平和1丁目 ~牧師室より~

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会の週報に載せている牧師の雑感

2009年7月19日 恥じる心を捨てるなんて

2009年09月24日 21時31分15秒 | Weblog
   恥じる心を捨てるなんて

 相手に、自分の思いを伝えたいという強い願いがあるなら、言葉はなくとも何とか手振り身振りで意思疎通ができる。妻は、其の手の能力に秀でるものがあり、ときどきうらやましいと思う。
 先日もテキサスから来られたゴスペルチームのある女性が、妻に、お皿に盛ったお菓子や料理を持ち帰りたいのでパッケージしてくれないかといった内容のことをこっそりと言ったときのことだ。妻は、ポイね、ポイと言って、ワハハハと笑っていたが、それを見て、その頼んだ女性もにこにこしてお願いしますというようなことを言ったのだろう。
 妻は、アイ、アンダスタンド、アイシーと言って、その皿を預かり、ゴミ箱にポイと投げ込んだ。そして、ポイね、ポイとまた言って、そして、わざわざそのゴミ箱を持ってきて、ポイね、ポイ、とゴミ箱を指差して笑った。その女性は、びっくり仰天して、隣りに座っていた同じチームの女性と顔を見合わせてワハハハと突然笑い出した。
 妻は、もう食べきれないので、ゴミ箱にこっそりと捨ててくれと言われたと勘違いしたらしい。妻の意思疎通術には、驚く。それでも、多くの方々と知り合いになって、あちらの方々にも強烈な印象を残したことだろう。
 英語のわからぬ私は、おくゆかしいので、ただ、所在無さげにひきつった顔でニコニコしていただけだった。外国人と意思疎通を図ろうと思うなら、つらいことだが妻に学ばねばならない。その第一は、恥じるという心を捨てることだ。


平良師

2009年7月12日 伝道の意外性

2009年09月12日 13時31分07秒 | Weblog
      伝道の意外性

 どのようなところに伝道の可能性があるか、やってみないとわからないといつも思う。先日の特別伝道集会といい、今回のゴスペルコンサートといい、いくつかのことを私たちに教えてくれた。一つには、どちらもポスターやチラシを見て来たという人が、これまで以上に多かった点である。私たちは、こうした手段は、ひと昔前のもので、今の時代には通用しないのではないかと、どこかで徒労かもしれないと思いながら、行っていたふしもあった。
 ところが、これらのものは、まだまだ立派に通用することがわかった。そして、フラにしろ、ゴスペルにしろ、関心をもっている人々が意外に多いということにも気づかされた。フラは、ハワイの先住民のものであるし、ゴスペルは、黒人のものであるけれど、今や、それらは広く日本でも市民権を得ている。あちこちにフラのサークルがあり、ゴスペルのグループがある。
 フラは、フラ讃美という形で、キリスト教の礼拝の中で、神讃美の一つの形態として用いられるようになったし、ゴスペルも讃美歌の一つのジャンルとなっている。だから、私たちは、これらはキリスト教信仰というバックボーンがないと、本当には真実のものは表現できないのだと、大いに主張しよう。
 既にある物に意味を注入するのである。例えば、有名な外国のスポーツ選手などが、神に栄光を帰する表現を好プレーの後にすることがあるが、あのような選手たちの信仰を紹介することも一つであろう。


平良師

2009年7月5日 不誠実なことに振り回されない

2009年09月09日 23時13分54秒 | Weblog
  不誠実なことに振り回されない

 ある国の首相のお話。「解散はいつ頃ですか」、よせばいいのにまた聞いている。答えは決まっているではないか。「私が適当と思うときに、私が決めさせていただきます」。やはり、そうだった。この方は、「私が・・、私に権限があるのだ、私だあ?」とこう言いたいだけじゃないのか、そのように思ってしまう。
 例の不敵とも思われる笑みを浮かべながら、そうお語りになる。私も言いたくなる「アッ、ソ?」。
 しかし、メディアもどうしてこうもしつこく毎日のように同じことを聞いているのだろう。昨日の会見では、ついに「とにかく、任期満了までの間には解散します」というようなことまで言っていた。マスコミの皆さんは、こんなにコケにされているのに、おそらく明日もまたどこかで誰かが聞くのだろう、「解散はいつ頃でしょうか。都議会選後でしょうか・・」。そして、待ってましたとばかりに「ふむ、いつかは、私が、適当なときを考え、判断させていただきます。私が、私がですよ!私です」。一方においては、日本の失業率が、5.5%になったと報道していた。もっとそのような方々の声やようすを知らせて欲しい。
 解雇された方々に「いったい何が原因で解雇ということになったのですか」、そんな真面目な質問をして欲しい。「解散はいつ頃ですか」といった質問よりも誠実な感じがして、マスコミにも好感がもてるというものだ。それにしても、私たちの毎日は、何と多くの不誠実なことに振り回されていることか。


平良師