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大森町の社寺 貴菅神社 第1京浜国道拡幅で本殿移動前の夏祭り

2010年09月06日 | 大森町界隈あれこれ 社寺
kan-haru blog 2010 貴菅神社狛犬

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貴菅神社
第1京浜国道沿いの貴菅神社の例祭は、毎年8月の最終の土、日曜日に行われます。
貴菅神社の祭神は、高龗神(たかおかみのかみ)・菅原道真公が祀られていますが、明治時代の昔には東海道を挟んで東側に天神社が、西側に貴舩社が別々に鎮座(「大森町界隈あれこれ 大森町の昔を古地図で探る 大森村絵図第2編第1回その3」参照)していました。1909年(明治42年)に天神社と貴舩社が合祀して、昭和に入って貴菅神社と名を変えました。その後、1920年(大正9年)に東海道を拡幅して第1京浜国道が造られることになり、神社の境内を西方に後退して現在の本殿が鎮座しています。その後の1945年(昭和20年)4月15日の世界大戦の爆撃で本殿が焼失し、1952年(昭和27年)に社殿を復興し竣工しました。

 第1京浜国道際に鎮座する貴菅神社(写真拡大)

ところが、2011年にはさらに第1京浜国道の幅員が50mに拡幅されることになり、再び本殿の移動をする(「大森町の社寺 貴管神社 国道拡幅により本殿移動を要する社の夏祭り」参照)こととなり、今年の夏祭りは幾多の歴史の変遷を潜ってきた、復興竣工時の社殿での例祭となりますので28、29日に見てきました。

 貴菅神社付近の拡幅工事中の第1京浜国道(写真拡大)

貴菅神社の例祭は、28日午前11時に祝詞奏上の式典を行い、29日に子供神輿と山車が町内を巡行します。奉納演芸は、28、29の両日の午後6時半から行われます。

 貴菅神社祭礼ポスター

今年の例祭当日は酷暑に見舞われた代わりに天気には恵まれ、朝式典前の神社では3色の幡や提灯の飾り付けとお囃子車などでお祭りの雰囲気が盛り上がっていました。

 貴菅神社例祭風景(写真拡大)

境内には受付所がおかれ本殿での例祭の執行の準備が整いましたので、拝殿を参詣してお祭りの見物をします。子供にとってお祭りの楽しみは、金魚すくい、ボールすくい、ヨウヨウ釣りや綿あめなどの露天のお店です。

 お祭りの子供たちの人気は露天(写真拡大)

例祭が行われている本殿は、国道拡幅により何れは移転せざるを得ません。1952年に戦災復興で竣工した現在の場所の本殿での例祭は見られなくなりますので、今回のお祭りは貴重な記録となります。

 1952年竣工の貴菅神社本殿(写真拡大)

貴菅神社の子供神輿と山車の巡行は、29日に猛暑でしたが沢山の子供が集まって町内会を一巡しました。

 子供神輿・山車巡行(写真拡大)

夜のとばりもおり、境内に作られた仮舞台では、2日間に亘り奉納演芸会が開かれました。演芸プログラムは、6時30分からの開始で太鼓の演奏で初まり、初日がふれあい太鼓で2日目が梅屋敷太鼓の競演です。引き続いてダンスの競演も組まれています。その後、7時10分に神社委員長の挨拶があり、カラオケや踊りにフラダンスも加わり、最後には本宿町会役員全員の登場で演芸の閉めです。

 奉納演芸会風景(左上中下右下写真拡大)

奉納演芸会2日目のダンスプログラム公演風景の動画を撮りました。

貴菅神社例祭奉納演芸会.wmv

[クリックすると公演風景が見られます]

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