第3315号 30.01.27(土)
此の如き者は、只是れ徳孤なればなり。徳は孤ならず、必ず鄰(となり)有り。徳の盛なるに到りし後、自ら窒(ちつ)礙(がい)無く左右其の原(みなもと)に逢はん。『近思録』248
そのままにしておけばよいものを、余計な手出しをして、却って事を害う気持ちが起きるのは、自分の徳が孤独になっているためである。しかし、徳は孤独なものではなく、必ず同類ができる。徳が立派になると、障害は自然になくなり、左右どちらに行っても、道の本源に出会うようになる。248
【コメント】徳は自分の所にとどまっているものではなく、必ず周囲に影響を及ぼして、同類を作っていくとあるように、『論語』里仁篇にも「徳は孤立せず、必ず類を以て応じる」とあります。
人生において人々に良い影響を与えるものは、自然に人々へと伝わり、日々に取り入れられて活用されるということでしょう。
お互いが幸せを感じられるものは人々への普及は喜ばしいことですが、人々を不幸にしたり、損失を蒙るのは歓迎されないでしょう。このような事は、思考を回らせればすぐ理解できるのに、短絡的に悪に走る人の気持ちがわかりません。
昨夜、深夜、19歳のアルバイト女性が、32歳の通行人を自動車で引いたとのことです。今頃は警察でしおれ切っていることでしょう。
79歳の私も、夜にも運転しますが、大きな声だしをしています。「信号ヨシ、歩行者ナシ、ブレーキヨシ、、スピードヨシ、安全運転ヨシ」という具合に大声で叫んでいます。
昨年の免許切り替えの際は、自動車学校の先生が、いいですね、と称賛してくれました。声を出した後で、こんな元気のいい声だったのかと自分でも驚いています。皆さん、声出し運転を致しましょう。
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『不動心』(第176回)
「見返り」をなぜ求めるのか
理性的思考と社会的能力にてらしても思慮に欠け、同胞への情愛にも欠けていると映る者は、劣悪な人間だと宣告されても止むを得ない。
何かよいことをして、誰かがその恩恵をこうむったとする。その際、どうして馬鹿者がするように、親切に対する喝采だとか見返りといったものまでほしがろうとするのか。
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日本精神への復帰-----第6回---大川周明
予の若き魂が是の如きものによって何等の感激を與へられなかったのは是非なき次第なりと言わねばならぬ。予は唯だ哲学を修むる者の止むなき義務として、一応は其等の諸著を渉猟したが、至心に求めつつありしものを之によって満足せしめられなかった。
加ふるに獨り日本と言はず、総じて東洋の思想は幽玄難解である。西欧思想は、其の思索の対象を悉く概念に分析し之を整然たる組織の下に叙述するが故に、少なくとも吾等の理性にとりて容認甚だやさしくある。
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『言志録一』26
慮事と処事
事を慮(おもんばか)るは周到ならんことを欲し、事を処するは易簡ならんことを欲す。
〔訳文〕物事を考える場合は周到綿密なることが必要だ。一旦考えがきまったからは、これを行うには、手軽に片付けることが必要だ。
それには、一、自分の力量を知る。二、対手の実力を知る。三、時勢を知る。四、場所のよしあしを知る。
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此の如き者は、只是れ徳孤なればなり。徳は孤ならず、必ず鄰(となり)有り。徳の盛なるに到りし後、自ら窒(ちつ)礙(がい)無く左右其の原(みなもと)に逢はん。『近思録』248
そのままにしておけばよいものを、余計な手出しをして、却って事を害う気持ちが起きるのは、自分の徳が孤独になっているためである。しかし、徳は孤独なものではなく、必ず同類ができる。徳が立派になると、障害は自然になくなり、左右どちらに行っても、道の本源に出会うようになる。248
【コメント】徳は自分の所にとどまっているものではなく、必ず周囲に影響を及ぼして、同類を作っていくとあるように、『論語』里仁篇にも「徳は孤立せず、必ず類を以て応じる」とあります。
人生において人々に良い影響を与えるものは、自然に人々へと伝わり、日々に取り入れられて活用されるということでしょう。
お互いが幸せを感じられるものは人々への普及は喜ばしいことですが、人々を不幸にしたり、損失を蒙るのは歓迎されないでしょう。このような事は、思考を回らせればすぐ理解できるのに、短絡的に悪に走る人の気持ちがわかりません。
昨夜、深夜、19歳のアルバイト女性が、32歳の通行人を自動車で引いたとのことです。今頃は警察でしおれ切っていることでしょう。
79歳の私も、夜にも運転しますが、大きな声だしをしています。「信号ヨシ、歩行者ナシ、ブレーキヨシ、、スピードヨシ、安全運転ヨシ」という具合に大声で叫んでいます。
昨年の免許切り替えの際は、自動車学校の先生が、いいですね、と称賛してくれました。声を出した後で、こんな元気のいい声だったのかと自分でも驚いています。皆さん、声出し運転を致しましょう。
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『不動心』(第176回)
「見返り」をなぜ求めるのか
理性的思考と社会的能力にてらしても思慮に欠け、同胞への情愛にも欠けていると映る者は、劣悪な人間だと宣告されても止むを得ない。
何かよいことをして、誰かがその恩恵をこうむったとする。その際、どうして馬鹿者がするように、親切に対する喝采だとか見返りといったものまでほしがろうとするのか。
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日本精神への復帰-----第6回---大川周明
予の若き魂が是の如きものによって何等の感激を與へられなかったのは是非なき次第なりと言わねばならぬ。予は唯だ哲学を修むる者の止むなき義務として、一応は其等の諸著を渉猟したが、至心に求めつつありしものを之によって満足せしめられなかった。
加ふるに獨り日本と言はず、総じて東洋の思想は幽玄難解である。西欧思想は、其の思索の対象を悉く概念に分析し之を整然たる組織の下に叙述するが故に、少なくとも吾等の理性にとりて容認甚だやさしくある。
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『言志録一』26
慮事と処事
事を慮(おもんばか)るは周到ならんことを欲し、事を処するは易簡ならんことを欲す。
〔訳文〕物事を考える場合は周到綿密なることが必要だ。一旦考えがきまったからは、これを行うには、手軽に片付けることが必要だ。
それには、一、自分の力量を知る。二、対手の実力を知る。三、時勢を知る。四、場所のよしあしを知る。
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