通でがんす

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(旧ブログタイトル:通じゃのう)

大きいの、もらっていいか?

2015年02月25日 | まんが・テレビ・映画
宇梶剛士氏

オヤジ

故・菅原文太さん






2015年2月10日の「NHKラジオ深夜便」の午前1時台、

「オヤジ・菅原文太(すがわら ぶんた)に学んだ俳優人生」に、

宇梶剛士(うかじ たかし)氏が出演されとった。





宇梶氏が、美輪明宏(みわ あきひろ)氏や渡辺えりさんに

お世話になったことがあることは知っとったが、

昨年(2014年)11月に亡くなられた菅原さんとも関係があって、

しかも、「芸能界のオヤジ」と呼ぶような関係にあったとは…。





宇梶の熱のこもった話に、

聴きたい、けど寝とかにゃ明日の仕事が辛い

…と葛藤しながら、結局はほとんど寝とった。





そこで、宇梶氏の著書『不良品』を読んでみることにした。





ここで、宇梶氏の経歴を簡単に紹介してみると…。





1962年、東京都生まれ。


プロ野球選手になるため名門高校で野球に打ち込むが、

暴力事件のため高校を中退。


構成員2,000人の暴走族の総長となるも、

抗争の末に少年院に収監される。


この時、母親が差し入れてくれたチャップリンの伝記を読んだことが

俳優を志すきっかけとなる。





もちろん、「僕、俳優になります」で俳優になれるほど、

甘い世界じゃない。

そこで、定時制の高校にも通わいながら

母親の紹介で錦野 旦(にしきの あきら)の付き人をされとった。





そんなある日。

あるところに台本を取りに行ったところ、

菅原さんに呼び止められた。





「おまえさんはなんだ?」

「はい」と声のする方に振り返ると、そこには菅原文太さんがいた。

「はい、台本を取りに来ました!」

「そうじゃない、おまえさんは歌い手か?」

「いえ、俳優になりたいのですが、どうやって芸能界に入ったらいいか分からないので、手伝いをさせてもらっています!」

事務所の女性に言って、錦野さんの事務所に連絡をさせ、菅原さんが受話器を受け取った。

「あのな、おたくのところの若い大きな奴な、もらっていいか? うん、ああ、そう、はい」

電話を切ると、僕の方に振り返った。

「ということで、いいか?」

胸の鼓動(こどう)が高鳴るのを感じた。

「はい、よろしくお願いします」

これが、僕の俳優人生の誕生日となった。

(『不良品 オレは既成品じゃない!』ソフトバンク文庫 2005年)







というやりとりがあって、

宇梶氏は菅原さんの下で俳優修業をすることになった。

それ以来、菅原さんのことを「オヤジ」と呼んで慕っとったそうじゃ。





ラジオで知った話じゃが、宇梶氏の兄弟子に菅田 俊(すがた しゅん)氏がおられる。

菅田氏といえば、『仮面ライダーZX(ゼクロス)』(1982年)の

主人公・村雨 良(むらさめ りょう)を演じられた方。





その後、美輪氏との出会いがあって舞台に立つことになり、

菅原さんの事務所をやめることになった。





正直な気持ちを告げると、黙って、うん、うん、と聞いてくれた。そして静かにこう言った。

「そうか。うん。離れていってもおまえは弟子なんだから、いつでも顔を出せ」

僕は深く頭を下げた。帰っていくおやっさんの背中が一段と大きく見えた。

(同上)






↓宇梶剛士氏については、こちら↓

Ukaji Takashi Official Website





↓本『不良品 オレは既成品じゃない!』については、こちら↓

「不良品 (ソフトバンク文庫): 宇梶 剛士」Amazon.co.jp





以下、余談。





宇梶氏は、幼稚園から小学2年まで広島県安芸郡府中町に住み、

府中小学校に通われとった。





同じ小学校の後輩には、

吉川晃司(きっかわ こうじ)氏、

竹原慎二(たけはら しんじ)氏がおってじゃ。





宇梶氏の1年後輩になるわしも同じ府中小学校に通うたが、

3年生から編入したけぇ、一緒に在学したことはないんじゃの。





菅原さんは、戦後の広島で起こった抗争を題材にした

映画『仁義なき戦い』(東映 1973~4年)で

一躍有名になられたのは、ご存じのとおり。





ほいじゃあ、またの。
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