一つの区切りをつけて、さらに前進
先日、野方教会の泉先生から「宣教25周年記念誌」をいただいた。野方教会は、長住教会の伝道所として出発した。そして、その長住教会は、平尾教会の伝道所だった。そうしてみると、野方教会は、私たちの孫にあたる教会である。
そこが、25周年を迎えた。とても喜ばしいことであり、心からお祝い申し上げたい。さて、平尾教会も教会組織20周年のときに「ひらお20年」という記念誌を出した。Y兄にうかがったことがあるが、40周年記念誌は、諸状況が整わなくてできなかったということである。
教会組織50周年ということならば、あと6年ほどの余裕がある。しかし、宣教50周年というのであれば、そろそろ準備を始めなければならない。宣教開始の年は、1955~56年頃で、カルペッパー宣教師が、S兄のお隣にあった宣教師館で始められたのである。
このような何十周年記念というのは、歴史を積み上げていく上で、とても重要なものである。例えば、記念誌を一つ作るにも、50年間の歴史資料を集めるとなると、そう簡単ではないし、あわせてその中身の検討や原稿の依頼も必要となる。
記念行事の内容も考えねばならない。宣教50周年ということであるなら、来年度くらいから、準備委員会を作り、少しずつ作業に入っていくことが必要になろう。教会は、一つの節目を迎え、新たなるヴィジョンに向かって歩もうとしている。これまでもそうだったし、これからも神様の期待に応える教会であることを求めつつ。
平良 師
先日、野方教会の泉先生から「宣教25周年記念誌」をいただいた。野方教会は、長住教会の伝道所として出発した。そして、その長住教会は、平尾教会の伝道所だった。そうしてみると、野方教会は、私たちの孫にあたる教会である。
そこが、25周年を迎えた。とても喜ばしいことであり、心からお祝い申し上げたい。さて、平尾教会も教会組織20周年のときに「ひらお20年」という記念誌を出した。Y兄にうかがったことがあるが、40周年記念誌は、諸状況が整わなくてできなかったということである。
教会組織50周年ということならば、あと6年ほどの余裕がある。しかし、宣教50周年というのであれば、そろそろ準備を始めなければならない。宣教開始の年は、1955~56年頃で、カルペッパー宣教師が、S兄のお隣にあった宣教師館で始められたのである。
このような何十周年記念というのは、歴史を積み上げていく上で、とても重要なものである。例えば、記念誌を一つ作るにも、50年間の歴史資料を集めるとなると、そう簡単ではないし、あわせてその中身の検討や原稿の依頼も必要となる。
記念行事の内容も考えねばならない。宣教50周年ということであるなら、来年度くらいから、準備委員会を作り、少しずつ作業に入っていくことが必要になろう。教会は、一つの節目を迎え、新たなるヴィジョンに向かって歩もうとしている。これまでもそうだったし、これからも神様の期待に応える教会であることを求めつつ。
平良 師