平和1丁目 ~牧師室より~

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会の週報に載せている牧師の雑感

2014年9月21日 学んだことのあれこれ、感謝!

2014年09月27日 00時06分25秒 | Weblog
学んだことのあれこれ、感謝!

 規模の小さな教会から学ぶことがある。そして、大きな規模の教会から学ぶことがある。私はかつて、開拓伝道に従事していた。そのとき、東京や神奈川から、当時の伝道所よりはるかに大きい規模の教会の方々が奉仕にみえて、帰りがけに「たいへん励まされ、恵まれました」と言われて帰っていかれた。
 私は、あのとき、他の方々から祈りにおぼえていただくことのありがたさと同時に、全国拠点開拓伝道所のもう一つの働きを胸に刻んだ。今度のアメリカの研修旅行では、あることを成すためには、丁寧な準備と教育の大切さを学んだ。これからの平尾教会の必要な部分として、認識させられた。
 そして、研修の受け入れをしてくださり、プログラムを整えてくださったD・H牧師をはじめ、さまざまな部署の担当者たちとそれを許してくださったS教会には何とお礼を申し上げてよいかわからない。また、旅の全般にわたりいろいろとこちらの要望を受け入れながら旅のお世話をしてくれた姪のI姉やその家族の皆さんにも感謝したい。I姉は、数千キロに及ぶ旅路の運転手までしてくださった。
 私たちのためにほんとうによくしてくれる彼らの姿に、キリストに仕える者の謙虚な姿を教えられ、牧会する者の原点だと思った。私たちすべての者が、健康を支えられ、よく学び、よく観、よく遊び、よく食べた10日間の旅であった。教会から大きな補助をいただき、祈りに支えら、主に守られ導かれた旅でもあった。感謝!感謝!


平良師

2014年9月14日 カンボジアへの道

2014年09月26日 23時52分05秒 | Weblog
カンボジアへの道

 9月2日~4日に行われた連盟理事会で、私と妻・Kのカンボジア宣教師派遣が正式に承認された。嬉しさと安堵の気持ちが入り混じった思いである。最初のきっかけは、4年ほど前に遡る。私が連盟伝道隊でカンボジアを訪れたことだ。
 当時神学校1年目で、日本以外の初めてのアジア、カンボジアでの経験は私に強烈なインパクトを与えた。首都プノンペンは活気にあふれてはいるが、ポル・ポト政権の傷跡が未だに深く残っていた。教師が不足し、交通ルールはあって無いようなもので、生活のインフラもまだまだ整っていなかった。多くの必要を目の当たりにして、「神様に、ここで私の経験を用いて頂きたい、カンボジアの人々と共に生きていきたい」そう強く願った。
 帰国後、カンボジア宣教への祈りが始まった。3年越しで単身赴任という形でようやく実現した、ミッションボランティアというステップを経て、主はついに私たち夫婦に、宣教師への道を開いてくださった。主がカンボジアでこれからなさろうとしている、宣教のみわざに参与できることは、この上ない喜びである。主は果たして、私たち家族に、どんな宣教の計画を用意してくださっているのだろうか。
 カンボジアへの道は開かれた。あとは、向こう岸に渡ることができるように、しっかり準備することである。やるべきことは多い。主が1つ1つを導いてくださるだろう。平尾教会の教会員の方々にはこれまで多くの祈りと、経済的支援を頂いた。心からの感謝をささげたい。


