平和1丁目 ~牧師室より~

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会の週報に載せている牧師の雑感

2010年9月19日 免疫力をつける

2010年09月26日 19時50分23秒 | Weblog
     免疫力をつける

 不思議なことがある。前の晩、眠れなかったりして仕事をしている場合、こんなに疲れをおぼえるのは、昨晩眠れなかったからだと考える。ところが、自分の楽しみごとになるとそんなことは考えないし、3時間くらいの睡眠でも疲れ知らずで飛び回っている。人間は、ほんとうに気分で元気になったり、疲れたりということがあるものだ。
 最近、免疫力のつく食事をというのが、ブームになっている。ポリフェノールがいいそうだ。蓮根などもいいという。また、笑うと免疫力が増すらしい。妻が、ときどき鏡を見て、大声で笑っている。そんなとき、私は不愉快になって、半ばやけくそで傍に行って同じように笑ってみせる。そんなことをしていたら、私もいつの間にかできるようになって、妻と2人で、大声でわっははは、ぶーほほー、うーひひひ、とやっている。他人が見たら何をこの人たちはしているのだろう、と思うだろう。
 パウロは、イエス様にあって、いつも喜んでいなさい、と教えている。パウロは、キリスト者が免疫力をつける方法を知っていたのだろうか。ところで、誇りを傷つけられることに慣れていない人は、少しのことでも腹が立ったり、気持ちが萎える。しかし、いつも虐げられている人は、少々では参らないかもしれない。
 例えば、狂言は庶民のしたたかさをよく表していて、殿様などを笑い飛ばして痛快である。現代社会に生きる人々に必要なものは、免疫力!趣味で免疫力を高めている者もいる。


平良師

2010年9月12日 高齢化社会の教会

2010年09月26日 19時43分18秒 | Weblog
    高齢化社会の教会

 当教会では、75歳以上を敬老対象者としておぼえている。教会員が15名(100歳代2名、90歳代2名、80歳代6名、70歳代5名)求道中の方々は、4名おられる。私は55歳だから、子供、ある方々にとっては、孫と変わらぬ年齢で、青二才、洟垂れ小僧といったところだろう。
 それでも、一般企業では、そろそろ定年という年齢であり、第二の人生を考えなければならない。ところが、牧師たちは、最近70歳を定年と考えているらしく、中には、80歳でもバリバリ現役という方もおられる。社会全体、高齢化が進んでいるから、こうした方々が、同年代の方々の牧会にあたられるのは社会のニードに適っているかもしれない。
 また、十分な給与を支払えない教会も多くて、自然と年金牧師に頼る傾向でもある。どういうわけか牧師は年をとらない。連盟の教勢報告の年代分布表からも教会の高齢化はわかる。社会は高齢化時代であり、高齢の方々こそ、教会へお招きすべきなのだろう。ご高齢の方々の興味や関心事について研究する必要が大いにある。
 ところで、寂しく心配なことでもあるのだが、最近、体力的に礼拝に出席できなくなったご高齢の方々もおられる。送迎、ソファー、簡易ベッド、ケアなど、迎える環境も整えなければならないが、出張礼拝(主の晩餐)なども定期的に行なう必要があろう。ご高齢の方々が、喜びのうちに安心して、少しでも長く礼拝や信仰生活ができるように教会はこれからさらに努めよう。


平良師

2010年9月5日 あ~あ、アキ!

2010年09月26日 19時35分25秒 | Weblog
     あ~あ、アキ!

 秋はもの悲しくなるから嫌いである。9月になっても残暑厳しい毎日だが、それでも日暮れは早くなり、秋風は吹く。虫も鳴き始めた。嫌いな秋が今年もやってきた。食欲はなくなり、読書もしたくない。余計なことだが、今年は、サンマも高いから食卓に上がらない。
 私にとっては、秋に何の良きものがあろうかだ。学生の頃までは恋する秋だった。それが、いつの頃からか、秋はただのもの悲しい季節でしかない。前にも書いたように、観光地としての山梨の富士吉田では8月末の火祭りが終ると、急に町全体も勢いを失うので、そう感じたのだが、福岡ではそういうことではなしに、ただ季節の移り変わりに憂鬱さを感じてしまうようになった。
 それで?そう、それで、釣りにも行こうと思わなくなってしまうのである。思えば、私はここ数年、同じことばかりやっている。同じ釣り場で釣りをして、同じように魚をさばいて、教会員の方々に食べていただいて、そんな繰り返しにはアキはこなかったのかい。そうかもしれない。
 私が、神様からいただいた楽しみごとは、釣りだった。映画鑑賞もいいが、夢中になれるのは、やはり釣り。その釣りへの意欲さえもなくさせる秋。そこで、ふと思うのだ。ほんとうに私は釣りが好きだったのだろうか、と。そのことを確かめるために、今週もまた釣りに行かねばならない私の気持ちも察して欲しい、秋よ!真実が判明したとき「断釣」という思いに駆られるかもしれない。


