平和1丁目 ~牧師室より~

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会の週報に載せている牧師の雑感

2011年12月25日 我が家に来るサンタクロースの思い出

2011年12月25日 13時24分32秒 | Weblog
  我が家に来るサンタクロースの思い出

 牧師宅に来るサンタクロースは、どういうわけか、どこも2、3日遅れるのが常だ。あるとき、今年もまだサンタさんは来ない、と嘆いていた子どもたちに、「そう言えば、昨晩屋根裏部屋でガタガタと音がしていた」と私は言った。こどもたちは、血相を変えて屋根裏部屋へ行った。お父さんが言ったとおりだったとプレゼントを抱えながら梯子を降りてきた子どもたちはうれしそうだった。
 このサンタさんは、不思議なことに遅れた理由を手紙でよこして来ることもあった。雪が急にどかっと降ってきて動けなくなったとか、トナカイが怪我をしたとか、である。こどもたちは、12月24日の1週間くらい前から、サンタさんに、今年はこれこれのプレゼントをお願いします、と書いてドアに貼るのだった。
 あるとき、他のこどもたちには、望みのプレゼントが届いたのだが、次男の物だけが来なかった。彼は、数年同じ物を頼んでいたのだが、今年こそはと期待していたようだ。ところが、今年もダメだったのである。
 サンタさんからの手紙があった。「アッペくんと言ったかな。君の願っているゲームは、体に悪いと思う。だから、それがどうしても欲しいのなら、サンタさんじゃなくて、サタンにお願いした方がいいかもしれない」とあった。しかし、次の年にそれは来た。サンタさんの「1時間以上するとこれは爆発します」と丁寧な説明書が添えられてあった。次男は時間を気にしながら、はらはらしてゲームをやったのである。


平良師

2011年12月18日 Climax Series は Anticlimax

2011年12月23日 21時56分08秒 | Weblog
   Climax Series は Anticlimax

 2007年のシーズンからいわゆるクライマックス・シリーズが導入されるようになって、私は日本のプロ野球への興味をまったく失なった。ClimaxがそれこそAnticlimax(興ざめ)と化したのである。福岡に来て、最初はライオンズの、そしてのちにホークスのファンにいつの間にかなっていたが、今は申し訳ないが、ホークスが日本シリーズで優勝しても、ほとんど何の感慨もない。なぜかと言えば、このクライマックス・シリーズなる制度には何の正当な根拠も見い出せず、ただ理不尽さだけが際立っているからである。
 なぜ144試合という長丁場を勝ち抜いたチームが、そのままそのリーグの覇者として日本シリーズに行けないのか。もしも大相撲で成績上位3名で必ず優勝決定戦をする、などと決めたりしたらどういうことになるか、考えてみたらいい。それと同じことを今のプロ野球はしているのだ。そして、プレーオフのような短期決戦では、本当の実力が問われる長丁場とは違って、何が起こるかまったくわからない。
 現にホークスは昨年も一昨年もパ・リーグの覇者になりながら、この短期決戦に負けて日本シリーズには行けなかった。それはある意味で当然であり、3位のチームも2位のチームも「駄目もと」で気楽に戦うことができるのに対して、1位のチームは「負けたら元も子もない」という重圧の下で戦わなくてはならないからである。1勝のアドバンテージなど、笑止千万である。
 今年のホークスと日本ハムとのゲーム差は17・5ゲームもあったのだから。これはあと18試合して全勝しなくては追いつけない大差である。今年3位の西武に至っては、勝ち越し数はたったの1ゲームであった。つまり、たとえ負け越しても、3位以内に入りさえすれば日本シリーズに行ける可能性があるほどに、この制度は理不尽なものなのだ。
 確かに柔道にも「敗者復活戦」がある。しかし敗者が優勝することは決してない。アメリカの大リーグにもプレーオフはある。しかしそこにはしっかりした根拠がある。つまりアメリカン・リーグ(14チーム)もナショナル・リーグ(16チーム)も3地区に分かれていて、地区を越えての試合はもちろんあるものの、同地区同士の試合数がそれよりもずっと多いために、各地区は同一条件下には置かれておらず、したがって、3地区それぞれの勝者と勝率の一番よかった2位のチーム(ワイルドカード)の合計4チームでプレーオフをしなくては、リーグの覇者が決まらないのである。
 プレーオフという形だけを真似た日本の制度には、何の正当な根拠もないにもかかわらず、多くの人がその理不尽さに抗議の声を挙げることもなく、それに熱狂しているのが、私には恐ろしい。なぜなら、同様の理不尽さが他の局面でもまかり通る素地をそれは培っているからであり、キチンとした理由があるにもかかわらず、それを平気で無視するということが他でも起こり得るからである。
 イエスさまは日本のこのような事態をどうご覧になっているだろうか。たかが野球、ではあるが、しかしことは社会の在り方を問うという、野球のみに限定できない射程を持った重い問題である、と私は考えている。


