戦争をしない国是をもち続けよう
6月19日は、福岡市民にとっては忘れることのできない悲惨な空襲の日であった。私は青島の飛行場にいて知らなかったが、福岡女学院に今も残る教務日誌には、「1945年6月19日火曜、午後11時B29、約60機で、焼夷弾が3時間にわたり投下された」とある。死者、行方不明者1000人以上、現在の名誉院長徳永徹の伯母徳永ヨシさんが、その後「青空礼拝」を始められたという。
19日の戦災死没者追悼式が冷泉公園で行われた。私のいとこと長男2才も焼死したのであった。戦争の禍は一過性のようなものであるが、どの国の歴史にも、それぞれの人生にも、大きな不幸をもたらしている。軍人が残した悲劇的な家族の人生も範囲が広く、それぞれが辿った人生の悲しみと嘆きは、長きにわたって筆舌では言い尽くせないものがある。
私たちは、人類の苦しみの歴史だけではなく、神のみ心を痛め苦しめた人類の、神に対する大きな罪の業の愚かさを受け止めなければならないのではないだろうか。
集団的自衛権を信念として取り上げることが大切なのか、50年~60年後の世界情勢を考えて、外交政策と平和的交渉を中心に、どの国とも友情と深い愛を共有する交流を主体とした国交を築くようにしたいものである。神から示されるもっとも自然な温かい交わりを基本とした関係こそ、目指すべきだと考えるのが信仰による国家、国民のマナーだと思いたい。
松村師