「今日はなんの日か知っとるか?」
「知っとるよね! 11月23日いうたら、勤労感謝の日じゃん」
「うーん、聞き方が悪かったのう。100年前の11月23日、広島市内にある乗り物が開業したんじゃが、その乗り物は何か知っとるかいの?」
「100年前!? 100年前いうたら、明治? 大正?」
「100年前といえば、1912年。この年の7月30日に明治天皇が崩御(ほうぎょ)したあと、大正(元年)になったんじゃ。それまでは明治(45年)じゃったんじゃがの」
「ということは、鉄道は開通しとるね」
「広島まで鉄道が開通したのが、1894年(明治27年)じゃの。山陽鉄道株式会社という会社が、神戸から西へ西へと鉄道網を伸ばしとったんじゃ」
「ひょっとして、かよこバス?」
「残念! それは1905年(明治38年)じゃ。かよこバスというのは、日本最初の国産バスで、横川と可部(かべ)の間を走ったといわれとるんじゃ」
「ということは、広電の市内電車じゃね?」
「正解!」
「へぇ…、開業して100年になるんじゃ。それで、開業したころは、どこを走りよったん?」
「広島駅~相生橋(あいおいばし)間、紙屋町(かみやちょう)~御幸橋(みゆきばし)間、八丁堀~白島(はくしま)間の3つの路線で開業したそうじゃ」
(注:広島駅~紙屋町~御幸橋間という説もあり)
「あれ? 己斐(こい)までは行っとらんかったん?」
「己斐まで開通したのは、約2週間遅れの12月8日じゃったそうな」
「広電の市内電車は、紙屋町から鷹野橋(たかのばし)まで、八丁堀から相生橋まで、あと白島までは、広島城の堀と堀川を埋め立てたところを走っとるんじゃ」
「えぇ?! 広島城のお堀って、今のところにあるだけじゃないん?」
「江戸時代、広島城には内堀と中堀、それと外堀という3つの堀があったんよ」
「へぇ…」
「その外堀を埋め立てて電車を通したのが、そのころ常盤橋(ときわばし)線と呼ばれとった今の白島線と、八丁堀から相生橋までになるんじゃ。ちなみに常盤橋線は、今の白島線より1本西側の道路を走っとったんじゃがの」
「広島城の東の外堀が八丁堀から白島、南の外堀が八丁堀から相生橋あたり。ということは、北の外堀はどのあたりまであったん?」
「常盤橋から三篠橋(みささばし)までの城北通りあたりじゃ」
「アストラムラインの城北駅もあるし、文字通り城北、お城の北にあたるんじゃね。西は?」
「旧太田川(きゅうおおたがわ(本川(ほんかわ))があって、こっちは自然の堀になっとったんじゃの」
「広島城って、結構広かったんじゃね。それで、紙屋町から鷹野橋までは?」
「西塔川(せいとうがわ)という川があったんじゃ」
「川?」
「川というより、運河というた方がええかもしれんの。広島城を築城するとき、海から資材を運び入れるために作られたそうじゃ」
「鉄道も自動車もない時代じゃけぇ、荷物は船で運ぶしかないよね。…え!? ひょっとして、鷹野橋って橋の名前じゃったん?」
「ほうじゃの。西塔川には、西塔橋・真菰橋・鷹野橋の3つの橋があったそうじゃ。西塔橋(西堂橋)は中電前、真菰橋は市役所前と名前を変えてしもうたが、鷹野橋の名前だけは今も残っとるよの」
「それで、今日はなにかやってん?」
「広電本社ビルと千田車庫で「広島電鉄100周年記念祭~路面電車物語~」が、10時30分から15時30分まであるそうじゃ。あと、開業時に走った花電車の再現運行もあるんじゃと」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/39/61eb141f4266ae418a6d6e1249cd2f9f.jpg)
↓広島電鉄100周年記念については、こちら↓
広島電鉄100周年記念サイト
特別展「広島の路面電車100年」広島市郷土資料館
↓広島電鉄についての関連記事は、こちら↓
カープ優勝記念切符~広島の路面電車100年 広島市郷土資料館(その1)
広島電鉄千田町変電所 広島市中区東千田町
第16回路面電車まつり 広電千田車庫
【参考文献】
長船友則『広電が走る街今昔』JTBパブリッシング 2005年
『広島の路面電車100年』広島市郷土資料館 2012年
『広島城の近代』広島城 2008年
「今日は、広島電鉄100周年記念について話をさせてもらいました」
「ほいじゃあ、またの」
「知っとるよね! 11月23日いうたら、勤労感謝の日じゃん」
