通でがんす

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(旧ブログタイトル:通じゃのう)

日招き伝説 清盛と音戸

2012年02月19日 | 広島の話題
「清盛公日招像と日招き岩を紹介したけど、肝心の「清盛の日招き伝説」を紹介しとらんね」

「日招き伝説には2種類あるんじゃ。音戸の瀬戸を切り開くのに、1日で完成させたか、数ヶ月かけて完成させたか」

「うちが知っとるのは、1日で切り開いたという話じゃね」



厳島神社の巫女(みこ)は、むかし内侍(ないし)といった。
清盛がこの内侍の1人に恋をして、さまざまに云(い)い寄った。
女は難題を出した。

「1日の内に音戸(おんど)の瀬戸を切りひらいて、舟を通してみせて下されば、あなたになびきましょう」

そこで清盛は多くの人夫(にんぷ)を集め、工事をはじめた。
もう一息というところで、日が西に沈みかけたので、清盛は扇をひらいて日を招き返し、その日のうちに瀬戸をひらくことを得たという。

これには後日談があり、清盛が全身を焼く熱病で死ぬのは、このときの罰だとする。

(『ロマンの旅 日本の伝説13 山陽』世界文化社 1979年)




「これに対して、数ヶ月かけて完成させた話は…」



1164年、平清盛公は音戸の瀬戸開削工事に着手した。
竣工まで10ヶ月を要し、かなりの難工事も完成を間近に迎えた1165年7月16日、引き潮を見はからって完成の作業が行なわれることになった。
この時を期して是が非でも完成させねばならず、清盛公の激励、役人、人夫の血のにじむような努力が続けられたが、すでに夕日は西の空に傾き、長い夏の太陽の光りも陰り、足もとが暗くなりはじめた。

今ひと時 陽があればと、清盛公は考えた末、立ち上がり、急ぎ日迎山の岩頭に立ち、今にも沈まんとする太陽に向い、右手に金扇をかざし、日輪をさし招き「返せ、戻せ」とさけんだ。

すると不思議なことが起きた!

沈まんとする陽が戻り始めたのだ。
「それ、陽はあるぞ。」
清盛のかけ声に人々は一層工事に力を入れ、見事その日のうちに工事を完成させた。
ときに清盛公、48歳であったと伝えられている。

(チラシ『平清盛ゆかりの地 音戸の瀬戸絵巻』)






「この「清盛の日招き伝説」は、鳥取県の湖山(こやま)長者の伝説に似たところがあるんじゃ」

「それは、どんな伝説なん?」

「そのむかし、因幡(いなば)に湖山長者と呼ばれる長者がおって、1000ヘクタールもの田んぼを持っとったそうじゃ。その長者の田植えが1日で終わりそうにないので、沈む太陽を招き返したんよ」