青野師

2011年12月11日 H家でのSGの夕食会

2011年12月21日 12時08分07秒 | Weblog
    H家でのSGの夕食会

 H家は、石橋台にあった。ダックスフンドのクロが迎えてくれた。居間には、ダルマストーブがあって、ちょっとした山小屋の雰囲気である。そこで、鯛鍋を囲むことになった。皆で材料を切ったり、食器の準備をした。この日のために、H兄は、朝から掃除をされたそうだ。食べ始めたのは、8時くらいであったろうか。それから、延々と食べ続け、デザートのドーナツを食べ、H兄が入れたコーヒーを飲んだのが、10時過ぎであった。よく食べ、よく語り合った。
 帰宅してから妻が言うには、「あなたが一番よく食べていた」。確かに、私はよく食べたと思う。それは、これまで食べた鍋の中で、この日の鍋が、ほんとうに美味しかったからだ。鯛の旨さがよく出ていた。どういうわけだろうか。これまでと、いったい違ったのだろう。何が野菜としては、白菜、春菊、ねぎ、しめじ、水菜、かぶなどが入り、そして、糸蒟蒻、豆腐も入れて、あとは、ポン酢で食べる、いつもと変わらない材料と食べ方だった。
 やはり、私の釣ってきた鯛が上等だったのかな。それらもまったくないとは言えないが、集まっていたSGの人々との語らいが食事に旨みを加えたのではないだろうか。SGの目的は、相互牧会であるが、いつもはそれに加えて学びあり、祈りありと、2時間ほどのプログラムである。この日は、年末の懇親会ということで、楽しく食事することにした。H兄は、6人の来訪を涙ながらに喜んでくれた。信仰の友はありがたい。


平良師

2011年12月4日 時代は終焉に向かっているが

2011年12月20日 20時28分24秒 | Weblog
   時代は終焉に向かっているが

 この時代が、終わりにさしかかっている。そんな予感に慄く2011年である。日本だけでなく世界経済も泥ぬま、東日本で大きな震災が発生、大地は放射能に汚染され、また、環境の悪化から来る自然災害も多発している。独裁者を豪語する者が現れても、大差で勝利する時代が訪れた。
 これから日本は、ある方向に大きく旋回していくのだろうか。恐ろしい気がする。そうかといって、キリストの教会に救いを求める者が押し寄せることもない。人々は、今、何を考え、これからどう生きようというのだろう。そして、教会は、それらに対して、どう応えていけるだろうか。つまり、どう寄り添い、どう否を言っていくのだろう。
 私たちは、時が良くても悪くても、福音を伝えることが使命であるが、時は悪化の一途を辿ろうとしている。何の圧力もなかったとは言えないが、法的には、これまで保障された中で伝道活動は許されてきた。にもかかわらず、キリスト教は伸びなかった。しかし、実に微々たる数ではあったが、日本におけるキリスト者たちの果たしてきた役割は小さいものではない。
 政教分離原則を主張し、戦い、日本が戦前のような危ない道へ進むことを抑え、日本の民主主義への発展、平和構築にも大いに貢献してきたと思う。それでも、人々の救いを願うなら、このままでいいはずがない。教会もまた無為無策のまま、時代の流れに飲み込まれていっていいはずがない。祈りつつ、具体的に未来の道筋を定めよう。


平良師

2011年11月27日 日本のキリスト教は本物か?

2011年12月20日 00時05分14秒 | Weblog
   日本のキリスト教は本物か?