「うーん、聞き方が悪かったのう。100年前の11月23日、広島市内にある乗り物が開業したんじゃが、その乗り物は何か知っとるかいの?」
「100年前!? 100年前いうたら、明治? 大正?」
「100年前といえば、1912年。この年の7月30日に明治天皇が崩御(ほうぎょ)したあと、大正(元年)になったんじゃ。それまでは明治(45年)じゃったんじゃがの」
「ということは、鉄道は開通しとるね」
「広島まで鉄道が開通したのが、1894年(明治27年)じゃの。山陽鉄道株式会社という会社が、神戸から西へ西へと鉄道網を伸ばしとったんじゃ」
「ひょっとして、かよこバス?」
「残念! それは1905年(明治38年)じゃ。かよこバスというのは、日本最初の国産バスで、横川と可部(かべ)の間を走ったといわれとるんじゃ」
「ということは、広電の市内電車じゃね?」
「正解!」
「へぇ…、開業して100年になるんじゃ。それで、開業したころは、どこを走りよったん?」
「広島駅~相生橋(あいおいばし)間、紙屋町(かみやちょう)~御幸橋(みゆきばし)間、八丁堀~白島(はくしま)間の3つの路線で開業したそうじゃ」
(注:広島駅~紙屋町~御幸橋間という説もあり)
「あれ? 己斐(こい)までは行っとらんかったん?」
「己斐まで開通したのは、約2週間遅れの12月8日じゃったそうな」
「広電の市内電車は、紙屋町から鷹野橋(たかのばし)まで、八丁堀から相生橋まで、あと白島までは、広島城の堀と堀川を埋め立てたところを走っとるんじゃ」
「えぇ?! 広島城のお堀って、今のところにあるだけじゃないん?」
「江戸時代、広島城には内堀と中堀、それと外堀という3つの堀があったんよ」
「へぇ…」
「その外堀を埋め立てて電車を通したのが、そのころ常盤橋(ときわばし)線と呼ばれとった今の白島線と、八丁堀から相生橋までになるんじゃ。ちなみに常盤橋線は、今の白島線より1本西側の道路を走っとったんじゃがの」
「広島城の東の外堀が八丁堀から白島、南の外堀が八丁堀から相生橋あたり。ということは、北の外堀はどのあたりまであったん?」
「常盤橋から三篠橋(みささばし)までの城北通りあたりじゃ」
「アストラムラインの城北駅もあるし、文字通り城北、お城の北にあたるんじゃね。西は?」
「旧太田川(きゅうおおたがわ(本川(ほんかわ))があって、こっちは自然の堀になっとったんじゃの」
「広島城って、結構広かったんじゃね。それで、紙屋町から鷹野橋までは?」
「西塔川(せいとうがわ)という川があったんじゃ」
「川?」
「川というより、運河というた方がええかもしれんの。広島城を築城するとき、海から資材を運び入れるために作られたそうじゃ」
「鉄道も自動車もない時代じゃけぇ、荷物は船で運ぶしかないよね。…え!? ひょっとして、鷹野橋って橋の名前じゃったん?」
「ほうじゃの。西塔川には、西塔橋・真菰橋・鷹野橋の3つの橋があったそうじゃ。西塔橋(西堂橋)は中電前、真菰橋は市役所前と名前を変えてしもうたが、鷹野橋の名前だけは今も残っとるよの」
「それで、今日はなにかやってん?」
「広電本社ビルと千田車庫で「広島電鉄100周年記念祭~路面電車物語~」が、10時30分から15時30分まであるそうじゃ。あと、開業時に走った花電車の再現運行もあるんじゃと」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/39/61eb141f4266ae418a6d6e1249cd2f9f.jpg)
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広島電鉄100周年記念サイト
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カープ優勝記念切符~広島の路面電車100年 広島市郷土資料館(その1)
広島電鉄千田町変電所 広島市中区東千田町
第16回路面電車まつり 広電千田車庫
【参考文献】
長船友則『広電が走る街今昔』JTBパブリッシング 2005年
『広島の路面電車100年』広島市郷土資料館 2012年
『広島城の近代』広島城 2008年
「今日は、広島電鉄100周年記念について話をさせてもらいました」
「ほいじゃあ、またの」
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