「なんで?」

「長者の田植えは1日で終える、というきまりがあったからじゃそうな」

「へぇ…」

「無事に田植を終わらせた翌日、田んぼがあったところが湖になっとったという話なんよ。それが今の湖山池(こやまいけ)じゃそうな」





↓湖山長者については、こちら↓

「湖山長者」鳥取県公式サイト





「そういや、どういう理由で清盛は音戸の瀬戸を切り開いたんかね?」

「いろんな説があるんじゃが、おもなものは次の3つかの」


■厳島神社参詣のため

■日宋貿易のため

■海賊を支配するため


「「厳島神社参詣のため」とあるけど、京都から厳島神社へ行くには、音戸の瀬戸を通らんでも行けるよね」

「行けるけど、音戸の瀬戸を通ったほうが、近道じゃろうの」

「清盛は、厳島神社に何回行っちゃったんかね?」

「生涯に13回、参詣したといわれとるんじゃ」





↓清盛と呉市についての関連記事は、こちら↓

日招き岩 呉市警固屋

平清盛公日招像 呉市警固屋

清盛塚 呉市・音戸の瀬戸






「今日は、清盛の日招き伝説について話をさせてもらいました」

「ほいじゃあ、またの」
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日招き岩 呉市警固屋

2012年02月05日 | 広島の話題
「広島県にある、平清盛ゆかりの地を紹介するシリーズの第5弾」

「先週は呉市警固屋(けごや)高烏台(たかがらすだい)にある平清盛公日招像じゃったけど、今日は?」

「今日は、日招き岩を紹介してみようかの」

「日招き岩!?」

「日招像は今から45年前の1967(昭和42)年に建てられた、というのはこの間、話したよの」

「ということは、この日招き岩の上で清盛が実際に日招きをしたということ?」

「ほうなんよ。この岩の上には清盛の足跡も残されとるんじゃ」

「まさか…」

「平清盛公日招像から山道を歩いて降りると、案内板があるんよ」





「これに沿って歩いていくと、こんな看板が立っとるんじゃ」





遺跡”日招き岩”

音戸の瀬戸切り開き工事を急ぐ平清盛公が日迎山(高烏)の岩上に立って天に祈り、金の扇を開いて西に沈む太陽を中天に招きかえし永萬元年(一一六五年)七月十日、その日のうちにこの難事業を完成させたという伝説の岩で、清盛公の足あとと杖を突いたというくぼみがある

呉市観光協会



「足跡だけじゃのうて、杖を突いたくぼみもあるんじゃね」

「ここからさらに進むと…」





「これが日招き岩?」

「ほうなんよ。岩の上を見ると…」



日招き岩の上に残る、清盛の足跡と杖を突いたくぼみ


「えぇーっ!? ほんまに清盛の足跡が残っとるわけ?」

「もちろん、本物じゃとは思うとらんで。ほいじゃが、わしゃ、こういう遊び心のあるもんが大好きなんじゃ」

「足跡はすぐにわかるけど、杖を突いたくぼみはどこにあるん?」

「左足のすぐ前にあるんじゃが、写真じゃわかりにくいかもしれんの」





「横から見ると、平らな岩なんじゃね」

「金の扇を手にした清盛は、この岩の上から、瀬戸内の海に沈んでいく夕陽を招き返したんじゃろうの」

「この岩の上に立つと、清盛になったような気分になれるじゃろうね」



日招き岩から見る音戸の瀬戸
(赤い橋は第2音戸大橋)



「なるほど。ここからは音戸の瀬戸が一目で見渡せるんじゃね」

「もともとここは木が茂っとって、音戸の瀬戸は見えんかったんじゃ。ほいじゃが、音戸の瀬戸が見えるようにと、NHK大河ドラマ『平清盛』放送に合わせて木を切られたんじゃそうな」





訪問日:2011(平成23)年12月11日





↓広島県にある平清盛ゆかりの地についての関連記事は、こちら↓

平清盛公日招像 呉市警固屋

清盛塚 呉市・音戸の瀬戸

疱瘡神社 広島市南区






「今日は、呉市警固屋の高烏台にある日招き岩について話をさせてもらいました」

「ほいじゃあ、またの」
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タバコ「CHERRY」が「桜」に 敵性語について

2012年02月04日 | 日記
「敵性語って、聞いたことがない言葉じゃけど、何じゃろ?」

「自分の国と敵対しとる国や戦争をしとる国、つまり敵の国で使われとる言葉のことじゃの。太平洋戦争中、日本では交戦国のアメリカやイギリスで使われとる英語を「敵性」として、英語を排斥する運動が行われたんじゃ」

「「鬼畜米英(きちくべいえい)」という言葉があった時代じゃね」

「昨年末、大和ミュージアムに行ったとき、映画『山本五十六』の撮影で使われた品物が展示してあって、そこにタバコも展示してあったんよ」




映画『山本五十六』劇中使用品
左からCHERRY、櫻、金鵄
(撮影日:2011年12月18日)




「CHERRY(チェリー)、櫻(桜)…。ん? 「CHERRY」って「櫻」のことじゃないかいね?」

「ほうなんよ。「CHERRY」というタバコが「櫻」という名前に変えられたんじゃ」

「敵性語ということで、英語から日本語に置き換えられたんじゃね。この、「金なんちゃら」というタバコは?」

「「金鵄(きんし)」は「ゴールデンバット」という名前のタバコじゃったんよ。「バット(BAT)」は「コウモリ」じゃけぇ「黄金コウモリ」か「黄金バット」になるはずなんじゃが、神武天皇(じんむてんのう)の神話にちなんだ「金鵄」に名前を変えられたんじゃ」