 1988年4月に西南学院大学に入学し、今年で23年になる。私のような怠け者で、役に立たない伝道者が、いまだに教会で奉仕することが許されていることは感謝すべきことであるが、少し不遜ではないかと思っている。
 最近、表題の本が出版されたことを知って、私自身あらためて「自分自身が奉仕していることは役に立っているのか?」「自分の宣教は本物か?」と考えなおす必要があるのではないかと思うようになった。
 「自分の信仰は本物か?」という問いは何度も問いただしてきたつもりであったが、いまだにはっきりした決着点に到達してはいない。一生かかっても解決できないのかもしれない。神の喜びたもう人間には達しえないかもしれないが、より近づこうとして歩むことで、ゆるしていただけると思って日々の生活を過ごしているのが現実の姿である。
 よき先輩、後輩の献身者との交わりを与えられ、教えられて、喜びに満ちた年月を過ごしてきたことを考えると幸せであったし、すべて感謝すべきことばかりであったとしかいえない。これまで平尾教会、その他の教会の多くの兄弟姉妹との交わりが、どんなにすばらしいものであったか、あらためて神の導きと恵みを覚えてつきないものが山ほど与えられてきた。この身がどんなに見すぼらしいものであっても、神の愛と支えが如何に強大であったかを思う。今年も、もう残り少なくなったが、本物のキリスト者に近づけるよう励みたいものである。


松村師

2011年11月20日 鬨の声と賛美の声

2011年12月18日 23時54分15秒 | Weblog
     鬨の声と賛美の声

 今年のエリコの城壁は、堅固であった。「エリコは、イスラエルの人々の攻撃に備えて城門を堅く閉ざしたので、だれも出入りすることができなかった」と書かれている。ところが、神様は、この城壁で囲まれた町の回りを一日一周して、それを6日間続け、それから、7日目には七周回って、祭司たちが雄羊の角笛を鳴らし、その後、イスラエルの民が鬨の声をあげたなら城壁が崩れ落ちる、と言われた。
 そして、そのとおりにしたところ、あれほどに強固だった城壁が崩れ落ちたのだった。これは、神様のなされた奇跡のお話である。しかし、ダンスによる振動が原因で、その教室の入っていた韓国の、ある高層ビルが地震のときのように揺れたというニュースを先日聞いた。地震ではなく、音や何かの振動でも、建物が崩れることは十分ありうるのである。
 さて、今度の大名の礼拝堂は、いかなる音響になるだろうか。最善を尽くして、よい物ができるようにしたい。気持ちよく讃美できる平尾教会のような環境になったらよいが。全然響かないのも困るし、ワンワン響きすぎるのも困る。気持ちよく讃美できて、気持ちよく音楽を聴くことができるような音響になって欲しい。
 こればかりは、専門家に依頼するまでの予算がとれなかったので、とにかく出来上がるまではわからない。祈るばかりだ。鬨の声は、城壁を崩れ落とした。讃美の声は、頑な心の城壁を崩してくれるだろうか。壁を前に立ち尽くすことをやめ、一歩前進したい。


平良師

2011年11月13日 恵みにあふれた教会コンサート

2011年12月18日 23時49分56秒 | Weblog
   恵みにあふれた教会コンサート

 今年の教会コンサートは、教会員参加型のコンサートとしては、2回目だった。前回よりも出演者、出席者の数も多くて、内容もバラエティーに富み、盛り上がりも随分であったと思う。音楽委員会の準備も細かなところまでよくなされていた。出演者もそれなりに練習に励んだと思われる。ゴスペルグループは、ほとんどが共同保育のお母様たちであって、そのご家族も大勢見えていた。フラ讃美チームも当教会員以外の方々が2名加わってくださり、そのご家族もお見えだった。
 とにかく、日頃お見えでない方々もたくさん来られたのである。テーマは、「主なる神が建てられる~共につながろう~」。それぞれの出演者が、このテーマに沿ってその讃美歌に込められた思いを綴ったものが読み上げられ、それから演奏に入った。大名でのヴィジョンに向かって希望を語ると同時に、震災で被災された東北の方々のことに思いを馳せた。二つのことはまったく別々なことではなく、イエス・キリストの福音でつながれるはずである。なかなか準備されたよいコンサートであった。
 多くの方々が働き、皆が一つになって造り上げたコンサートだったと言える。だからだと思うが、集った人々の顔が皆満足げであった。お茶の時間にも、大勢の人々が残られた。歓談している人々の顔はうれしそうで、なかなか帰ろうとされない。とても、いい雰囲気であり、今回の教会コンサートには、学ばせていただくことが多かった。


平良師