平和1丁目 ~牧師室より~

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会の週報に載せている牧師の雑感

2005年2月6日 ファン考

2007年01月26日 17時28分12秒 | Weblog
      ファン考

 寒中見舞いを出した。「寒中お見舞い申し上げます」と書いて、その横に(カンチュンサンヲフユノソナタへ)と書いた。何だ、この暗号は、と多くの方々が思ったことだろう。独りよがりにもほどがあると、立腹なさった方もおられたかもしれない。
 これは、「冬のソナタ」にかぶれた者のなれの果てということで、一笑に伏してくださったらありがたい。(寒中お見舞いを冬の真っ只中にあるあなたへ送ります)、というぐらいのつもりだった。しかし、カンチュンサンというのは、冬のソナタの主人公の名前である。
 あの微笑の貴公子ペ・ヨンジュンだ。私もあの微笑を練習したことがあるが、「お父さん、キモイよ」と娘に言われてやめた。だから、あの暗号文はその筋のおばさま方には、とても喜んでいただけたかもしれない。
 しかし、まだ一度も「冬のソナタ」を見たことのない方、或いは、見ても、ああ情けなや、こんなものをうちの牧師は見ているのか、と嘆かれた方にはご理解いただけなかったかもしれない。それらの方々には、ほんとうに申し訳ないことをしてしまったと、この場を借りてお詫びを申し上げたい。
 しかし、かの有名な説教学者の先生が、「ふうてんの寅さん」を愛し、わが教会の青野先生が、「さだまさし」の歌を愛すのと、さほどあまり変わらないように思うのだが、きっと一緒にするなとお叱りを受けることだろう。いや、まあ、その、ファンにとってはそれは最高で、シビレて、もうすべてが良いのだ。


平良 師

2005年1月30日 交わりの喜び

2007年01月25日 18時12分28秒 | Weblog
     交わりの喜び

 日曜日の朝、教会の礼拝に出席するため、教会に来て、先ず嬉しいことは、集まってくる人々の笑顔が明るいことだ。これは大きな喜びだ。何となく元気の出ない朝であっても、お互い笑顔で向き合い、「お早ようございます」と挨拶を交わすと元気が出てくる。
 教会(あなたがた)は、キリストの体であり、一人一人はその部分です(一コリ12・27)ということばがあるが、わたしたちは主の日の礼拝ごとにキリストに出合うのだということを実感する。この頃の社会は、職場でも家庭でもともすれば冷たい風が吹いている。
 しかし教会は、キリストの体であり、一つの家族を形づくっているのだから、お互いは笑顔で向きあうことができる。
 教会の人間関係は、(1)ゆるしあう (2)助けあう (3)祈りあう の三つが基本だと思うが、わたしはこれに“笑顔で向きあう”をつけ加えたい。
 かつてがんセンターに勤務していた時代に、わたしは、患者さんから「先生、そんなにこわい顔をしてわたしを見ないで!」と一度ならずいわれたことがある。診断に困ったり、治療に難渋したりすると、顔はこわばり、きびしい顔つきになっていたに違いない。
 神様にすべてを委ねて精一杯努力し、祈りつつ歩む以外に人生を完うする術はないことを知れば、もっと明るい表情で接することができたのかも知れないが、笑顔のないわたしだから、いつも患者さんを暗い気持にし、失望を与えていたと思われる。
 これからは笑顔の素敵な兄弟姉妹を見習って、明るい平尾教会の交わりが一層輝かしいものになるよう勤めて歩みたい。


