「広島市は、中区昭和町(しょうわまち)にある市営平和アパートを建て替えることにしたそうじゃ」
市営平和アパート入口
手前が1号棟、奥が2号棟
「昭和町いうたら、お父さんが住んどったところじゃね」
「わしが1歳までじゃけぇ、何も覚えとらんのじゃがの。親父とお袋は結婚してからしばらくの間、昭和町にあった民家の2階に間借りして住んどったそうじゃ」
「この近くに住んどっちゃったんかね?」
「お袋に聞いてみたら、この近くに住んどったんじゃと。昭和市場というのがあって、買い物もそこでしよったそうじゃ」
「で、その市営平和アパートって、何か有名なものでもあるん?」
「広島市に戦後初めて建てられた鉄筋アパートで、そこに詩人の峠三吉(とうげ さんきち)も住んでおられたそうじゃ」
「峠三吉いうたら、「にんげんをかえせ」の詩で有名じゃね」
広島平和記念公園にある峠三吉詩碑
(撮影日:2010年4月29日)
「どこに住んでおられたんじゃろうか?」
「3号棟の4階に、1950年(昭和25年)から、亡くなった1953年(昭和28年)までおられたそうじゃ」
市営平和アパート3号棟
「このへんは爆心地からはどれくらいの距離があるんかね?」
「南東方向に、約1・7キロじゃの」
「すぐ前を京橋川(きょうばしがわ)が流れとるね」
「峠三吉は、部屋の窓から見える京橋川の眺めをヒントに、「河のある風景」をいう詩を作られたそうじゃ」
平和アパート内にある詩碑
この平和アパートは、昭和23・24年度に建設された広島市で初めての鉄筋コンクリート造の市営住宅です。
当時の住宅はほとんどが木造で、また、著しい住宅不足の時代でもあったため、モダンな住まいとして市民の注目をあびました。
恒久平和と焦土からの復興を願い「平和」の名を冠しています。
このアパートには、詩人峠三吉も入居し(昭和25年~28年)部屋の窓から京橋川を眺めてうたったと思われる詩「河のある風景」を残しています。
河のある風景
すでに落日は 都市に冷い
都市は入江の奥に 橋を爪立たせてひそまる
夕昏れる住宅の稀薄のなかに
時を喪った秋天のかけらを崩して
河流は 背中をそそけだてる
原爆詩集・「河のある風景」より
昭和62年度に、河岸に映える住宅づくりの一環として国の補助を受け景観改善事業を行いました。
昭和63年3月 広島市
(詩碑より)
「戦後は、広島だけじゃのうて、日本中で住宅不足じゃったろうね」
「そんな中、平和アパートは1949年(昭和24年)3月に完成したそうじゃ」
最初の鉄筋コンクリート造の住宅は、昭和町の4階建てで24年はじめに完成したが、鉄筋工が不足して苦労したという。
(『被爆50周年 図説戦後広島市 街と暮らしの50年』広島市 1996年)
「鉄筋工って、どんなことをしてんじゃろうか?」
「図面を基に、コンクリートの中に入れる鉄筋を配置・組立する職業じゃそうな」
「そうか。鉄筋コンクリートの建物を作る人が足らんかったんじゃね」
「建てる家といえば木造の時代じゃったじゃろうけぇの」
「建ってから63年もたっとるのに現役というのは、すごいね」
「建物が老朽化してしもうたけぇ、この度、建て替えることになったそうじゃ」
「写真を見ると、4階建で3棟あるんじゃね」
「全部で72戸。内部は6畳と8畳の和室2間と、台所があるそうじゃ」
訪問日:2012年(平成24年)2月19日
↓市営平和アパートについては、こちら↓
「平和アパート」arch-hiroshima 広島の建築
↓峠三吉『原爆詩集』については、こちら↓
峠三吉『原爆詩集』
「今日は、建て替えることになった広島市中区にある市営平和アパートについて話をさせてもらいました」
