通でがんす

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(旧ブログタイトル:通じゃのう)

JR戸坂駅から小田の渡し場碑 ぶらり中郡道(その1)

2015年04月30日 | 見て歩き
中郡道

岩海の地蔵堂

小田の土手跡・渡し場の石碑






「中郡道(なかごおりどう)って、何?」

「戦国時代のおわりころ、毛利元就(もうり もとなり)の孫・輝元(てるもと)が、瀬戸内海の近くに広島城を築いたのは知っとるよの」

「それまでは、県北の吉田にある郡山(こおりやま)を拠点にしとったんよ」

「その郡山から広島まで、人の往来や資材の運搬のために、在地領主に命じて平坦な道を選んで作らせた道が、中郡道じゃ」

「へぇ。で、どのあたりを通っとるん?」

「中郡道は、吉田から向原(むかいはら)へ出て、そこから三篠川(みささがわ)に沿って広島に行く。向原からは、今の芸備線とほぼ同じところを通っとるんじゃの」

「その芸備線が、今年で開業100年になるんじゃね」

「ということで、中郡道をぶらりと歩いてみようと思う」







「JR広島駅から芸備線に乗って、電車に揺られること約10分で、JR戸坂駅(へさかえき)に着く。昔も今も無人駅いうのは変わっとらんのう」

「懐かしいじゃろ?」

「懐かしいいうても、芸備線は高校時代の3年間でも5回くらいしか乗ったことがなかったけぇの。逆にいうと、芸備線に乗るんは35年ぶりくらいじゃ」







「高台にある駅からは、太田川(おおたがわ)に架かる安芸大橋(あきおおはし。画面中央の赤い橋)が見える」







「そびえるのは、標高約370メートルの松笠山(まつかさやま)」














「太田川河川敷から太田川を一望する」

「太田川の河口に広島デルタがあって、そこに今の広島の街があるんよね」







「太田川戸坂惣田(へさかそうだ)1丁目3番交差点で、写真の右側にある旧道、かつての中郡道に入る。このあたりで、地名は東区戸坂から安佐北区口田南(くちたみなみ)に変わるんじゃの」







「その旧道のすぐそばを芸備線が走る」







「しばらく行くと、天保13年(1842年)に建てられた岩海の地蔵堂があって、右側には松笠山への登山道がある」

「お地蔵さんいうことは、なにか御利益(ごりやく)があるん?」

「ここから湧き出る水で眼病、目の病気が治ったという伝説があるそうじゃ」







「ここには、立派な龍の彫り物(?)があったのう」







「すこし行くと、小田の土手跡・渡し場の石碑がある」

「土手?」

「むかしは、ここが川土手じゃったそうな」

「写真を見ると、右側が低うて左側が高うなっとるね」

「土を盛って川土手にしとったけぇ、今もこういう形で残っとるんじゃろうの」







右ハ 深川 狩留家 ヲ経テ三次ニ通ズ

「今の県道37号(広島三次線)も、深川・狩留家(かるが)を通って三次に行く道になっとるね」







左ハ 東野 渡経テ 古市ニ通ズ

「東野?」

「渡し船で渡った川向こうが東野で、アストラムラインの駅がある西原を通って行くと、古市(ふるいち)とか祇園があるんじゃ」







「今の太田川はこんな感じじゃが、むかしはこのあたりを渡し船で渡りよったんじゃね」







「どっかで見たようなバスが走って来ると思うたら…」

「これは、広島中心部を回るバス「めいぷる~ぷ」じゃん。なんでこのあたりを走っとるん?」

「ここから北にある高陽(こうよう)に中国JRバスの車庫があるけぇ、そっから広島市内へ回送しよる途中じゃろ」

「確かに。「すみません回送中です」って掲示してあるね」











↓中郡道については、こちら↓

てくてく中郡古道/フォトコンテスト/写真展





訪問日:2015年4月29日





「今日は、中郡道をJR戸坂駅から小田の渡し場碑まで紹介させてもらいました」

次回 は、教圓寺と平野神社を紹介する予定じゃ。ほいじゃあ、またの」

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