松村 師

2005年1月23日 状況に追いつくように

2007年01月24日 23時51分23秒 | Weblog
   状況に追いつくように

 テレビのニュースでドイツの教会事情が紹介されていた。経済的な理由から、約2200くらいの教会が閉鎖に追い込まれているというのである。どうして経済的に困窮してきたかというと、若者が教会から離れているからだという。
 伝統もあり、制度的にも整っていて、微動だにしないと思われていたあの国の教会が。伝統にどっかと腰を降ろしていたのではなかろう。いろいろな手立てを講じたが、若者の心を捉えることができなかったのだ。
 日本はどうか。かつて1%と言われていたキリスト者人口だが、それも今や危うい。日本の教会もまた、閉鎖したり統合したりという状況がちらほらと見え始めた。福音に力がないのではない。
 魂の渇きを癒してくれそうな場所が、今や至るところにできていて、広い門を多くの人々が入っていく。しかし、真実に救いへと導くことのできる福音を提示できるのはキリストの教会だ。豊かで力ある福音の中身を私たちは満々としたスピリットをもって必死に伝えようとしてきただろうか。
 私たちが今ある教会の姿を少しでも喜ばしいものと思えるなら、それは普段の努力と祈りと、そして、神様のそれらに与えられた恵みであることをおぼえておこう。このままでいいと思ったとき、それは現状維持に留まらず、下降に転じるのは必至だ。
 神様の恵みの広がりに、日々参与させられている私たちだが、主はずっと先を歩んでおられて手招きされているのではないか。早く状況に追いつくようにと。


平良 師

2005年1月16日 旅先のたわいもない話

2007年01月23日 23時34分04秒 | Weblog
   旅先のたわいもない話

 先日の連盟の集会でのこと、隣に寝ていた方が、いびきをかいていた。眠る前からひどく疲れたご様子で、それもあったのだろう、かなりのものだった。
 しばらくしても一向に止むようすもない。こういうのは気になりだすと、余計に気持ちがいらいらしてきて、眠るどころではなくなる。何とかして、やまないものかと考えていたら、少し頭の角度を変えてあげるだけで止まるという話を思い出した。
 しかし、他人様の頭を勝手に触ることもこわい。間違って、いびきだけでなく、息の根も止めることにでもなれば大ごとだ。時計を見ると、ワーこんな時間になっている。明日は発表もあるし、このままではー、困った。それで、意を決して布団をちょっとばたばたさせたら、彼が寝返りをうってくれた。
 ピタリといびきは止まった。へとへとになって、こちらもようやく眠りについたのであった。翌朝はすぐにやってきた。そして、眠りから覚めた彼は、ああーと大きく伸びをしながらこう言った。「ねむかー」。眠りだけでなくセリフまでも奪われてしまったか。
 それから、一日の最初の仕事である携帯電話の迷惑メールを削除し始めた。相も変わらず、情けない表題のメールばかりである。その中の一つに「さびしいよーん」というのがあって、文句なく削除の対象だ。ところが、一瞬、表題の横の送り主の名が目に入った。あっ。開いてみると、やはり妻だった。思わず天城の冬にぶるっときた。これから発表だというのに。


平良 師

2005年1月9日 50歳を迎えて

2007年01月22日 16時37分12秒 | Weblog
     50歳を迎えて

 50歳になった。子どもたちが、「お父さんは前のように叱らなくなった」と言う。これは衰えを表す一材料だろうか。頭の髪がさらに薄くなった。これもそうだろうか。とんでもない物忘れをしでかすようになった。これもそうか。これからは努力が必要となる。手帳に、物忘れをしないよう、まめにメモをとること。そんなことを考える。
 私にあとこの世で残されている年月はどれくらいなのだろうか。平均寿命もあてにはならない。神様は、それぞれにこの世での持ち時間をお決めになっている。もし、それがわかれば、これからの人生設計も充実するのだがと考える人もいよう。
 否、そのようなことは分からない方がいいのかもしれない。ある日、目が覚めたら、この世の人々との別れの挨拶もなしで、天国にいた、そんな感じがいいのかもしれない。
 否、否、挨拶くらいはしたいものだ。という具合で、ちょっとずつちょっとずつ、私も人並みに、死というものについて、思いを巡らすようになった。
 スペインだったか、どこかの国の諺らしきものに、メメントモリというのがある。「死をおぼえよ」という意味だ。いつまでもこの世で生きるものと、錯覚してもならないのだろう。
 しかし、一方において、「明日のことまで思い悩むな」というイエス様のお言葉もある。神様はちゃんと考えてくださっておられる。ケセラセラ、「なるようになる」わけだ。「主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ」これこそ真理である。


