通でがんす

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「ヒロシマの火 平和への灯」 NHK広島放送局 広島市中区大手町

2011年09月27日 | 広島の話題
「昨日、平和の火(=原爆の火)の話をしたじゃろ。あの火はどっかに分けとってんかね?」

「各地に分火(ぶんか)されとって、広島にもあるんじゃ」

「どこ?」

「2つあって、ひとつはNHK広島放送局、もうひとつは広島ガスの追憶碑に使われとるんじゃと」

「広島ガスの碑は元安川の河川敷にあるよね。NHKはどこにあったっけ?」

「NHK広島放送局の100メートル道路側(南側)にあるんよ」




NHK広島放送局の3つのモニュメント
(左手前)ヒロシマの火 平和への灯
(中央)被爆放送局の碑
(右奥)原爆之碑




「そういえば、フラワーフェスティバルの時に見たような記憶があるような…」





モニュメント「ヒロシマの火 平和への灯」

このモニュメントには、広島平和記念公園の「平和の灯」と福岡県星野村の「平和の火」から分火された、“2つの火”が灯されています。
「平和の火」は、1945年(昭和20年)福岡県星野村出身の山本達雄さんが、原爆で亡くなられた親戚の形見として、廃墟となった広島の街から持ち帰った“原爆の火”です。
自らも被爆した山本さんは、多くの尊い命が奪われた“ヒロシマを忘れてはならない”と、自宅で絶やすことなく火を守り続けました。
その後、1968年(昭和43年)この火は「平和の火」として星野村に引き継がれ、広島から遠く離れた地で、被爆後62年の今も、燃え続けています。
NHK広島放送局では、広島平和記念公園と星野村の“2つの火”を合わせ、原爆で亡くなられた方々の慰霊、また核廃絶と恒久平和を願う“ヒロシマの祈りの火”として灯し続けていきます。
題字は、書家で被爆者でもある森下 弘さん(広島市佐伯区)にお願いしました。

2007年(平成19年)8月



「ヒロシマの火 平和への灯」案内板



「ヒロシマの火 平和への灯」



同上 アップ




「この火は、星野村の平和の火と、広島平和記念公園の平和の灯の2つの火を合わせとるんじゃね」

「NHK広島放送局3階のハートプラザに行くと、この灯のリーフレットが置いてあって、約10分の紹介ビデオを見ることができるんじゃ」





平和への誓い ~被爆放送局の碑~

1928年(昭和3年)に完成した初代のNHK広島放送局は、爆心地から約1キロメートルの上流川町(現在の幟町3-30)にありました。
1945年8月6日、原爆投下により放送局も壊滅的な状態となりましたが、翌日には被災を免れた施設を使って放送を再開しました。放送局は、翌年秋には修復されています。
NHKは、1960年に現在の大手町に移転してきましたが、被爆した旧局舎は、1997年(平成9年)に老巧化により解体されるまで、福屋百貨店幟町別館として利用されてきました。
2005年、被爆60年にあたり同建物の縁石の一部をここに保存し、被爆地の放送局として、核兵器の恐ろしさを世界に伝え、恒久平和の願いを永遠に受け継いでいくことを誓います。
(この碑は、原爆が投下された「午前8時15分」を表しています。)

2005年(平成17年)8月



平和への誓い 案内板



平和への誓い




「うん。午前8時15分を指しとるね」

「原爆が投下された時、NHKの放送局は幟町(のぼりまち)にあったんよ。その頃はNHK広島中央放送局と呼ばれとったそうじゃ」

「被爆の翌日から放送を再開しちゃったんじゃね」

「当時、安佐郡祇園町(現:安佐南区祇園町)にあった原放送所の予備スタジオで放送を再開されたそうじゃ」






NHK広島中央放送局(現:福屋食品館FRED)



同上 西側壁面




NHK広島中央放送局
(爆心地から約1キロメートル)

この写真の建物は、NHKのラジオ放送の開始に合わせ1928(昭和3)年に完成し、地域文化の向上に大きな役割を果たしました。
1945年8月6日午前8時10分すぎ、警戒警報発令の放送にかかったとき、原爆がさく裂し、放送局の機能は停止しました。在籍職員260名中34人がその日のうちに死亡しました。
戦後、福屋百貨店が幟町別館として利用しましたが、1997年9月、老巧化のため解体されました。被爆の惨禍を後世に伝えるため、同建物の縁石の一部をここに保存しています。



NHK広島中央放送局 案内板




「ほうか。あのころはラジオじゃったんよね」

「放送開始当初の1日の放送時間は、5時間30分じゃったそうじゃ」

「へぇ…。日本でラジオ放送が始まったのは、いつじゃったっけ?」

「日本初のラジオ放送は1925年(大正14)3月、社団法人東京放送局(現:NHK東京放送局)に始まったそうじゃ」

「テレビの放送は戦後になってからじゃね」

「1953年(昭和28)2月、NHKがテレビ放送を開始したんよ。その3年後の1956年(昭和31)3月、広島でNHK総合テレビの放送を開始したそうじゃ」

「カラー放送はいつから?」

「1960年(昭和35)9月、NHK東京と大阪の総合、教育両テレビでカラーの本放送を開始されたそうじゃ(同時に、日本テレビ、TBS、読売テレビ、朝日放送もカラー放送を開始)」

「広島はいつから?」

「総合テレビは1964年(昭和39)10月から、教育テレビは1966年(昭和41)3月から、広島でもカラー放送が開始まったそうじゃ」

「えぇ、うちが生まれる前からカラー放送が始まっとったん? うちがこまい(=小さい)ころは、テレビは白黒じゃったけどねぇ…」

「そりゃ、放送じゃのうて、家のテレビが白黒じゃったけぇじゃないか?」

「そういゃ、原爆之碑の説明が抜けとったね」

「おぉ、そうじゃった。すまん、すまん」



製作は広島市出身の彫金家 伊藤 顕さんによるもので「惨禍から立ち上がる人間、過去を悔い祈る人間、そして永遠の平和を培う人間像」を浮彫形式で表現しています。

(パンフレットより)



原爆之碑






↓NHK広島放送局については、こちら↓

NHK広島放送局





↓福屋については、こちら↓

広島の百貨店 福屋





↓平和の火(=原爆の火)についての関連記事は、こちら↓

原爆の火 福岡県星野村(現:八女市)





↓原爆の碑についての関連記事は、こちら↓

キリンビヤホールの外壁タイル 広島市中区本通

戸坂の供養塔 広島市中区戸坂

広島市医師会原爆殉職碑 平和大通り





「今日は、NHK広島放送局にあるモニュメント「ヒロシマの火 平和への灯」、被爆放送局の碑、原爆之碑について話をさせてもらいました」

「ほいじゃあ、またの」

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