しるべであり、正面は鬚題目と「池上道」と刻しており、側面には「一五町で品川へいきぬけ」と書かれています。
これは、池上本門寺を参詣してから、品川宿へ行けることを示したものです。
現在は、現在は東海道の工事などにより、大林寺境内に移されており、区指定の文化財になっております。

左 池上道道標
三面大黒天画像
着彩の紙本画の三面大黒天画像は、1564年(永禄7年)戦国武将の武田道遙軒野信綱の作品であります。武田道遙軒野信綱は、武田信玄の弟で、1582年(天正10年)に織田信長に滅ぼされましたが、絵が大林寺にどのように伝えられたのかはわかりません。
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