「むかしアニメで『黄金バット』というのがあったよね?」

「わしゃ、そのむかし、アニメ版(1967年~1968年)のレコードを持っとったがのう。ちなみに『黄金バット』は、戦前から戦後にかけて紙芝居のヒーローじゃったんよ」

「コウモリさん、助けて…」

「映画の中では画面にタバコがチラッと映ったんじゃが、敵性語に関してどうこうという話はなかったの」



昭和十六年になると巷(ちまた)では、各方面で日本精神強調による戦時体制化が徹底されていきます。やがて戦うことになるかもしれない対米英戦争のための準備でした。

(略)

また、文部省が阿呆(あほ)らしくも「ドレミファソラシド」を「ハニホヘトイロ」に改めたのが四月一日のことでした。

(半藤一利『聯合艦隊司令長官 山本五十六』文藝春秋 2011年)




「あぁ、「ハニホヘト」が出てきたのはこの時代じゃったんじゃね」

「わしゃ、音楽に疎(うと)いけぇ聞いてみるんじゃが、「イロハ」じゃのうて、「ハニホヘト」という順番に並んどるということは、日本の「イ」は、ドレミの「ラ」にあたるということなんかの?」

「ほうじゃね。書いて説明してみようか」



イタリア式 : Do、Re、Mi、Fa、Sol、La、Si、Do

日 本 式 : ハ、 ニ、 ホ、 ヘ、 ト、 イ、 ロ、 ハ

アメリカ式 : C、 D、 E、 F、 G、 A、 B、 C




「ドレミはもともとイタリア語で、「ド(Do)」が基準の音になるんよ。日本とアメリカでは「ラ」の音が基準になるんよね」

「「ヘ長調」とか「イ短調」とかいうのは、この「ハニホヘト」からきとるんか?」

「ほうなんよ。例えば、「ハ長調」の「ハ」は日本式の「ハ」じゃけぇ、イタリア式で「ド(Do)」、アメリカ式で「C」になるわけ。つまり、「ハ長調」と「ド長調」と「C長調」は同じ、ということになるんよ」

「ほぉ…。勉強になるのう」

「うちも、たまにゃ役に立つじゃろ。ところで、ほかにどんな敵性語があったんかね?」

「音楽でいうと、「ピアノ」が「洋琴(ようきん)」」

「西洋の琴か。これは分かりやすいね」

「「トロンボーン」が「抜き差し曲がり金真鍮喇叭(ぬきさしまがりがねしんちゅうらっぱ)」」

「「抜き差し」とか「曲がり金」とか、苦労の跡がしのばれるね」

「あとは、「コントラバス」が「妖怪的四弦(ようかいてきよんげん)」

「なんで「妖怪」なんじゃろ?」

「以下、わしが面白そうじゃと思うた敵性語を列記しときます」



あきれたぼういず(ボーイズグループ) → 新興快速舞隊(しんこうかいそくぶたい)

アナウンサー → 放送員(ほうそういん)

カレーライス → 辛味入汁掛飯(からみいりしるかけめし)

キャラメル → 軍粮精(ぐんろうせい)

クロール → 速泳(そくえい)

ゴルフ → 芝球(しきゅう)

コロッケ → 油揚げ肉饅頭(あぶらあげにくまんじゅう)

サイダー → 噴出水(ふんしゅっすい)

サッカー → 蹴球(しゅうきゅう)

ディック・ミネ(歌手) → 三根耕一(みね こういち)

パールハーバー → 真珠湾(しんじゅわん)

フライ → 洋天(ようてん)

(野球の)アウト → ひけ 倒退

(野球の)ストライク → よし 本球

(野球の)セーフ → 占塁

(野球の)ボール → だめ 外球




「NHKドラマ『坂の上の雲』でも出てきたけど、野球の用語は正岡子規(まさおか しき)らが翻訳しよったね」

「「ベースボール」を、自分の名前(升(のぼる))にひっかけて「野球(のぼーる)」と訳したという話は面白かったのう」

「漢字で、投手、打者、走者、遊撃手…。今でも使われとる言葉が多いもんね」

「野球は敵国・アメリカの事実上の国技じゃったけぇ、野球自体の排斥運動も起こったんよ。プロ野球は1944(昭和19)年の秋から翌1945(昭和20)年まで中止されたんじゃ」