平良師

2010年8月29日 スモールグループ参加のお誘い

2010年09月26日 15時11分02秒 | Weblog
  スモールグループ参加のお誘い

 9月19日(日)の週からいよいよ平尾スモールグループ(HSG)が始まる。是非、この集まりに参加していただきたい。これについては、教会員の週報ボックスにその内容についてのレジュメを入れておいたので、お読みになられた方はだいたいのことはご理解していただけたかと思う。
 集会は、3部構成になっている。テキストを通しての学び。最近起こった出来事からの分かち合い。祈り。約2時間である。9月は、会場を提供してくださる方の都合により、その日時を決めさせてもらっている。原則としては、月に3回開催することになっているが、SGの諸事情にお任せすることになる。このHSGは、学び、相互牧会、祈祷という教会でこれまで行ってきた教会学校と祈祷会とを兼ね合わせることができる上に、一番の魅力は、HSGのメンバーがそれぞれの祈りの課題を共有し、関係性が親密になれることである。
 文字通り神の家族意識が高まる。教会の群れが大きくなればなるほどに、相互の関係は希薄となり、群れにおける自分の存在意味のようなものが見失われがちだ。そこらをこのHSGは、フォローできると考えている。
 そして、このHSGには、伝道という機能も十分に期待しているのである。新来者や求道者が加えられ、新しい風がいつも起こっていることが大切である。つまり、このHSGが一つの小さな教会となるのである。多くの方々が、伝道の最前線としてのHSGに参加していただきたいと願う。


平良師

2010年8月22日 教会の新しい力

2010年09月19日 23時45分22秒 | Weblog
     教会の新しい力

 今回の夏期キャンプでは、教会の新しい力を思った。青年と中高生たちが、小学生以下のお世話を懇ろにしてくれた。こういうお兄さん、お姉さんが一緒に遊んでくれたり、活動してくれたことで、子どもたちも楽しそうにし、キャンプは活気に溢れていた。また、妻が、急遽出席できなくなった穴埋めをM姉がしっかりと、否、それ以上にやってくださった。そして、K兄は、全体をよくまとめてくださった。
 また、それぞれに必要な働きを各担当者たちが、きちんと担ってくださった。そして、プログラムの始まりや食前の祈りを小学生たちが行なった。他団体との夕べの集いの司会も高学年の女子3人が引き受けてくれた。それも堂々としてなかなかよかった。「お祈りってなぁに?~神さまにお話ししよう~」というテーマに沿った学びが、実際に祈ることでより身近になったのではないだろうか。多くの人々が、それぞれに責任を負い、奉仕を担うとき、教会の活動の広がりは、目を見張るほどに深く大きくなる。
 それに比べ、奉仕をする人々が少なく、同じ人に幾つもの奉仕が集中するとき、教会は疲れ、脆弱になっていく。私たちの平尾教会は、これからどのように成長していくのだろうか。特に大名の伝道では、教会員の中から溢れ出てくるヴィジョン、神様から示されるヴィジョンが語り合われ、一人でも多くの方々の参加が必要とされるだろう。少なくとも、祈りにおいては、すべての者が参加者である。


