平和1丁目 ~牧師室より~

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会の週報に載せている牧師の雑感

2014年2月16日 冬山登山の思い出

2014年02月22日 00時18分24秒 | Weblog
冬山登山の思い出

 最近、雪が多かったり、冬季オリンピックもあったりで、ふと大学時代山岳部にいたときのことを思い出した。冬山は、天候が荒れると命に係わることもあり、それなりの装備をしていても死と隣り合わせということも多い。今回の強い低気圧の中で、登山をしていた人々がもしいたら、大雪や強風を雪洞を掘って凌いでいるはずである。
 冬山は、雪崩に巻き込まれたり、また、滑落の危険がある。しかし、晴れて穏やかだと、えも言えずすばらしい風景を見ることができる。朝日が昇ると雪山は黄金色に染まり、夕焼けではピンクに染まったりと、それは見事である。また、夏山と違って冬山では、ほとんど人に会わない。
 晴れているときには、尾根は激しい風が吹いているが、少し下って木立などがあるところにくると、そこに山小屋などが突然出てきたりするときなど、実に幻想的で感動と同時に安堵するのだ。そして、天候がよいと、とにかくまったく音がなく静まり返っているのである。雪山では、道なき雪原に道を作っていく。ラッセルといって、パーティーを組んでいる者たちが交代で先頭に立ち、雪をかき分け、道を作っていく。
 学生時代は、苦しいばかりで、風景などをめでる余裕はなかったが、それでも、少しだけ、上述のように感動したことを憶えている。日本には四季があり、それぞれの季節の豊かさを味わうことができる。自然は過ぎると困るが、それでも神様の創造の御業に感動せずにはおれない。


平良師

2014年2月9日 二つの建物の持ち味を生かして

2014年02月16日 11時13分08秒 | Weblog
二つの建物の持ち味を生かして

 1959年に初めての会堂を平尾教会は建てた。それから1994年の12月に前の会堂を取り壊し、現在の会堂が建てられた。最初の建物は、35年間宣教の働きを担った。そして、現在の建物は、今年の12月で20年の歳月が流れることになる。平尾の建物は、これからどれほど持つだろうか。少なくともあと20年間くらいは十分に大丈夫だろう。
 こうして、建物は、その時代を生きる方々の手によって、何度も建て替えられていく。しかし、その作業にあたる教会の労苦は、並大抵ではない。そして、2012年10月に竣工した大名の建物だ。こちらもできて1年3ケ月が過ぎた。こちらは、建物の設計に関しては、教会の担当委員会のメンバーがかなりの労力を費やしたが、金銭的には、前回のようではなく、献げられた方の思いを感謝して受けることが神様の御心と考えた。それに私たちのできるだけの思いを添えた。
 本日の会堂記念日礼拝は、二つの会堂をおぼえて同時に守っている。二つの会堂が与えられて、私たちは忙しく立ち振る舞ってきたが、なんとなくそのようなリズムにも慣れて、要領がつかめてきたのではないか。
 だからといって、教会生活は「ねばならない」という感情が支配するようになると、あまりよくない。ひとり一人は望むように豊かに楽しく、それでいてキリストに倣って、教会生活を送られたらよい。そして、そのようなことができる教会組織にできないものかと思う。二つの場所の持ち味を生かして。


平良師

2014年2月2日 キリスト者として生きる生活

2014年02月07日 11時30分04秒 | Weblog
キリスト者として生きる生活

 イエス様に招かれた私たちは、期待されている。それは、人それぞれであって、一応ではない。自分の賜物はこれだから、これを用いて、神様のご栄光を現すことができればいいと考える。私も御言葉を取り次ぐ牧師の奉仕の業を託されていることを誇らしく思う。
 これからの平尾教会の歩みを思うと、わくわくする。それは、それぞれが自由に伸び伸びとやりたいことをやって教会生活を送り、それが神様の栄光を現すことにつながっている姿を想像するからだ。
 日本というキリスト教文化の薄い社会に暮らすキリスト者たちは、日曜日のしかも礼拝のときだけ、教会にいるときだけ、キリスト者であるという生き方を自ずと迫られる。それが、もし、一週間、どのようなときにもキリスト者であることを喜びながら生活できるとすれば、それに越したことはない。それは決して息苦しいものではない。むしろ、喜びに富むものである。
 しかし、やはりそこには工夫と努力が必要だ。一日のどこかで、祈り、聖書に耳を傾ける。週日のどこかで、スモールグループ(SG)の交わりをとおして、仲間たちとイエス様に向かう姿勢を喜ぶ。そして、一堂に介する日曜日の礼拝である。その他に、ミニストリーに加わることで、地域や社会に仕え、神様に仕えて奉仕するのである。それらの生活の中で、キリストを証しする。そして、礼拝、SG、ミニストリーにお誘いすることもでき、それもイエス様にある福音に触れる機会となる。

平良師