平和の主イエス・キリストのご降誕
2004年も人類は、平和な世界にできなかった。戦火の中で、過ごさねばならなかった人々が少なからずいた。テロの爆弾に倒れた人々、空からの無差別の爆弾で死んだ人々、イラク、パレスチナ、その他、アフリカやアジアや南米などの国々で圧制や紛争があり、繋がれ、倒れた人々がいた。
私たちにできることは、平和を愛する政治家や政党を選ぶ他は、与えられた場所と機会にキリスト者としての証しをたてること、また、平和を祈る以外にはない。世界中皆が、同じくらいの生活ができるなら、争いごとはほとんど起きないのだろう。
しかし、人には欲があり、富を求め、便利さを求め、他よりも自分は、もっといい境遇、状況の中で過ごしたいと思う。例えば、自分たちだけは、いつまでも便利な車社会がいいし、それも安いガソリンを使用したい。
そのようなとき、他者の利益や未来に生きる人々のことなど考慮することができない。そして、そんな社会がいつまでも続くわけでもない。戦争はどうして起きるのか。人類始まってからずっと、人間は、この問題を解決できないでいる。世界中から戦争がなくなった時代というものがあっただろうか。
キリストが二千年前この世に来られて、私たちの罪の根本的な問題は解決しているのだが、今尚、戦争は収まらず、キリストは十字架から降りることができない。二千年前、平和の主は光として来られたが闇はなお深い。
「闇はこの光を阻止できなかったのである」
(岩波小林訳)
平良 師
2004年も人類は、平和な世界にできなかった。戦火の中で、過ごさねばならなかった人々が少なからずいた。テロの爆弾に倒れた人々、空からの無差別の爆弾で死んだ人々、イラク、パレスチナ、その他、アフリカやアジアや南米などの国々で圧制や紛争があり、繋がれ、倒れた人々がいた。
私たちにできることは、平和を愛する政治家や政党を選ぶ他は、与えられた場所と機会にキリスト者としての証しをたてること、また、平和を祈る以外にはない。世界中皆が、同じくらいの生活ができるなら、争いごとはほとんど起きないのだろう。
しかし、人には欲があり、富を求め、便利さを求め、他よりも自分は、もっといい境遇、状況の中で過ごしたいと思う。例えば、自分たちだけは、いつまでも便利な車社会がいいし、それも安いガソリンを使用したい。
そのようなとき、他者の利益や未来に生きる人々のことなど考慮することができない。そして、そんな社会がいつまでも続くわけでもない。戦争はどうして起きるのか。人類始まってからずっと、人間は、この問題を解決できないでいる。世界中から戦争がなくなった時代というものがあっただろうか。
キリストが二千年前この世に来られて、私たちの罪の根本的な問題は解決しているのだが、今尚、戦争は収まらず、キリストは十字架から降りることができない。二千年前、平和の主は光として来られたが闇はなお深い。
「闇はこの光を阻止できなかったのである」
(岩波小林訳)
平良 師