知人が、次のような聖書の言葉を送ってきた。
「たとえ山を動かすほどの強い信仰を持っていても、愛がなければ無価値です。」 コリント第一13:2
見ず知らずの人が困っている場合 返礼など期待せずに愛に動かされて助けたというニュースを聞くことがあります。
人間は愛の神の像に造られているので 揺りかごから墓場まで愛を必要とします。
他の人から愛を示されると嬉しくなり元気になりますし 他の人に愛や親切を示すと自分も元気になり幸福になります。
強い信仰があっても、愛なくば意味がないと言っているのであるが、
聖書の「愛」とは、とても実行できる愛ではない。恐ろしくて気軽に言葉にできるものではない。
追悼 なかにし礼さん 昭和の懐かしい歌を放映している。
なかにし礼さんの終戦時満州からの引き上げが、歌の土台になっているとの話である。
なかにしさんと同じ時代を生きた自分と重なる感情がある。
「石狩挽歌」は、思い当たることが多い。農家では、ニシンを肥料として田圃に差し込んでいた時がある。
しかし、物心ついた時には、ニシンの姿はなかった。
「昭和は輝いていた」との題であるが、今日よりは明日、今年よりは来年と夢や希望が広がる時代であった。
昔の歌ばかり聞いている。歌と同時に当時の情景を思い出し、感傷に浸っている。