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次のうち被爆建造物でないのはどれでしょう?

2009年11月27日 | 広島の話題
原爆の投下された広島には、「被爆建物」がいくつか保存されています。


【問題】
次のうち被爆建造物でないのはどれでしょう?

1.福屋百貨店(八丁堀本店)  2.旧日本銀行広島支店  3.広島アンデルセン  4.広島銀行本店


【ヒント】
写真がついないのでわかりにくいが、戦前の建物はレンガ造りか、ヨーロッパ風建築が多かった。(ような気がする…)



ひろしま通認定試験は2009(平成21)年12月6日(日)実施です。



【解答】
4.広島銀行本店


【解説】
広島市では1993(平成5)年に「被爆建物等保存・継承実施要綱」を定め、爆心地から5キロメートル以内に現存する建物などを被爆建物台帳に登録し、所有者に保存・継承の協力を呼びかけている。
平成19年3月1日現在、原爆ドームをはじめとする91件の被爆建物が残っている。

被爆建物・樹木・橋梁について 広島市


福屋は、今から80年前の1929年(昭和4年)に開店。
1938年(昭和13年)に開館した本館は、外壁にテラコッタ(素焼きの陶器)を張り付けているところから「白亜の殿堂」と呼ばれていた。
被爆直前は軍事関係に接収され、外壁には黒褐色の塗料が塗られた。
爆心地から710メートルの距離にあり、内部は全焼したものの、倒壊はまぬがれた。
1972(昭和47)年の増改修工事で、外壁を当初のテラコッタに復元して現在に至る。


旧日本銀行広島支店は、1936(昭和11)年に建てられた。
ギリシャ建築・ローマ建築風の古典様式で、広島における昭和初期を代表する建築物の一つ。
日銀支店ということから堅牢に造られていたため、爆心地からわずか380メートルという近距離であったが、大破はまぬがれた。
被爆当日は負傷者の収容所となったが、翌々日の8月8日には、早くも銀行の支払い業務が開始された。
現在では、ギャラリーや音楽ホールなどとしても利用されている。


広島アンデルセンの建物は1925(大正14)年、三井銀行(現在の三井住友銀行)の広島支店として建てられ、被爆時は帝国銀行広島支店として使用されていた。
爆心地から360メートルという近距離にあったため、屋根のほとんどが落ち、内部も崩壊、北西部の外壁が吹き飛ぶなど大破した。
戦後、修理され、1950(昭和25)年に営業を再開した。
1967(昭和42)年にタカキベーカリーが建物を買い取り、レストランなどを併設したパンと洋菓子の店「広島アンデルセン」としてオープンした。
建て替えも検討されていたが、元のヨーロッパの古い建物を生かして改装を行った。

広島銀行本店は1965(昭和40)年に完成した建物。
広島銀行自体は、1945(昭和20)5月、5つの銀行が合併してできた。


わしが小さいころ「買い物」というと、福屋八丁堀本店か、中央通りを隔てて東側にある天満屋広島八丁堀店か、本通り商店街に行きよったもんじゃ。
そごう広島店も広島三越もなかったけえの。

♪あふれる夢 ふくらむ夢 ふたりの夢 ララ 福屋~
♪歩いて楽し 本通り

なんて歌、今でも歌えるで。
そういや昔、中央通りで日曜日ごとに歩行者天国があったよのう。
くわしいことを覚えとる人がおったら、教えてください。

日本銀行の活用の仕方は、ようわからん。
時々、思い出したように催し物をしとるくらいじゃ。
広島市はどう活用するつもりなんですかのう?

広島アンデルセンは、時々、寄らせてもらいます。
石窯で焼いたパンが、うまい。
大きい窓と、落ち着いた雰囲気がええですのう。

広島アンデルセン 建物の歴史 アンデルセン



今日は、被爆建造物について勉強をさせてもらいました。
広島アンデルセンの建物が、元々、銀行の建物だったというのは、今回はじめて知りました。
今日もひとつ勉強になったでがんす。


「ひろしま通」の過去問は、「ひろしまファンクラブ」というメールマガジンに出とります。


ほいじゃあ、またの。

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