第3310号 30.01.22(月)
言語を慎みて以て其の徳を養ひ、飲食を節して以て其の體(からだ)を養ふ。事の至って近くして繋(かか)る所の至って大なる者、言語・飲食に過ぎたるは莫(な)し。『近思録』237
言葉づかいを慎重にして徳を養い、飲食をひかえめにして身体を養う。至って卑近でありながら、影響がこの上なく大きいものは、言葉と飲食だ。237
【コメント】この項は、易の願卦象伝の程伝にある「山下に雷有るは願なり。君子は以て言語を慎み飲食を節す。」とある。それについての説明である、とあります。
原文の教えるところの「徳」と「飲食」は大切なことなので、心してかみしめたいものです。「飲食」は自分自身のことですが、「徳」は他人様へ発する言葉、すなわち心の提供だと考え、より慎重を期したいものです。因みに私は、相手が子供であっても出来るだけ敬語を遣うようにしています。
その昔、20年前、「大社はるな」という女児が空手道教室にきていました。その女児に私がハイ、ハイというお返事をするものですから、はるなさんが自宅に帰ってから、母親に言うには、空手の先生はハイというが、学校の先生はウン、ウンと云うよと話されたそうです。
はるなさんは大人になり結婚してお母さんになっているかも知れませんね、幸せをお祈りいたしたいと存じます。
男子中学生が刃物を買い、通りがかりの女性を切りつける事件が発生しています。関係もない人を切りつけるという子供は、どういう育てられ方をしたのでしょう。自分が人から切りつけられたらと想定したら、そういう非違行為はできないでしょうに、と思います。
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『不動心』(第172回)
ソクラテスはどんな魂を持っていたか。神の前では潔白であること以外には何も望まなかったか。他人の悪を憤ったり、無知な人間にまで服従することを避けてきたか。与えられた運命を不自然なものとか、耐えがたい苦痛とか思わずに受け入れたか。精神が肉体の経験したことに影響されないよう心がけたか----その点をよく考えるべきなのだ。
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日本精神への復帰--大川周明----第3回
予は決して予自身の痴愚を他人の責に帰せんとするものではない。さり乍ら予をして是の如き乞食たらしめたる因縁に就いては若干闡明の必要を認める、高等学校大学を通じて、予が専心読破したるものは哲学及び宗教に関する著書であった。然るに思想問題に関する日本学者の著書は、概ね西欧思想家の紹介か、又は最後の権威を西欧思想家に於て認めて居た。
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『言志録一』---24
人柄と書画
心の邪正、気の強弱は、筆画之を掩こと能わず。喜怒哀楽、勤惰静躁に至りても、亦皆諸を字に形わす。一日の内自ら数字を書し、以て反観せば、亦省心の一助ならむ。
〔訳文〕心がよこしまであるか、正しいか、また気が強いか、弱いかは、筆跡に現れるもので、これをおおい隠すことはできない。また、心の喜びや怒り、哀しみやおそれということ、および勤勉、怠惰、平静、騒然などに至るまで、皆これらは字に現れるものである。
味園博之の見解---これらは傾向としてはあるが、絶対的ではありません。
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言語を慎みて以て其の徳を養ひ、飲食を節して以て其の體(からだ)を養ふ。事の至って近くして繋(かか)る所の至って大なる者、言語・飲食に過ぎたるは莫(な)し。『近思録』237
言葉づかいを慎重にして徳を養い、飲食をひかえめにして身体を養う。至って卑近でありながら、影響がこの上なく大きいものは、言葉と飲食だ。237
【コメント】この項は、易の願卦象伝の程伝にある「山下に雷有るは願なり。君子は以て言語を慎み飲食を節す。」とある。それについての説明である、とあります。
原文の教えるところの「徳」と「飲食」は大切なことなので、心してかみしめたいものです。「飲食」は自分自身のことですが、「徳」は他人様へ発する言葉、すなわち心の提供だと考え、より慎重を期したいものです。因みに私は、相手が子供であっても出来るだけ敬語を遣うようにしています。
その昔、20年前、「大社はるな」という女児が空手道教室にきていました。その女児に私がハイ、ハイというお返事をするものですから、はるなさんが自宅に帰ってから、母親に言うには、空手の先生はハイというが、学校の先生はウン、ウンと云うよと話されたそうです。
はるなさんは大人になり結婚してお母さんになっているかも知れませんね、幸せをお祈りいたしたいと存じます。
男子中学生が刃物を買い、通りがかりの女性を切りつける事件が発生しています。関係もない人を切りつけるという子供は、どういう育てられ方をしたのでしょう。自分が人から切りつけられたらと想定したら、そういう非違行為はできないでしょうに、と思います。
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『不動心』(第172回)
ソクラテスはどんな魂を持っていたか。神の前では潔白であること以外には何も望まなかったか。他人の悪を憤ったり、無知な人間にまで服従することを避けてきたか。与えられた運命を不自然なものとか、耐えがたい苦痛とか思わずに受け入れたか。精神が肉体の経験したことに影響されないよう心がけたか----その点をよく考えるべきなのだ。
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日本精神への復帰--大川周明----第3回
予は決して予自身の痴愚を他人の責に帰せんとするものではない。さり乍ら予をして是の如き乞食たらしめたる因縁に就いては若干闡明の必要を認める、高等学校大学を通じて、予が専心読破したるものは哲学及び宗教に関する著書であった。然るに思想問題に関する日本学者の著書は、概ね西欧思想家の紹介か、又は最後の権威を西欧思想家に於て認めて居た。
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『言志録一』---24
人柄と書画
心の邪正、気の強弱は、筆画之を掩こと能わず。喜怒哀楽、勤惰静躁に至りても、亦皆諸を字に形わす。一日の内自ら数字を書し、以て反観せば、亦省心の一助ならむ。
〔訳文〕心がよこしまであるか、正しいか、また気が強いか、弱いかは、筆跡に現れるもので、これをおおい隠すことはできない。また、心の喜びや怒り、哀しみやおそれということ、および勤勉、怠惰、平静、騒然などに至るまで、皆これらは字に現れるものである。
味園博之の見解---これらは傾向としてはあるが、絶対的ではありません。
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