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広島城天守閣に展示されている金箔瓦は?

2010年05月30日 | 広島の話題

瓦は仏教と共に日本に伝来し、飛鳥寺(あすかでら)で使われたのが最初じゃそうな。
近世に入ると城郭建築にも用いられるようになり、安土桃山時代には、鯱瓦(しゃちがわら)や鬼瓦(おにがわら)に金箔(きんぱく)を施した金箔瓦が作られるようになったそうじゃ。



【問題】
2009(平成21)年1月に出土し、現在、広島城天守閣で展示されている金箔瓦は、次のうちどれでしょうか?

1.鬼瓦(おにがわら)
2.桟瓦(さんがわら)
3.鴟尾瓦(しびがわら)
4.鯱瓦(しゃちがわら)









【正解】
4.鯱瓦




【解説】
広島市中区の広島城天守閣で29日、金箔鯱瓦の展示が始まった。
中堀近くの井戸で昨年1月に出土。雌雄一対では初公開。6月6日まで。


雄が高さ69・5センチ、雌は66・6センチ。
胴体と上あご、左右の下あごの四つを組み合わせる構造で、雌雄一対がほぼ完全な形で見つかるのは全国初。
築城時の16世紀末の製作とみられる。


同じ井戸から出土した金箔鬼瓦、広島東南ロータリークラブが市に寄贈した金箔鯱瓦と金箔鬼瓦のレプリカも展示。
出土の様子を写真パネル5枚で紹介している。


(「金箔鯱瓦を公開 広島城」中国新聞 2010年5月30日)
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201005300014.html



今日は、「広島城の金箔鯱瓦」「名古屋城の金のしゃちほこ」「金箔鯱瓦」について調べてみようかの。



まずは、広島城の金箔鯱瓦について。

金箔鯱瓦は昨年の1月、広島城に近い広島市中区の広島合同庁舎建設予定地の発掘調査で、井戸の跡から見つかったんじゃ。
何がすごいのかというと、ほぼ完全な形で出土したのは全国で初めて。
今までに発見された鯱瓦は、すべて上下2分割式なのに対して、広島城のものは4分割式なんじゃ。
しかも、土ではなく地下水の中にあったために、金箔の状態がええんじゃそうな。

鯱の外観は、織田信長が安土城に飾った鯱瓦と似ているそうじゃ。
使われた粘土を分析してみると、広島平野から東広島市あたりの粘土が使われとった。
ほいじゃけぇ、この金箔鯱瓦は安土城のものを真似て、広島で試行錯誤しながら作った可能性が高いそうじゃ。

また、紫外線に弱いはずの漆(うるし)がきれいに残っているところから、屋根に設置されてから比較的早い時期に取り外されたのではないかと考えられる。
漆は、瓦と金箔を接着するために塗っとるんじゃが、漆は紫外線に弱いので、屋外に置いておくと漆が落ちて、金箔がはがれてしまうそうじゃ。

というわけで、毛利氏の時代(1589年~1600年)に作られて屋根に飾られた金箔鯱瓦が、福島氏か淺野氏の初期の時代に、何らかの理由で取り外されて、井戸に納められた可能性が高いということじゃそうな。

ウィキペディアには、広島大学の三浦正幸教授の推測が紹介されとります。



毛利輝元が防長2国に移封された後に広島城に入った福島正則が本丸櫓(やぐら)門から取り外し、城主交代を広く知らしめるために、儀式的な意味で丁重に井戸に沈めて埋納したのではないか。

(「広島城」ウィキペディア)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%83%E5%B3%B6%E5%9F%8E



↓金箔鯱瓦の発掘調査については、こちら↓

「広島城跡(上八丁掘地点)発掘調査成果報告会 2009年11月29日」株式会社パスコ
http://www.pasco.co.jp/recommend/feature/sp119/



