原爆の図
丸木位里・俊夫妻
ワシントンで展示
今から65年前、原子爆弾が広島に投下されて5年後の1950年2月8日、
画家の故丸木位里(まるき いり)・俊(とし)夫妻が、
原爆の図 第1部「幽霊(初出時のタイトルは「八月六日」)」を発表した。
位里さんは、安佐郡安佐町(現:広島市安佐北区)飯室(いいむろ)の出身。
広島に新型爆弾が投下されたことを聞いた位里さんは、
3日後の8月9日、住んどった東京から広島に戻られたんじゃの。
のちに夫の俊さんも広島入りして、
ふたりで救援活動を手伝われたそうじゃ。
この時の体験をもとに「原爆を描きたい」と、
3年後の1948年からデッサンを始めたものの、
描きあぐねた。
最終的には、
水墨画家の位里さんと油彩画家の俊さんの共同制作で
形にすることができたそうじゃ。
原爆の図も、はじめは1作だけ、
その後は3部作じゃったのが、
第15部「長崎」まで制作されとるんじゃの。
↓原爆の図については、こちら↓
原爆の図丸木美術館
全15作ある原爆の図のうちの6作品が
今年の6月から8月にかけて、
ワシントンのアメリカン大学美術館で展示されることになった。
この展示会にかかる費用のうち、
日本からの移送費用など1000万円は日本側の負担じゃそうな。
ほいじゃけぇ、1口1000円で募金を集められとるということじゃ。
↓募金については、こちら↓
「被爆 70 年(2015 年)に「原爆の図」をアメリカへ ご賛同と募金のお願い」原爆の図丸木美術館
【参考文献】
「原爆の図」『広島県大百科事典 上』(中国新聞社 1982年)
ほいじゃあ、またの。
丸木位里・俊夫妻
ワシントンで展示
今から65年前、原子爆弾が広島に投下されて5年後の1950年2月8日、
画家の故丸木位里(まるき いり)・俊(とし)夫妻が、
原爆の図 第1部「幽霊(初出時のタイトルは「八月六日」)」を発表した。
位里さんは、安佐郡安佐町(現:広島市安佐北区)飯室(いいむろ)の出身。
広島に新型爆弾が投下されたことを聞いた位里さんは、
3日後の8月9日、住んどった東京から広島に戻られたんじゃの。
のちに夫の俊さんも広島入りして、
ふたりで救援活動を手伝われたそうじゃ。
この時の体験をもとに「原爆を描きたい」と、
3年後の1948年からデッサンを始めたものの、
描きあぐねた。
最終的には、
水墨画家の位里さんと油彩画家の俊さんの共同制作で
形にすることができたそうじゃ。
原爆の図も、はじめは1作だけ、
その後は3部作じゃったのが、
第15部「長崎」まで制作されとるんじゃの。
↓原爆の図については、こちら↓
原爆の図丸木美術館
全15作ある原爆の図のうちの6作品が
今年の6月から8月にかけて、
ワシントンのアメリカン大学美術館で展示されることになった。
この展示会にかかる費用のうち、
日本からの移送費用など1000万円は日本側の負担じゃそうな。
ほいじゃけぇ、1口1000円で募金を集められとるということじゃ。
↓募金については、こちら↓
「被爆 70 年(2015 年)に「原爆の図」をアメリカへ ご賛同と募金のお願い」原爆の図丸木美術館
【参考文献】
「原爆の図」『広島県大百科事典 上』(中国新聞社 1982年)
ほいじゃあ、またの。