平和1丁目 ~牧師室より~

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会の週報に載せている牧師の雑感

2014年6月22日 戦争をしない国是をもち続けよう

2014年06月28日 12時46分14秒 | Weblog
戦争をしない国是をもち続けよう

 6月19日は、福岡市民にとっては忘れることのできない悲惨な空襲の日であった。私は青島の飛行場にいて知らなかったが、福岡女学院に今も残る教務日誌には、「1945年6月19日火曜、午後11時B29、約60機で、焼夷弾が3時間にわたり投下された」とある。死者、行方不明者1000人以上、現在の名誉院長徳永徹の伯母徳永ヨシさんが、その後「青空礼拝」を始められたという。
 19日の戦災死没者追悼式が冷泉公園で行われた。私のいとこと長男2才も焼死したのであった。戦争の禍は一過性のようなものであるが、どの国の歴史にも、それぞれの人生にも、大きな不幸をもたらしている。軍人が残した悲劇的な家族の人生も範囲が広く、それぞれが辿った人生の悲しみと嘆きは、長きにわたって筆舌では言い尽くせないものがある。
 私たちは、人類の苦しみの歴史だけではなく、神のみ心を痛め苦しめた人類の、神に対する大きな罪の業の愚かさを受け止めなければならないのではないだろうか。
 集団的自衛権を信念として取り上げることが大切なのか、50年~60年後の世界情勢を考えて、外交政策と平和的交渉を中心に、どの国とも友情と深い愛を共有する交流を主体とした国交を築くようにしたいものである。神から示されるもっとも自然な温かい交わりを基本とした関係こそ、目指すべきだと考えるのが信仰による国家、国民のマナーだと思いたい。


松村師

2014年6月15日 外来生物は強いけれど‥

2014年06月22日 00時26分23秒 | Weblog
外来生物は強いけれど‥

 沼や池、川にブラックバスを放流したために、自然の生態系を脅かすことになった。これは、スポーツフィッシングを楽しむ人が、意図的に放流したことも原因しているが、自然に広がった面もあろう。ブラックバスは、魚食性の強い淡水魚で、すっかり日本全土に広がってしまった。
 山梨県は、富士五湖の山中湖や河口湖に、ブラックバスを放流し、漁業権を設定して、それを観光資源にしているが、ほとんどの県は、駆除すべき魚と見なしている。ブラックバスは、白身魚で、から揚げなどにすると意外と旨いのだが、好んで食べる人はほとんどいないのが実情である。最初に日本にブラックバスを持ち込んだ人は、それを食用にするためだったというが、現在は、そのような扱われ方は、ほとんどされていない。むしろ、沼、池、川のギャングとして名を馳せている。
 昨日、孫が道端に咲いていた大きくきれいな黄色の花を摘んできた。ネットで調べたところ、最近この花は日本全土にはびこっていて、自然の生態系を脅かしているオオキンケイギクだとわかった。これもまた、特定外来生物に指定されている。このように海外から入ってきて、日本全国にしっかりと根付く、動物や植物が存在する。
 キリスト教もそのようになりかけた時代もあった。しかし、今の時代、キリスト教は弱く、広がる力を失って、日本では絶滅危惧種になりかかっている。この国の土壌改良は無理だから、こちらが品種改良するしかないか‥。


平良師

2014年6月8日 信仰によって立つ人

2014年06月14日 10時21分53秒 | Weblog
信仰によって立つ人

 心の底から元気をいただくのは、同じ兄弟姉妹たちからの場合が多い。それも、こんな状況の中にあるのにと思われる人が、信仰によって立っている姿を見るとき、私たちは奮い立たされる。先週、TM姉のお見舞いにうかがった。お昼に、T兄からは、妻が昏睡状態に入ったのでお祈りください、との知らせを受けた日の夜9時を過ぎた頃だった。昏睡状態に入っていたTM姉に妻はしきりと話しかけていたが、寝息を立てておられた。
 私が、「それじゃ、祈りますね」、と言ってお祈りをしようとしたところ、突然、お願いしますとかすかな声がして、姉妹が手を合わせられたのである。私は、驚いた。そして、姉妹のお好きな讃美歌「うるわしの白百合」を讃美して、帰ってきた。もちろん、姉妹も、声にならなかったけれど、口を動かされた。途中目も開けられた。
 そして、今日のこと、我ら夫婦、青野ご夫妻、森ご夫妻と6人で、お見舞いに行ったのだが、お風呂上りのご様子で、目も開けておられ、こちら側が話しかけたことに対してはっきりと応答もされ、一緒にうるわしの白百合も歌って、森牧師の聖書朗読のあと、お祈りを青野先生がされて、帰ってきたのだった。
 しかし、私たちが元気をいただいたのは、それだけではない。TM姉が、ベッドに横たわりながらも、これからも頑張りますよと言わんばかりに、両手を、しかもその両手には、拳が握られていたからだ。主にあって勝利と私は思わず心の内に叫んだ。