「ほいじゃあ、またの」
市営平和アパート入口
手前が1号棟、奥が2号棟
「昭和町いうたら、お父さんが住んどったところじゃね」
「わしが1歳までじゃけぇ、何も覚えとらんのじゃがの。親父とお袋は結婚してからしばらくの間、昭和町にあった民家の2階に間借りして住んどったそうじゃ」
「この近くに住んどっちゃったんかね?」
「お袋に聞いてみたら、この近くに住んどったんじゃと。昭和市場というのがあって、買い物もそこでしよったそうじゃ」
「で、その市営平和アパートって、何か有名なものでもあるん?」
「広島市に戦後初めて建てられた鉄筋アパートで、そこに詩人の峠三吉(とうげ さんきち)も住んでおられたそうじゃ」
「峠三吉いうたら、「にんげんをかえせ」の詩で有名じゃね」
広島平和記念公園にある峠三吉詩碑
(撮影日:2010年4月29日)
「どこに住んでおられたんじゃろうか?」
「3号棟の4階に、1950年(昭和25年)から、亡くなった1953年(昭和28年)までおられたそうじゃ」
市営平和アパート3号棟
「このへんは爆心地からはどれくらいの距離があるんかね?」
「南東方向に、約1・7キロじゃの」
「すぐ前を京橋川(きょうばしがわ)が流れとるね」
「峠三吉は、部屋の窓から見える京橋川の眺めをヒントに、「河のある風景」をいう詩を作られたそうじゃ」
平和アパート内にある詩碑
この平和アパートは、昭和23・24年度に建設された広島市で初めての鉄筋コンクリート造の市営住宅です。
当時の住宅はほとんどが木造で、また、著しい住宅不足の時代でもあったため、モダンな住まいとして市民の注目をあびました。
恒久平和と焦土からの復興を願い「平和」の名を冠しています。
このアパートには、詩人峠三吉も入居し(昭和25年~28年)部屋の窓から京橋川を眺めてうたったと思われる詩「河のある風景」を残しています。
河のある風景
すでに落日は 都市に冷い
都市は入江の奥に 橋を爪立たせてひそまる
夕昏れる住宅の稀薄のなかに
時を喪った秋天のかけらを崩して
河流は 背中をそそけだてる
原爆詩集・「河のある風景」より
昭和62年度に、河岸に映える住宅づくりの一環として国の補助を受け景観改善事業を行いました。
昭和63年3月 広島市
(詩碑より)
「戦後は、広島だけじゃのうて、日本中で住宅不足じゃったろうね」
「そんな中、平和アパートは1949年(昭和24年)3月に完成したそうじゃ」
最初の鉄筋コンクリート造の住宅は、昭和町の4階建てで24年はじめに完成したが、鉄筋工が不足して苦労したという。
(『被爆50周年 図説戦後広島市 街と暮らしの50年』広島市 1996年)
「鉄筋工って、どんなことをしてんじゃろうか?」
「図面を基に、コンクリートの中に入れる鉄筋を配置・組立する職業じゃそうな」
「そうか。鉄筋コンクリートの建物を作る人が足らんかったんじゃね」
「建てる家といえば木造の時代じゃったじゃろうけぇの」
「建ってから63年もたっとるのに現役というのは、すごいね」
「建物が老朽化してしもうたけぇ、この度、建て替えることになったそうじゃ」
「写真を見ると、4階建で3棟あるんじゃね」
「全部で72戸。内部は6畳と8畳の和室2間と、台所があるそうじゃ」
訪問日:2012年(平成24年)2月19日
↓市営平和アパートについては、こちら↓
「平和アパート」arch-hiroshima 広島の建築
↓峠三吉『原爆詩集』については、こちら↓
峠三吉『原爆詩集』
「今日は、建て替えることになった広島市中区にある市営平和アパートについて話をさせてもらいました」
「ほいじゃあ、またの」