平良 師

2005年1月2日 2005年の年は

2007年01月22日 00時27分00秒 | Weblog
    2005年の年は

 昨年は、ほんとうに大きな災害がいくつもあった年だった。スマトラ沖の地震による津波で、7万人ほどの死亡が確認され、まだ、2万人が、行方不明となっている。2004年は最後の最後まで暗い年だったと人々の記憶にそう残るかもしれない。
 イラクも泥沼状態となった。多くの嘆きと悲しみが起こり、人々の怒りと憎しみは絶えなかった。教会の人々もそれぞれにいろいろな出来事や事件があり、悲しみ、苦しみ、不安があり、それでも、主の守りと支えのなかで何とかやってこられたという方もおられただろう。今年も、弱っている方々と少しでも、共に歩もうとする教会であることをまずは祈りたい。
 昨年の教会に与えられた神様の業を思うとき、私たちたちはその恵みに驚かされるのである。教会員として群に加わった人々が14名おられた。そして現在、共に教会の群れを形成している。そうしたこともあってか、新しい風があちらこちらから吹き始めている。
 教会の主催者はイエス様だから、この方に私たちが従おうとする限り、これからも基本は変わることはない。しかし人の数が増えることは、その分の考え方が生まれることでもある。そして、一致を見出そうとすると、多くの時間が必要となる。
 また、教会の力に応じ、社会奉仕の使命など、宣教の課題も多岐にわたることが予想され、ダイナミックな教会形成が求められる。それでもキリストにあって一つ、教会は、伝道に向けて最大の力を注ぐ。


平良 師

2004年12月26日 2004年を締めくくるにあたって

2007年01月20日 16時49分03秒 | Weblog
  2004年を締めくくるにあたって

 この2004年を一文字で表すと、今年は「災」だそうだ。確かに、台風、地震の多かった年だった。
 台風の影響ではなかったが、集中豪雨でがけ崩れや床上浸水になったところもあった。気温は下がらず、今のところ、暖冬となっている。自然のリズム、環境破壊がもたらすものなど、原因はいろいろ考えられるが、ちょっとおかしいぞ、そう思っているうちに、あれよあれよとさらに温暖化が進み、取り返しのつかないことになりはしないかと誰もが思っている。
 誰もが思うようになったら、もう手遅れの事態になっているのだと言う人もいる。ある人は、この一年は「恐」という言葉で表現したいと言った。自然災害、戦争の他に、犯罪、経済、家庭、教育現場、すべてが尋常ではない社会になったというイメージがするからだと言う。
 今年が、近年になく最悪の年だったのであって、来年はいい年になって欲しいと多くは願っているだろう。キリスト者にとって今年は、どのような言葉で言い表すことができるだろうか。答えは簡単「愛」。そう今年も「愛」であり、これからも「愛」である。ずっとずっと「愛」なのである。
 テーマは決まっている。私たちは今年、家族の他に、どのような方々を愛したと言えるだろうか。まずは、教会の人々を愛したとは言えるだろうか。職場や学校の人々はどうだっただろうか。
 そして、そこで出会いが生まれ、信頼が生まれ、互いの存在を喜び、主のご栄光を拝するに至ったのだろうか。


