通でがんす

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(旧ブログタイトル:通じゃのう)

旧広島水上警察署(旧広島港湾事務所)

2023年06月01日 | 見て歩き
明治時代以降の日本では
近代化が図られ、
西洋風の外観を持つ
木造やレンガ造りの建物が
建てられるようになった。

今でも広島市内に残る
明治時代の木造洋風建築で、
被爆建物のひとつが、
旧広島水上警察署なんじゃの。




(撮影日:2018年2月11日)





今日は、
旧広島水上警察署
(旧広島港湾事務所)
についての話でがんす。





水上の警備と取り締まりを行う
水上警察署は1881(明治14)年、
広島県には広島と尾道に設置された。

広島には中島新町、
今の平和記念公園あたりに置かれた。

1886(明治19)年、
仁保島村宇品(にほじまむらうじな。
現:広島市南区元宇品(もとうじな))
へ移転したのち、
翌1887年、現在地に新築された
庁舎に入る。

1909(明治42)年、庁舎は
現在の木造2階建ての洋風建築に
建て替えられた。

1904(明治37)年6月、
水上警察署の中に設けられた
京橋分署宇品臨時出張所は、
同年9月に宇品分署となり、
1926(大正15)年、
宇品警察署へ昇格した。

1937(昭和12)年、
広島と尾道の水上警察署は廃止され、
宇品警察署がその業務を引き継ぐ。

日中戦争のただ中ということもあり、
その業務が増えて
場所も手狭となったため、
1938(昭和13)年に
増築と模様替えを行った。


1945(昭和20)年8月6日、
原子爆弾が投下され被爆。

爆心地から
約4600メートル離れていたが、
爆風で屋根が浮き、
増築部分は梁(はり)が折れるなど
被害を受けた。


戦後も警察署として使われたが、
1964(昭和39)年、
宇品警察署は広島南警察署として
新庁舎へ移転する。

翌年から広島港湾事務所として、
1981(昭和56)年からは
その倉庫として利用された。



↓広島南警察署については、こちら↓

「広島南警察署」広島県警察



↓広島港湾事務所については、こちら↓

「広島港湾振興事務所」広島県







(撮影日:2010年2月20日)




(撮影日:2018年2月11日)




(撮影日:2023年4月30日)


旧広島水上警察署を
北側から撮った写真を
3枚並べてみた。

2010年は建物を囲むフェンスもなく、
窓にはめられたベニヤ板(?)も
1階だけだった。

2018年には
建物の周囲にフェンスが設置され、
1階だけでなく
2階の窓にもベニヤ板がはめられ、
画面左下には
説明板が新設された。

今年(2023年)撮影したものは、
窓のベニヤ板が外され、
1階の外壁には
ペンキが塗られている。





(撮影日:2010年2月20日)




(撮影日:2023年4月30日)


玄関を比べてみると、
ペンキを塗っただけでなく、
白壁のはがれた所を修理し、
玄関上の丸い電球を取り付けてある。





(撮影日:2010年2月20日)


南側(海側)は
今はこういう形になっているが、
北側と同じような玄関が
南側にもあったという。

というのも、水上警察署時代は
海側が正面玄関で、
そのころは海だったところが
今は埋め立てられている。





(撮影日:2023年4月30日)


玄関から海へ下りていく階段が、
囲いからのぞいているのがわかる。



【参考文献】

被爆建造物調査研究会『ヒロシマの被爆建造物は語る』広島平和記念資料館 1996年 26ページ






今日は、
旧広島水上警察署
(旧広島港湾事務所)
について話をさせてもろうたでがんす。



ほいじゃあ、またの。

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