通でがんす

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(旧ブログタイトル:通じゃのう)

広島市医師会原爆殉職碑 平和大通り

2011年05月02日 | 広島の話題
「これ何か知っとるかいの?」





「えーと、原爆の時の慰霊碑じゃったよね…。お医者さんのじゃったような…」

「正解。広島市医師会原爆殉職碑じゃ」



広島市医師会原爆殉職碑

この広島市医師会原爆殉職碑は、
原爆によって殉職した医師・看護師などの医療従事者や、
みずから被災しながらも医療救護活動に従事し、後に放射線障害によって
亡くなられた方々の慰霊のために、広島市医師会員を含む多くの方々の
ご協力により昭和35年に建立されたものです。
昭和20年8月6日午前8時15分、広島市に原子爆弾が投下されたとき、
『防空業務従事令書』により疎開を禁止され、市内での医療救護活動を
義務づけられていた医療従事者は、医師298名を含め2,370名で、
そのうち2,168名が被爆したとされています。
この殉職碑は、「手」をかたどった抽象的彫像で、高さ12メートル、
幅4.5メートル、正面を原爆ドームに向けて建てられています。
慈愛と救済を現わしたものであり、指間の二羽の鳩は平和の使徒を、
また両手の指の組み合わせは犠牲者の冥福と
世界平和への力強い願いをこめています。
(1960年8月4日建立、上野勇制作/広島市医師会史第二篇より)
平成17年 被爆60周年にあたり 2005年8月6日

広島市医師会




「思い出した。祈る時に両手を合わせたときの形をかたどって作ったんよね」

「原爆ドームの方向に向かって祈っとるんじゃのう」





「指の間にハトがおったっけ?」

「わしも知らんかったんじゃが、ここにおるんじゃ」





「へぇ、ハトがおるのは知らんかった。お医者さんたちは疎開させてもらえんかったんじゃね」

「第一次世界大戦から、都市が空襲されるようになったんよ。日本では1937年(昭和12)に「防空法」が制定されて、各地で警防団が組織されるようになったんじゃの」

「お医者さんたちは、空襲を受けた時に負傷者を手当せんにゃいけんけん、疎開することができんかったんじゃね」

「その他には、防空演習で、空襲を受けたときの避難や消防、救護などの訓練が行われたんじゃ」

「防空壕(ぼうくうごう)を作ったり、家の明かりを外にもらさんようにする灯火管制(とうかかんせい)もしよっちゃったよね」

「建物疎開も、空襲によって建物が燃え広がるのを防ぐためにしよっちゃったんじゃ」

「8月6日には、多くの学生や勤労奉仕隊が広島市内で建物疎開に従事しとって、原爆の被害に遭(あ)われたんよね」

「数万名の方が亡くなったそうじゃが、正確な数は今でもわかっとらんのじゃ。その建物疎開をしよったところが、今の平和大通り、100メートル道路になっとるんよの」




フラワーフェスティバル期間中





「今日は、広島市医師会原爆殉職碑について話をさせてもらいました」

「ほいじゃあ、またの」

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