  平良 師

2004年12月19日 平和の主イエス・キリストのご降誕

2007年01月19日 22時29分49秒 | Weblog
  平和の主イエス・キリストのご降誕

 2004年も人類は、平和な世界にできなかった。戦火の中で、過ごさねばならなかった人々が少なからずいた。テロの爆弾に倒れた人々、空からの無差別の爆弾で死んだ人々、イラク、パレスチナ、その他、アフリカやアジアや南米などの国々で圧制や紛争があり、繋がれ、倒れた人々がいた。
 私たちにできることは、平和を愛する政治家や政党を選ぶ他は、与えられた場所と機会にキリスト者としての証しをたてること、また、平和を祈る以外にはない。世界中皆が、同じくらいの生活ができるなら、争いごとはほとんど起きないのだろう。
 しかし、人には欲があり、富を求め、便利さを求め、他よりも自分は、もっといい境遇、状況の中で過ごしたいと思う。例えば、自分たちだけは、いつまでも便利な車社会がいいし、それも安いガソリンを使用したい。
 そのようなとき、他者の利益や未来に生きる人々のことなど考慮することができない。そして、そんな社会がいつまでも続くわけでもない。戦争はどうして起きるのか。人類始まってからずっと、人間は、この問題を解決できないでいる。世界中から戦争がなくなった時代というものがあっただろうか。
 キリストが二千年前この世に来られて、私たちの罪の根本的な問題は解決しているのだが、今尚、戦争は収まらず、キリストは十字架から降りることができない。二千年前、平和の主は光として来られたが闇はなお深い。
 「闇はこの光を阻止できなかったのである」
            (岩波小林訳)


平良 師

2004年12月12日 キリスト者の常識

2007年01月18日 22時32分50秒 | Weblog
    キリスト者の常識

 キリスト者の常識とこの世のそれとは違う。しかし、この世の常識を知っていることは、この世の方々をキリストにある救いへと招くという点では、大切なことである。ただ、この世の常識を知っていることと、それに生きることとは違う。
 私たちは、キリスト者の常識に生きる。つまり、神の国に生きるように努めている。キリスト者の常識とは、イエス・キリストが示され、教えられた生き方である。
 この日本の社会で生きる私たちは、この社会の常識をもっているが、それはおそらく他の国に行けば、習慣や文化が違うので、少なからぬものが通用しなくなるだろう。ほんとうはそのように相対的で、その程度のものなのだが、この世の常識に生きることを生き甲斐にしている人々も多い。
 私たちは、聖書の中にも、これこれはいわゆる世の誰もが言いそうな、世の常識としても語られるだろうなあ、と思われるものが含まれていることを知っている。それもまた意味がある。
 しかし、それに対して、イエス様は、当時の世の常識とされていたものから、逸脱した言動の何と多かったことだろう。だから、当時の社会の常識に生きていた人々からは、憎まれた。
 私たちも、イエス様に従って、同じように振舞えば、この世から憎まれるかもしれない。しかし、そのとき、イエス・キリストに従っている私たちは神の国に生きている。


平良 師

2004年12月5日 『愛している』なんて、とても恥ずかしくて

2007年01月17日 21時39分27秒 | Weblog
『愛している』なんて、とても恥ずかしくて

 先日、テレビを見ていたら面白い調査をしていた。韓国と日本の女性に、夫の職場に電話をかけてもらい、「愛しているわ」と言うのである、そして、返答がないと「あなたはどうなの」と聞くのである。
 韓国の男性たちは、半分以上がすぐに、「愛しているよ」と返答したのであるが、日本人は、「おまえ、何を考えているのか」とか、「大丈夫か」「職場に電話をかける奴があるか」といったもので、なかにはこういうものもあった。「あなたは誰ですか。どういうおつもりですか」と自分の妻にまじめに聞き返す夫もいた。
 まあ、これがお国柄というものだろうか。日本の男性は、妻に「愛している」という言葉をほとんど言わないのではないだろうか。恥の文化に生きているからなのか、男はちゃらちゃらしないのが美徳と考えているのだろうか。
 我が教会の夫たちは、どうなのだろうか。「愛しているの」と聞かれ、「はい、愛しています」。そう返事をしそうなご夫妻たちの顔が、幾組も頭に浮かんでくる。これは、すばらしいことではないか。私も、妻からよく聞かれる。
 ペトロも、復活のイエス様からしつこく「あなたはわたしを愛しているか」と聞かれ、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがよくご存じです」と答えたが、わかっているだろうなんて甘いのである。何度でも、「私はあなたを愛しています」とこれまた、しつこく答えねばならない。愛は厳しい。恥ずかしいだなんて言っている場合じゃない。


  平良 師