「そういや、高校野球も中止されとったんよね」

「春のセンバツは1942(昭和17)年から戦後の1946(昭和21)年まで、夏の甲子園は1941(昭和16)年から年から1945(昭和20)まで中止されとったんじゃ」





↓敵性語については、こちら↓

「敵性語」ウィキペディア





↓大和ミュージアムについての関連記事は、こちら↓

映画『聯合艦隊司令長官 山本五十六』

特殊潜航艇 甲標的甲型

夕日に眠る 戦艦大和






「今日は、敵性語について話をさせてもらいました」

「ほいじゃあ、またの」
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節分の恵方巻きにいかが 江波巻き

2012年02月02日 | 季節の話題
「明日は節分じゃね」

「ぼちぼち恵方巻も飽きてきたのう」

「今年の節分は、これを作ってみようと思うんじゃけど…」

「江波(えば)巻き!? 聞いたことがない食べ物じゃの」

「うちも、この記事を読むまで知らなかったんじゃけどね」




(「温かご飯 広島の味くるり 江波巻き」中国新聞 2012年1月20日)



「見たところ、両端を結んである巻きずしのように見えるんじゃがのう」

「お酢を使うとらんけぇ、巻きずしというよりはおにぎりじゃね。形が鉄砲の形に似とるけぇ、「テッポウ」とも呼ばれとるんじゃと」

「なるほどのう。ほいで、どういう風にして作るんじゃろうか?」

「まず、巻き簾(す)の上に、さっとあぶったのりを置いて、その上に炊き立てのアツアツのご飯を載せる」

「ふんふん…」

「そこに刻んだ広島菜や、かつおぶしをしょうゆであえた具を載(の)せる」

「え!? 具って、それだけなんか?」

「それだけなんじゃと。それらを巻いで、最後に巻き簾の上から両端をきゅっと閉じてできあがり」

「えらい簡単にできるもんじゃのう。それにしても、巻き簾ってそんなにしなるもんかいの?」

「巻き簾は、のりすきに使われる細い竹で編んであるんよ。ほいじゃけぇ、ふつうの巻き簾よりもしなるんじゃと」

「のりすき? ほうか、江波はのりの養殖が盛んじゃったよの」



のり‐すき【海苔漉き】
板ノリを作ること。
生ノリを細かく刻み、簀(す)の上に並べた木枠に流し込んで水気を切り、天日で乾燥させる工程をいう。

(デジタル大辞泉)




「昭和40年ごろまで、約800軒の家でのりの養殖をしよった、いうて書いてあったね」

「その作業の合間に手軽に食べれるのが江波巻きじゃった、というわけじゃの」

「両側を閉じとるけぇ、片手で持って丸かじりしても、中身の具が出てくることがないんよ」

「ほうか。巻きずしのように両端を切っとったら、具が反対側からはみ出してしまうけぇの」

「それに、どの家にもある材料で、誰でも簡単に作れるんよね」

「おにぎりじゃと思えば、いろんな具を入れてもええんじゃの」

「具はちりめんじゃこ、白菜漬け、たくあん、つくだ煮なんかでもOKなんじゃと」

「へぇ…」

「江波巻きに使うのりも、破れたり縮んだりして商品にならない傷ものののりを使うとっちゃったんよ」

「なるほどのう」

「ところで、江波でののりの養殖が始まったのはいつごろなんじゃろうか?」

「江戸時代の中ごろからじゃそうな。のりいうたら、こうの史代の『この世界の片隅に』(双葉社)にも出てきとったの」

「冬にのりを天日干しよっちゃったね」

「余談じゃが、広島の港いうたら宇品(うじな)よの。ほいじゃが、江波が広島の港になっとったかもしれんのじゃ」

「ほんま?」

「1889(明治22)年に広島県知事の千田貞暁(せんだ さだあき)が宇品港を作るまでは、江波が広島の外港(がいこう)で、大きな船は江波に着きよったんじゃ」

「へぇ。そうなんじゃ」

「あと、2月の第2日曜日には、広島市南区の江波山公園で「南の風EBAあそび」というイベントが開かれとるんじゃの」

「今年で20回目になるそうじゃね。2月の第2日曜日といえば、今年は2月12日じゃね」





↓江波巻きについては、こちら↓

「磯の香 がぶりほおばる  6.江波巻き―広島市」中国新聞 2003年2月23日





↓節分についての関連記事は、こちら↓

節分と恵方巻き

広島のセブン-イレブンが恵方巻を売り始めたのがきっかけで全国に広まったが、それは何年だった?