↓三浦正幸については、こちら↓

文化財学 三浦研究室
http://home.hiroshima-u.ac.jp/~miurayu/



次に、名古屋城の金のしゃちほこについて。

「金のしゃちほこ」といえば、名古屋城。
広島城の金箔鯱瓦は、焼き物の鯱瓦に漆を塗って、そこに金箔を張ったものじゃったが、名古屋城の金鯱は「金板張木造鯱」。
木で造った鯱に、金を張っていくというものじゃそうな。



1612(慶長17)年、名古屋城天守が竣工した当時の金鯱は一対で慶長大判1940枚分、純金にして215.3kgの金が使用されたといわれている。
高さは約2.74メートルあった。

1871(明治4)年に政府に献納され、東京の宮内省に納められた。
その後、雄鯱は国内の博覧会を巡り、雌鯱は1873(明治6)年のウィーン万国博覧会に出品された。
金鯱が大天守に戻ったのは1879(明治12)年2月である。


1945(昭和20)年に名古屋大空襲で焼失している。

(「名古屋城」ウィキペディア)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8D%E5%8F%A4%E5%B1%8B%E5%9F%8E



金だけで215.3kgも使われたという金鯱。
重機のない時代に、どうやって天守閣の屋根まで持ち上げたんじゃろうか?

愛知県名古屋市に本社がある、スタンプメーカーの「シヤチハタ」という社名も、この金鯱に由来しとるんじゃそうな。
Jリーグの名古屋グランパスの「グランパス」も、英語の「鯱」を意味する「グランパス=grampus」から取られとるそうじゃ。



最後に、金箔鯱瓦について。

金箔鯱瓦は、織田信長が築いた安土城(あづちじょう)で使われたのが始まりとされる。
信長の後を継いだ豊臣秀吉も大坂城に金箔鯱瓦を使い、諸大名たちにも許可制で認めていたそうじゃ。

ちなみに、安土城で発掘される金箔瓦は凹部に金箔を押しとるんじゃが、大坂城のものは凸部に金箔を押しとるそうじゃ。

鯱は、頭は虎か龍、背中には鋭いとげを持っていて、尾ひれは空を向いているという、魚に似た想像上の動物。
口から水を吐くことから、火除けのために屋根に置かれるようになったそうじゃ。



選択肢1の鬼瓦(おにがわら)は、厄除けのために飾られとります。
今回の広島城から出土した金箔鯱瓦と一緒に「鬼板瓦(おにいたがわら)」も出土したそうじゃ。
文字どおり「鬼」が彫られるようになったのは江戸時代以降だそうで、広島城のものは板屋貝(いたやがい)という、貝殻がホタテガイに似た貝をかたどって作られとります。
なぜ、板屋貝なのかという理由はわからっとらんそうじゃ。



選択肢3の鴟尾(しび)も、鯱と同じく火除けのまじないのために飾られた。
歴史的には鴟尾が先で、鴟尾から鯱に変化していったということじゃ。



記事の中にあったが、展示されている金箔鯱瓦と金箔鬼瓦のレプリカは、広島東南ロータリークラブから寄贈されたもの。
これは同クラブが今年の2月1日、創立50周年を迎えたことを記念して作られたそうで、製作費は、なんと1000万円もかかったそうな。



金箔鯱瓦を見るだけでなく説明も受けられたい方は、日曜日の午前11時と午後2時の2回、説明会があるそうじゃけえ、参加されてみてはいかがですかの。

↓くわしくは、こちら↓

広島城ホームページ
http://www.rijo-castle.jp/rijo/main.html



↓金箔鯱瓦についての過去の記事は、こちら↓

広島城天守閣に展示されている金箔瓦は?
http://blog.goo.ne.jp/hiroshima-2/d/20101122



今日は、「広島城の金箔鯱瓦」「名古屋城の金のしゃちほこ」「金箔鯱瓦」について勉強をさせてもらいました。
今日もひとつ勉強になったでがんす。



ほいじゃあ、またの。



(2010年11月22日 全面改訂)


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