通でがんす

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広島カープの草創期を支えた女将がいた

2015年02月13日 | スポーツ
広島カープ

御幸荘

合宿所?






先週の土曜日、2015年2月7日(土)、

NHK広島による「ヒロシマ 復興を支えた市民たち」の第1回で

『鯉昇れ、焦土の空へ』が放送された。





タイトルに「鯉」とあるように、

今から65年前の1950年(昭和25年)に創設された

広島カープの草創期(そうそうき。始まりの時期のこと)が描かたんじゃの。





このドラマの中で、

カープの合宿所でもあった

御幸荘の女将・砂田時枝さんも取り上げられとった。





今、「カープの合宿所」と書いたんじゃが、

御幸荘がカープの合宿所として建てられたのでは、

もちろんない。





貧乏球団の広島カープは、

地元企業から借りとった合宿所すら、

家賃未払いのために追い出されたばかりじゃった。

そこで転がり込んだのが、御幸荘というわけ。





そんないきさつがあるけぇ、

ドラマの中で近所の人が「大丈夫?」と心配しとったとおり、

なかなか家賃を入れてもらえん。





その時、砂田さんはどうしたか?

彼女は、嫁入り道具の着物を売り払ったんじゃ。





…なんで着物を売るのか?

むかしの人は、嫁入り道具の一つとして着物を持ってきとった。

万一、家計が苦しゅうなったとき、

それを売ることで当座をしのぐことができたんじゃの。





ほいじゃが、それでも足りん。

そこで、娘が弾いとったオルガンさえも売ってしもうた。

そのとき、娘に言った一言がええ。

「お金で買えるもんは、また、お金で買えるけん」





なぜ、砂田さんはそこまで入れ込むことができたか?

そこには、広島カープ初代監督の石本秀一さんの姿があった。





広島市出身の石本さんは、

資金がないと金策に走り、

選手がいないと選手集めに奔走しと、

カープ創設のために奮闘、あらゆる手をつくした。





一生懸命な石本さんのその姿に心を打たれた砂田さんは、

借金をしながらでもカープを世話されたそうじゃ。

こういう、陰で支えてくださった方がおって、今の広島カープがあるんじゃの。





↓『鯉昇れ、焦土の空へ』については、こちら↓

「ヒロシマ 復興を支えた市民たち」NHK広島放送局





↓広島カープの合宿所についての関連記事は、こちら↓

「大州寮」完成 広島カープ





以下、余談。





御幸荘の女将・砂田時枝さんを演じたのが、

富田靖子さん。





富田さんは、広島と縁があるようで、

尾道が舞台の映画『さびしんぼう』(1985年)や、

NHK大河ドラマ『毛利元就』(1997年)にも出演されとってんじゃ。





それにしても、

広島弁で話す富田さんを見ることができるとは思わんかったのう。





↓富田靖子さんについては、こちら↓

「富田 靖子」アミューズ オフィシャル ウェブサイト





ほいじゃあ、またの。
コメント
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