↓江波についての関連記事は、こちら↓

おさんぎつね 広島市中区江波





「今日は、江波巻きについて話をさせてもらいました」

「ほいじゃあ、またの」
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日南キャンプ開始から50周年 広島東洋カープ

2012年02月01日 | スポーツ
「プロ野球は今日からキャンプ入りじゃのう」

「カープは、沖縄と宮崎県の日南市でキャンプをするんじゃね」

「沖縄は沖縄市野球場で、日南は天福(てんぷく)球場じゃの。カープが、その日南でキャンプを始めてから、今年(2012年)で50周年になるそうじゃ」

「へぇ。そんなになるんじゃね」

「1963(昭和38)年の春から、日南市でカープが春と秋のキャンプをしよるんよ。ちなみに、日南の天福球場が完成したのは、その前の年の1962(昭和37)年なんじゃ」




50周年記念事業イメージマーク
(宮崎県商工会議所連合会ホームページより)




「おぉ、50周年イメージマークまで作って、力が入っとるねぇ。何か記念行事をしてんじゃろうか?」

「まず、2月16日(木)にホテルシーズン日南で「日南キャンプ50周年記念祝賀会」があるそうじゃ」

「「優勝記念祝賀会」も、ぜひやりたいね! ほいじゃけど、なんで2月16日になんかね?」

「沖縄でキャンプをしとる主力組が、2月14日(火)に日南へ移動するけぇじゃないんかの。ちなみに沖縄組には、野村祐輔(のむら ゆうすけ)、菊池涼介(きくち りょうすけ)、土生翔平(はぶ しょうへい)の新人3人と、新外国人のミコライオとスタビノアも参加するんじゃ」

「へぇ…」

「2月1日(水)からは、天福球場2Fミーティングルームで「カープ50周年記念歴史展」があるんじゃと」

「記念歴史展?」

「むかしのものから最近のものまで、全部で50点の写真を展示するそうじゃ」

「ということは、むかしの白黒写真なんかもあるんじゃろうね」

「あと、焼酎の蔵元3社から、カープのラベルを張った焼酎も売り出されるんじゃと」

「お父さんの好きな芋焼酎じゃね。ちなみに1963年には、どんな選手が活躍したんかね?」

「この年に活躍したのが古葉竹識(こば たけし)じゃ」

「古葉さんいうたら、元広島カープの監督じゃね」

「古葉さんが巨人の長嶋茂雄(ながしま しげお)と首位打者争いを演じたのが、1963年じゃったんよ」



だがその年の10月、古葉を悲劇が襲う。
投球を顔面に受けた古葉はそのまま救急車で市内の病院へ搬送される。
アゴの骨折で全治2カ月と診断されたのだった。
首位打者争いをリタイアする形となった古葉は、打率2位に終わる。
入院中のベッドには長嶋が見舞いに贈った花が飾られていたという。

(『ありがとう! 栄光の広島市民球場[保存版]』洋泉社 2010年)




「最終的に、2厘差で長嶋さんがタイトルを獲られたんよ。ほいじゃがこの年の古葉さんは、ベストナインや、オールスターゲームの第3戦のMVPにも選ばれとるんじゃ」

「今年もそういう選手が出てきて欲しいね」





↓広島カープ日南キャンプについては、こちら↓

「広島東洋カープ日南キャンプ 50周年記念事業」宮崎県商工会議所連合会

「“し”のひとりごと2 カープキャンプ直前」広島東洋カープ2012日南キャンプ情報サイト






「今日は、広島カープが日南でキャンプを初めてから50周年ということについて話をさせてもらいました」

「ほいじゃあ、またの」
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