嶋田師

2014年9月7日 成熟した教会人として

2014年09月13日 13時11分42秒 | Weblog
成熟した教会人として

 私は、罪多き者で、人格も褒められたものではないことを重々承知している。その上で、あえて、成熟した教会人の話をしたいと思う。平尾教会の成熟さは、人のうわさ話をしないところにある。それは、私がこちらの教会に来て、当初から感心していることである。
 平尾教会のこのよき伝統はこれからも大切にしていただきたい。スモールグループの約束ごとの中に、人のうわさ話をしないというのがある。スモールグループでは、専ら自分の現在抱えている苦しみや困難な問題を分かち合って、それに対して、参加した者たちが、そのことに共感し、祈り合うことが目的の一つとなっている。
 また、約束ごとでは、教会の運営に関することは、総会、常会、各会、委員会などの公的場で質問や意見を述べることになっている。うわさ話のよくないのは、その場にその人がいないために、説明したり、釈明したりできないことで、だからといって、うわさ話をしている者たちが責任をとれるかというと、それもできないのである。
 教会の中で、ある事柄に疑問があり、どこかに説明を求めたいけれども、わからない方は、是非、執事か主任牧師、牧師、協力牧師にお尋ねいただきたい。執事は、責任役員である。また、主任牧師は代表役員であり、公的に最終責任をとる立場にあるので、教会に事故や不祥事が生じた場合はもちろんのこと、教会運営に関する些細な疑問への説明なども含め、責任ある答弁をするはずである。


平良師

2014年8月31日 娘の結婚式とドイツという国の印象

2014年09月06日 16時31分48秒 | Weblog
娘の結婚式とドイツという国の印象

 ドイツが、どのような国なのか、国民性がどうなのか、詳しいことは知らない。ただ、第一印象としては、結構日本人に近いものを感じた。空港で待っている人々のようすを見ていると、とても静かであった。何事かを考えている人、本を読んでいる人、風景をずっと眺めている人、もちろん、パソコンや端末を扱っている人々などもいたが、日本人のように携帯に夢中になっているような人は少なかった。
 このような国民性が、哲学や神学が、ドイツではぐくまれてきた理由の一つになっているかもしれない。そして、日本に持ち込まれた神学もまたドイツからのものが大きく影響を及ぼしているのは、似たような国民性だったからかもしれない。
 娘が、住むことになっているのは、ブランシュバイクという町で、ハンブルクなどに比べるとさらに小さな田舎の町だ。どこにも古城やそれに隣接して歴史ある教会が建っている。娘の連れ合いは、ピアノを製造している会社で、最後の工程の整音師という仕事をしている。ドイツは、税金が高いが、その分、福祉関係はよく整備されているという。
 だから、贅沢はできないが、まあ何とか生活はできるようだ。その代わり、外食でも何でもちょっと贅沢しようとするととんでもなく高いのである。ああ、それから、娘の結婚式はあちらの教会で滞りなく済み、平尾教会の皆さんをはじめ多くの方々のお祈りに感謝した。イエス様を主とする群れは、世界どこも同じで、温かくありがたい。


平良 師

2014年8月24日 久山ワークキャンプ2014

2014年09月04日 23時37分49秒 | Weblog
久山ワークキャンプ2014

 大名クロスガーデンでは月に一度ほど、久山療育園の園児たちが遊びに来る。くつろぎカフェのある金曜日に来られることの多いが、普段、普通に生活している人たちにとって重度心身障がい者の方と触れ合う機会はないので、とても貴重な出会いを頂いていると考えている。今週はお隣のジョウキュウ醤油の社員さんがお昼休みに休憩に来られた。地域と教会の出会いの場となっていることが本当に嬉しい。
 久山療育園のテーマのひとつに「重度心身障がい者を社会の中心に」という言葉がある。それは弱者が切り捨てられる社会ではなく、あたたかな目が社会の中心に注がれることの実現である。イエス様が当時社会から見捨てられて、苦しんでいた人たちに目を注がれ、また助けられたように、イエス・キリストの願われた神の国が社会の中心となることを祈りつつ、彼らが来ることを心から楽しみにしている。
 8月18~20日、二泊三日で久山のワークキャンプ2014に参加し、久山療育園に行ってきた。いつもは迎える側だが、今回は迎えられる側である。久山の園児たちは福岡でその神の国の実現に仕えているが、今回は仕えられる主人のようである。ワークキャンプ出席者は療育園の園外で草刈りを、園内で窓ふきや彼らの車椅子を拭かせて頂いた。
 一人ひとりが顔の違うように、車椅子も又一つ一つ違う。ワークキャンプの最後には園児たちの食事の介助があったが、一人で食べることすら出来ない、その彼らの手となり、足となれて、その顔の笑顔があった時に得も言われぬ喜びを感じた。キリストの笑顔に与るとは、こういう事なのかもしれない。


森 師