平良師

2014年6月1日 よく寝て、よく遊んで、よく神様とお話し、よい仕事をする

2014年06月08日 16時55分37秒 | Weblog
よく寝て、よく遊んで、よく神様とお話し、よい仕事をする

 いつまでも走り続けることは、人にはできない。食べ物というエネルギーさえ補給していれば、それでいつまでも走り続けられるわけではない。
 人間には、一日6時間から8時間の睡眠が必要とされている。中には、5時間で十分という人もおれば、9時間は寝ないとダメ、という人もいる。私は、7時間は欲しいと思う。中には、睡眠時間は十分にとっているものの、眠りが浅くて、昼間でもよくうたた寝をしてしまう、という人もいる。
 私も、教会の会議は別だが、他の会議では、必ずと言っていいほど、一度は、こっくりとなる。人間には、休息が必要だ。休息をとらなければ、免疫力が落ちたり、いろいろな臓器が弱って病気になってしまう。何よりも、脳が働かなくなってしまうだろう。
 ただし、その休息は、何も睡眠だけではない。静かに読書をする、音楽を鑑賞する、趣味を楽しむなども休息のうちと言える。私は、2週間に一度は、睡眠以外の休息をとることにしている。ご存じのとおりだ。これは、私に再び活力を与えてくれる。
 しかし、何よりの休息は、神様の御翼の中で、憩うことだ。週一度の礼拝。聖書を読み、祈る、そうした日々の生活にある神様との対話も、休息のひと時と言えるだろう。休息は、よい仕事をしようと思っている者にとって、なくてはならぬものだ。よく寝て、よく遊んで、そして、キリスト者たちは、よく神様とお話しをして、よい仕事をする。


平良師

2014年5月25日 反省考I-まずは愛する者の救いを-

2014年06月01日 11時19分27秒 | Weblog
反省考I-まずは愛する者の救いを-

 自分がやりたいことのためには、人は、いかなる努力をもするものだ。例えば、釣りで遠出する場合、道を調べるところから始まり、準備しようとするものを揃え、道具の点検なども念入りに行う。この釣り場のこの魚種のえさとしては、これこれが今はよいといった情報が入ると、それを求めて何千里とまではいかなくても、かなりのことをして手に入れようとする。この魚種は、深さ何mくらいが適当で、別の魚種は、もっと深くて、と棚合わせもおろそかにはできない。じっとしていて釣れる魚はいないのである。手を変え品を変えして、ようやく手に入る一匹である。
 もし、教会にある方を何が何でもお連れしたいと思ったとしたらどうだろうか。これこそ、手立てはいくらでも考えられるのであって、あとは、愛と情熱と祈りである。
 私たちが、伝えようとしているものは、命の救いの出来事であって、何か卓越した知恵や知識や処世術ではない。この福音に与ることがなければ滅びてしまうのだと思えば、家族にも友人にも必死でイエス様のことを伝えようとし、祈ることだろう。
 このように言う私も、身内の伝道については、ほとんどダメな者である。鹿児島で暮らしている私の母は、キリスト者ではない。86歳の母の救いを願っているものの、命がけでイエス様のことを伝え、祈ってきただろうかと反省する。神様のお導きと母の応答、そして、何よりも具体的なアクション。祈ってはいるものの・・愛が足りないか。


平良師

2014年5月18日 資料(記録)が物を言う

2014年06月01日 11時13分54秒 | Weblog
資料(記録)が物を言う

 教会の記録を最近調べる機会が幾度かあった。そういった意味では、書記や総務の仕事はたいへんである。また、その保管は言うに及ばず。ところが、教会は、その保管が難しい。なぜなら、担当者が数年ごとに変わるからだ。福岡地方連合においても、2年周期で役員が変わるから、しっかりと引き継ぎが思うようにできないできた。DCGに保管が許されて、助かっていよう。
 私は、前任地を離れるときに、説教以外の自分の資料はすべて置いてきた。というのも、開拓伝道であったから、教会員に資料保管の意識が十分でなく、ほとんど資料の引き継や保管がなされていなかったためだ。これは、それを指導しないでいた私の責任だったから、自分の持っていたすべてを置いてこざるをえなかったのである。
 ところで、当教会の定期総会や臨時総会の資料とその議事録、また、執事会報告、常会報告などは、しっかりとすべて整理保管されているだろうか。また、行政に提出している毎年の報告資料はどうか。諸権利書や契約書などは、どうであろうか。週報も大事な資料となる。
 実は、重要書類の多くは、恐ろしいことに私が保管している。その他の前述の資料については、ご承知のとおり、私は整理整頓に乏しい者だから、書記や総務でしっかりとやってくださっているに違いない。内外にかかわらず何かの時には資料や記録が物を言うことが多い。その点、聖書の豊かさは計り知れない。


平良師