平和1丁目 ~牧師室より~

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会の週報に載せている牧師の雑感

2009年11月29日 釣行第 12話

2009年12月23日 01時13分53秒 | Weblog
      釣行第 12話

 ETCで初めて高速道路の料金所にさしかかった。果たしてバーは上がるのか。上がった、よかった。土、日の特別集会のお勤めが終わって、その日は実家に泊まり、月曜日は、妻は一足先に電車で博多へ、私は、車で阿蘇へ。お仕事、お仕事。道中、どういうわけか出てくる口笛。高森峠付近で、すばらしい雲海を見た。いいね、いいね・・などと独り言を言いながら、また口笛。
 釣り場に着いたのが11時、出遅れた。渓流釣りは早朝と決まっている。昼からだから、まあ、20匹も釣れたらよしとするか。やはり釣れない。終わったのが15時、釣果は26匹。しかし、大きなマスとヤマメが4匹も釣れたのだから上出来としよう。帰り、阿蘇の根子岳と高岳がくっきりと秋の枯れ草色でたたずんでいた。次第に夕暮れに染まっていく。びっくりしたのは、地平線に沈む太陽が、ピンク、赤、赤紫と縞模様になって、ちょっと押しつぶされたような恰好に見えたことだった。
 それから、阿蘇から福岡までの、一般道、高速道路の渋滞の中を、ゆっくりゆっくり帰ってきた。到着は22時。翌日、Iさんがにこっと笑って「その燻製、世界バプテスト祈祷週間のミニバザーに出すんですよね」、と言ったので、私もにっこり笑って、「そうですよう~」と言ってしまった。もちろん、そのつもりだった。燻製の売り上げ目標は、五千円。乞う、御買上。


平良師

2009年11月22日 自転車通学

2009年12月20日 13時38分44秒 | Weblog
      自転車通学

 2001年4月に西南神学部が干隈から西新に移転して以来、車を運転できない私は、旧神学部近くの自宅から西新まで、雨天でない限り毎朝夕、往復約40分かけて「自転車通学」をしている(雨が降ればバスか、急いでおればタクシーになるが)。
 慢性的な運動不足なので、少しはその解消になっていることだろう。できれば車道の左端を走りたいのだが、自転車のための走行路線がいつも白線で設けられているわけではないので、時々歩行者とぶつかりそうになりながら歩道を走ることも多い。毎年度末になると、役所が予算を使い切るためなのか、必ずと言っていいほどあちこちの道路が掘り返されるために、歩道の表面はつぎはぎ細工のようになっていて、自転車はガタガタと走りにくい。
 しかし最近は、車道から歩道に移行する際の段差を小さくしてくれつつあるので、この配慮はありがたい。とくに四年前この段差に車輪を取られて転倒し、肋骨にひびを入れてしまった私としては。道路の舗装もより丁寧になされるようになっている感じがするが、しかしバスがあの巨体を一日何百回と停車したり発車したりするバス停前のアスファルトは、舗装の仕方が杜撰(ずさん)だとすぐに多くの縦じわのひびが入ってしまい、それは次第に深く大きくなっていって車輪を取られやすいので、とても怖い。
 最近電柱をなくして電線を地下に埋める道路が徐々に増えてきたのは、大変喜ばしい。欧米と比較して日本の都市の景観を著しく損ねてきた最大の原因は無数の電柱とたるんだ電線の束だ、と私は考えてきたので、わが意を得たりの思いである。電柱と電線がまったくなくなり、その上街路樹が植えられた道路を走るときには、「トパーズ色の風」が吹いているような爽やかな感じがする。しかし自転車をまったく無視する車が時々あるのは、嬉しくない。
 路地やスーパーなどの駐車場から道路に進入してくる車の運転手は、当然のことながら左右を見て他の車が来ないかどうか安全を確かめるのだが、どうも自転車は眼中にないらしい運転手がいるのである。私の自転車が直前まで迫っているのに強引に道路に出てきたり、ひどい時にはその車の目の前を私が横切っているというのに、進入してきて私の自転車を横転させてしまった車もあった。さいわいまだスピードがあまり出ていなかったので大事には至らなかったが。
 自転車は「車」の部類には入らない「無に等しい存在」と考えられているのだろうが、そんなとき私は運転手を睨みながら、神は「無きに等しい者をあえて選ばれたのである」(第一コリント1章28節)と口ずさむことにしている。