平良師

2010年8月15日 日本のとるべき態度を考え直そう

2010年09月19日 23時35分57秒 | Weblog
 日本のとるべき態度を考え直そう

 1937年7月7日、日本陸軍が中国に侵攻を始めて、18年間戦争を続け、ようやく天皇の敗戦の弁をきいたのが、1945年の8月15日であった。今日が記念すべき日である。思えば65年経過したことになる。現在の日本は果たして平和と言えるのかどうか。1998年からこの10年間で30万人以上の人が自殺している。20代から50代までの自殺の第一原因が、経済・生活(自殺対策支援センター調べ)という。
 また、秋葉原通り魔事件や、凶悪な犯罪が数多く起っており、政治・経済の面でも精神的な面でも、日本の将来に明るい希望があるとは決していえないのではないだろうか。しかしながら、新聞・テレビを見ていると経済や社会福祉も大切だと考えられるが、もっと大事なことがあるように思われる。
 それは、日本は果して独立国といえるのかという問題である。当時は単独講和しかとる道がなかったのかもしれない。占領軍(occupied forces)がずっと居続けて、飛行場とその他日本の国土をアメリカの治外法権の土地として使用している事実である。スイスのように永世中立国としてどうして独立しないのか。日本人としてそれがもっともふさわしい望むべきことだと思うが、如何だろう。
 平和と国防は、もっぱらアメリカの核の傘の下にいることだと政府は平気な顔をしているが、そんな恐ろしい愚かなことを考える政治家がいるのだろうか。専守防衛で想定されるのは日本国の領土ではないか。スイスは少数の普通兵器をもつ軍隊だけで平和を維持しているのである。アメリカの軍人が血を流しているのを手を拱いて見ているとでもいうのか。
 アメリカの軍隊とは交流のない友好国として、協力し合う関係を築くべきである。全世界のどの国も核を放棄する姿勢を人類は持つべきであり、それを第一に主張し、固持することを国のもっとも大事な方針とすることを、今こそ日本は世界に明示してやまない。


松村師

2010年8月8日 平和な日本・・なのだろうか

2010年09月19日 23時27分10秒 | Weblog
  平和な日本・・なのだろうか
 行政上は、年金を支払っているなどして、生存しているはずのお年寄りが、既に死亡していた事件で、日本全国の100歳以上の方々の所在が確かなものなのかどうか、調査している。90歳以上ならばどうだろうか、もしかしたら、もっと大勢の方々の所在が不明になっているかもしれない。
 経済不況の中、既に死亡した親たちのことを隠して、年金を受け取っているという遺族もいるようだ。恐ろしいことである。親の死さえも、生活のために利用しようというのであろうか。もちろん、ホームレスを余儀なくされて、住所不定で生存の確認ができないという方々もいよう。
 神様からいただいた命であるにもかかわらず、その方の生存がわからない、否、その方の存在すら忘れられている、そのことが悲しい。戦争がないというのは、平和の第一条件であるが、しかし、このような日本社会の一面を思うとき、果たして、日本は平和なのだろうか、と思わざるをえない。平均寿命は、世界一の国である。ご高齢の方々が尊ばれ、毎日の生活の中に生きがいと喜びを感じて、生活ができる社会になっているのだろうか。
 そうでなければ、長生きすることはつらくなる。そこが、真実に平和な国かどうかは、その国のご高齢の方々の扱いや生活ぶりをみるとき、きっとわかるだろう。ご高齢の方々の安否も確認できない、存在すら忘れ去られている社会は、平和からは随分と遠い。


平良師

2010年8月1日 スモールグループ(SG)考 第5話

2010年09月19日 23時22分59秒 | Weblog
 スモールグループ(SG)考 第5話

 「福音と世界」8月号は、「『キリストの体』と『国体』-政治神学的考察」という特集だった。その中で、深谷有基さんは、ワールドカップのとき、日本各地で「パブリックビューイング(PV)」が、行なわれたことを取り上げ、この現象について説明していた。
 「一つには、皆とつながりたいという求めがそこに発露しているのではないか。特に都市部においてはむきだしの個人の孤立・孤独の情況にあって、誰かとつながりたい、つながっていたいという感覚は常にあり、その希少なきっかけを人々は探し、あるいはつくろうとする」とあった。
 続けて「PVといっても一心に見つめるのはお互いではなく大型スクリーンなのだが、一箇所に集まり、同じ試合を観ている隣席の興奮の声やため息を耳にすることで、そのテクノロジーによってもたらされる孤立感は多少なりともやわらぐのかもしれない」。
 深谷さんは、こうした「個人」が集まって形作る「公共」は、「共同体の喪失」と共に現れたのではないか、と述べている。そして、その失われた共同体とは何だったのかというと、それは「家族」であるという。
 戦時中、教会が当時の「国体」思想に呑み込まれていったのも、教会が、真実には新約聖書の教えるごとく「キリストの体」「神の家族」という家族的共同体たりえなかったことにあるのではないか、と。ところで、SGが、理想に近い家族的な共同体を形成できる可能性を持っていると考えるのは、甘いだろうか。


平良師