急に寒くなったが、長続きはしないらしい。
高齢者のほとんどが、お金より健康が大事と思っているらしい。
明日食べる物があれば贅沢は言わない。健康が一番大事である。
健康維持にお金と時間を掛けている人が多い。我も負けずにと、健康体操に行く。
今までは半そでのシャツの上に、長袖の服を羽織って行ったが、寒さが厳しいので、
長袖シャツに薄い毛糸の服を羽織った。体操中に暑くなり汗になった。
汗になり、そのままにして外に出ると、急に寒くなり風を引くことになってしまう。
次回からは半そでシャツに長袖の服を羽織ることにしよう。
高齢者の会で、今後どこに住んでみたいかとの話題が出た。
すると”都会”との答えが多かった。広島駅前のマンションが多かった。
八丁堀、、紙屋町、祇園等の地名も出た。お店が多く賑やかで、病院が近い事が理由である。
自分は、今の場所が一番と答えた。猪鹿が暮らす自然動物園ではあるが、80年も済んだ所を離れることはできない。
又気心の知れた人達が住んでいる。多くの人に助けられての今日がある。この楽園を離れて住める所はない。
この地は、住み心地の好い楽園である。ここを捨てて他の場所を探すことなど考えられない。
5月Ⅰ日から元号が「令和」に替わった。その時には、元号由来の詳しい説明があった。
しかし、耳を傾けることなしに通り過ぎた。万葉集のことも調べようともしなかった。
昭和、平成、令和と生きてきたのに、調べる努力もしないで、ぼんやりと生きるのは寂し過ぎる。
「ボーと生きてんじゃーねーよ!」とチコちゃんに叱られる。調べてみた。
「奈良時代の初め、当時の大宰府の長官、大伴旅人の邸宅で開かれた「梅花の宴」で詠まれた。
32人が梅の花を題材に歌ったものをまとめた序文として、大伴旅人自身が書いたもの」
”初春の令月にして気淑く 風和らぎ梅は鏡前の粉を披き 蘭は珮後の香を薫らす”
とのことであった。日本語なのに、読めないし意味が分からない。
情けない次第である。チョットだけ勉強し賢くなった気分である。
久しぶりの雨で、畑が潤った。先日撒いたソラマメやグリンピース等の芽が出るかなと期待する。
柚子が、まだ木に取り残されている。お天気が回復したら取り入れたいと思う。
安倍首相・プーティン大統領がお泊まりになったホテルを一目見たいとの目的で、
わざわざ出かけて1泊した。行って泊まった意義はあった。
迎への車に乗る時から、落ち着いた穏やかな気分になった。
玄関を入ると、水が迎えてくれる。ロビーの中の人工池と、ガラス戸の外に造られた人工滝。
そこでの抹茶接待、部屋への案内等々は、静かに自然に流れる。
従業員のサービスが、着かず離れず、気付かない間に流れるように進む。
目立つこともなく、スマートに訓練されたプロを感じさせる。「おもてなしのプロ」である。
客一人一人に気を配って、必要な時にだけすばやく手を差し伸べる気遣い。
帰りのJR列車に乗り大谷山荘の前を通過する時、山荘玄関では数人の人が手を振っている。
まさかまさかの気遣いである。今までにない気持ちの好い旅行であった。
午後娘に誘われて買い物に行く。明日からの旅行に散財をすることは分かっているので、
今回は出費を抑えようと考え、財布は持参しないことにした。
すると、ズボン売り場に行き、冬用の温かいズボンが要るのだから買ったらと勧める。
ご厚意に甘えて1着買い物かごに入れる。するともう1着買っといたらとの言葉。
シューズ売り場に行くと、同じ靴だけを履いていると傷みも激しいから、
もう一つ購入して代わる代わる履いたら良いとのことで、娘に大散財をさせてしまった。
チョット肩身が狭い。年金が入ったら女子会でもしよう。
ズボンのサイズを確かめるため試着をした。
試着室で、ズボンを試着する時、片足立ち出来ないので時間が掛る。
ヨロヨロしてなかなか試着できない。全身写しの鏡に、容赦なく自分の姿が映る。
歳を取ったおばあさんの姿が映る。娘もその姿を観ているはずである。
余りにも哀れな姿に、つい優しい心が出たのであろう。
自分ではどこも悪い所もなく元気だと豪語しているが・・・・。
朝夕の寒さは厳しくなった。昼間は青空で小春日和である。
紅葉が我が家の近くまで下りてきた。雨が降らないので畑の野菜は萎びている。
ついに畑に水遣りをする。夜露だけでは野菜は成長しない。
参議院選挙で、我が選挙区から当選した新人女性議員の黒い噂が飛び交っている。
やましい所がないのなら説明責任を果たして、国民の審判を仰げばよいと思うが、
雲隠れしたような状態になり、民衆の前から姿を隠してしまった。
更にマスゴミは騒ぎだした。”限りなくブラックに近いブルー”状態になった。
広島県人で、投票権を持つ我々は、今回のことについてしっかり目を開き、
今後の在り方をしっかり考える必要がある。素直な気持ちで意見交換もしなければいけない。
どこに行っても、”臭いものには蓋”の状態で、話題に登らない。
JA主催”農業祭”において、地元宮崎神楽団による「葛城山」が上演される。
神社の祭における演目は、八岐大蛇であった。
金糸・銀糸の織り込まれた豪華な衣装を身にまとい、舞台の上で軽やかに舞う姿はエネルギーを感じる。
体力のある若い男性でないと舞うことが難しいであろう。
内容は。「古くより大和国葛城山に住みついている土蜘蛛の精魂は、
我が国を自分の物にせんと思っていたが、源頼光のためにその計画を断念せざるを得なくなった。
頼光は重い病にかかり、侍女・胡蝶を典薬頭に使わしたが、土蜘蛛は胡蝶を殺して胡蝶に化け、
典薬頭から授かった薬と偽り、頼光に毒薬を与える。
ついに念願を果たしたとばかりに飛びかかる土蜘蛛に、頼光は必死で対抗し切りつけ深手を負わせる。
正体を見破られた土蜘蛛は、糸を吐きながら葛城山に逃げる。
頼光は四天王の2人を呼び、土蜘蛛退治を命じる。
葛城山に着いた両名は、大激闘の末、土蜘蛛を退治する。
これらを画面で示してみる。
農業祭の一環として、地域包括センターが映画を上演した。題は、「ケアニン」である。
映画のセリフの中に、「ケアする人間。介護福祉士って言うと堅くるしいじゃん。」との解説がある。
特別やりたいことがないので、専門学校に行って介護福祉士にでもなろうかと思い、
認知症の人達が暮らす小規模施設に就職した男性を描いている。
大森圭は、認知症の人達と上手にコミュニケーションがとれず、周囲の職員から度々指導を受ける。
新人・大森圭を指導する周辺の人々の人間関係も、素晴らしく描けている。
このような指導者に囲まれると、新人は人間的にも介護の専門家としても伸びる。
安心して任せることができる人材と施設である。
大森圭は、認知症の老女を介護し看取りまでをする。人と人とのコミュニケーションの大切さと、喜びを見出し、
介護職に正面から向き合い、やりがいを見出してゆくという内容である。
私も、このような介護士と施設にめぐり合いたい。