青野師

2009年11月15日 連盟定期総会を前に

2009年12月18日 23時29分48秒 | Weblog
    連盟定期総会を前に

 幼い頃、練炭火鉢は、幾通りにも利用できて便利だった。暖をとる、煮炊きにも使う、灰は、道路にまいて、よく水溜りのできる窪んだところを埋めるのに役立った。練炭に火をつけるのも子どもの仕事だった。ああ、なつかしの練炭火鉢。正月には餅を焼き、おでんをコトコトと煮込んだあの練炭火鉢。火鉢を囲んでみかんをむいて、紅白歌合戦なども見たように思う。
 ホームセンターに行くと、練炭と七輪は今でも売っていて、現代ではどんな用途があるのだろうかと思いつつ、なつかしく眺めている。私には、練炭は幼い頃のなつかしい冬の思い出と結びついてよきものだ。しかし今、もし妻がおでんをコトコト煮るのに役立つからといって練炭と七輪を買ってきたら・・否、否、きっとおいしいおでんを連想して喜ぶだろう。
 物や事柄から何を連想するかは、人それぞれだ。天城山荘と聞くと、ある人は、全国少年少女大会、全国女性大会、となるだろうか。また、定期総会を思い浮かべる方もいるだろう。浄蓮の滝のマス釣りを考える人は少ないだろう。連想させるものが、新たなる情報によって、よいものに変わるならばうれしいが、逆に、嫌なものになるのは悲しい。
 かつて、連盟の定期総会は、私には真剣、希望、ヴィジョン、躍動、発展、何かよきものの集合体であった。ところが今、縮小、落胆、そんなものに転じつつある。ともあれ、主により頼むものの群れなのだから、再び希望へとつながる総会であれ。


平良師

2009年11月8日 皆で主を讃えた日

2009年12月14日 22時47分31秒 | Weblog
    皆で主を讃えた日

 教会コンサートは、皆で主を讃える日となった。歌と演奏と踊りと会衆讃美と詩篇朗読と証しと、もう、盛りだくさんで、うれしい日であった。出演した者は72名。出演者も含め出席者は約百名。
 私も一人で歌うのは、小学4年生のときに、音楽のテストで皆の前で歌ったとき以来だった。今回のコンサートは、すべてが自前であり、それぞれができることをしてくださった。音楽委員会の指導と働きはもちろん、多くの方々の準備と手伝いがあり、皆で作り上げた。このようなコンサートは、初めてであり、毎年とは言わないまでも、何年に一度は行ってもよいのではないかとの意見も多く聞かれた。今回出演されなかった方々も、わたしのような者も出演させてもらったのだから、次回はきっと出演していただきたい。
 神様が、いつも喜んでいなさいというのならそうしよう。また、神様を讃美せよと言われるのなら、私たちはそのようにしようではないか。キリストのゆえに、私たちにはできる。主を讃美する姿はイエス・キリストの証しになる。ただし、従来行われてきたゲストを迎えての教会コンサートが果してきた働きも大きく、これによって教会を知る人々の裾野がかなり広がっていったのである。
 裾野が広がらないと、どっしりとした建物は建たない。私たちは、すぐに教会の礼拝につながることを願うけれど、教会に親近感を持つ方が増えること、教会が地域に好意を寄せられることもまた、伝道なのである。


平良師

2009年11月1日 二箇所をどのように有機的に結ぶのか

2009年12月10日 18時03分55秒 | Weblog
 二箇所をどのように有機的に結ぶのか

 私たちは、2年後にここ平和一丁目にある平和会堂と大名に建てる大名会堂の二箇所を用いて、伝道活動を行っていくことになる。大名での名称をどのようにするかについてもこれから話し合って決めることになる。
 さて、この二箇所の働きがどのように有機的に結びつき、実りを生むようになるのか、そこが思案のしどころである。例えば、これらはこれまで懇談してきた中で、でてきた内容ではあるが、大名で行われる小さな集会に集った人々が、平和の主日礼拝にも出席する。
 小さな集会とは、若者向けの金曜、土曜の夜の集会、平日のサラリーマンを対象にしたランチタイムの集会、スモールグループなどが考えられる。こちらの教会員は、あちらの集会のお手伝いをする。また、あちらでの集会の企画と行事の調整や運営などにも、こちらの教会員が携わる。大名だからできる新しいいろいろな試みを行うこともあろう。いわゆる人生相談を受けることもあろう。音楽集会、講演会などのイベントもまた、適宜開催できるであろう。二箇所で行われていることに有機的な結びつきを何とか作っていこうというのが、他の教会では得られない事柄であり、私たち平尾教会独自の豊かさを生み出していく素になる。
 私たちは、平和地区と大名地区の二箇所をいつも視野におくことで、自ずと2点を結ぶ幅広い地域が伝道対象地域になり、伝道内容自体もまた、多様性に富み、相互が刺激しあって双方の活性化にもつながることだろう。


平良師