平和1丁目 ~牧師室より~

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会の週報に載せている牧師の雑感

2020年3月15日 T兄の挑戦者魂

2020年03月21日 16時56分50秒 | Weblog
T兄の挑戦者魂

 81歳のT兄が、甘夏の木に登って、木の先端の方なので収穫するのが困難だった甘夏の実をさらに30個もちぎったと聞いて驚いた。T兄のチャレンジ精神には、いつも感心させられている。ヤマメ釣りもT兄なりの釣り方で、最初からなかなかの釣果だった。ここでは、平均25匹程度ですね、と管理釣り場の 職員は言っていたが、彼は30匹は釣り上げた。
 魚をトリッキーな動きで誘うのだ。今度は、燻製にも挑戦された。エサや釣り具はどこで調達するのか、魚の捌き方はどのようにするのか、燻製には、何が必要で、どのような手順で作るのか、一つ一つメモにとり、でかけて行き、見て、自分でもやり、そうやって覚えておられる。おそらく、何度かは失敗するだろうが、すぐにマスターするような気がする。
 T兄の武勇伝は、すさまじい。何度か釣りをしていて、鼻、耳、唇に釣り針をひっかけた。ご存じのように釣り針には、返しというものがあり、一旦刺さると抜けなくなる。さすがに唇を貫通させたときは、私がペンチで針を折り、抜けたが、鼻、耳のときは、ご自分で強引に引っ張り出した。普通は、もうこりごりというところだろうが、T兄は、全くひるむようすなどなく、釣りを続けられた。
 大名ができたとき、周辺の飲食店や商店に、DCG開設の案内チラシを配布して回られた。そのT兄からお褒めの言葉をいただいた。「先生は単純作業は苦にならないでしょう。私もそうです」。純朴な信仰者ということ?


平良憲誠 主任牧師

2020年3月8日 ちょっと詠んでみました

2020年03月09日 22時01分18秒 | Weblog
ちょっと詠んでみました

 この季節に平尾教会を楽しませてくれる二本の木々があることは、教会の皆もよく知っている。甘夏とアーモンドである。甘夏は、実りの季節を迎え、アーモンドは、花の季節となる。これらの木々が愛おしいのは、全くといっていいほど手を入れていないのに、季節が来れば毎年私たちを楽しませてくれる。
 甘夏は、教会バザーのために収穫される。いつも1万円以上の献金となる。先端についている実を収穫するためには、人間が木に登らなければならない。木の立場になって考えると、さぞ、きつかろう。平尾の甘夏は、ジューシーで、実がギュッと引き締 まり素朴においしい。無農薬で、周辺の秋の木々の落ち葉が唯一の肥料である。この甘夏でゼリーを作られるご婦人もおられて、とてもおいしい。
 それから、アーモンドは、一昨年の台風で倒れたけれど、起こしてつっかえ棒をしていたら、何 とか元気を取戻し、今年も花を見事につけている。毎年、通りがかりの人々が桜と間違え写真を撮る。後は、芙蓉がある。あまり知られていないが、これもこの時期で、片隅で艶やかに咲いている。
 「ウイルスのマスク姿の信徒らにアーモンドの花春を告げる」。「手入れなし愛情なしもただけなげ甘夏の実も芙蓉の花も」。「北国のコロナウイルスの教会に聖霊吹くや甘夏の香り」。教員をしていた頃、授業で短歌を扱ったことはあるが、自分で詠んだことはない。平尾の最後の春、庭の愛らしい木々におされて、試しにやってみた。


平良憲誠 主任牧師

2020年3月1日 どう生きるのか

2020年03月09日 21時57分05秒 | Weblog
どう生きるのか

 ジャーナリストの伊藤詩織さんは、元TBSアメリカ支局長の山口某から性的暴行を受けた。彼女の訴えは、刑事訴訟では不起訴になってしまったが、しかし民事訴訟では彼女は勝訴した。昨年12月末のことだ。その直後の外国特派員向けの英語の記者会見で彼女が、「私たちはいったいどう生きようとしているのだろうか、どんな種類の人間になろうとしているのか」という、通常の記者会見ではあまり耳にしない言葉を語るのを聴いて、私は深く考えさせられた。
 山口は、現首相についての新書本『総理』を著しており、首相とは携帯電話で話ができるほどの親しい関係にあるそうだが、そんなこともあってなのだろう、山口にはこの件で実際に逮捕状が出ていたにもかかわらず、成田空港での逮捕が急遽取り止めになったという有名な事実がある。その中止は自分が指示したことだ、と当時警察庁本部刑事部長だった中村某が認めているが、彼は菅官房長官の秘書官をも務めた男なので、山口逮捕の中止も官邸をバックにした決定であることは明らかであろう。彼は総括審議官、警察庁長官官房長を経て、現在は警察庁次長であり、次期警察庁長官の有力候補だと言われている。
 刑事訴訟が不起訴になった背景にも、こうした事情が反映しているだろうことは容易に想像がつく。そんななかで、伊藤詩織さんは、同様の官邸からの圧力の事実を彼女に伝えてくれた米国人の友人の「生き方」に感謝している、と語ったのである。つまり、訴えられた山口の不起訴がまだ決定してもいなかった時点で、その山口をアメリカのある研究所の研究員として採用するように、との依頼が官邸筋からあった、それも、かつて訪米中だった現首相がその研究所で講演をしてやったので、その見返りとしてそうしてくれ、との異例の依頼であった、ということをその友人は内部告発しているというのである。
 #MeToo運動の切っ掛けとなった米国の映画プロデューサーはつい最近有罪となり、直ちに収監されたと報じられたが、性的虐待ゆえに苦しんでいる女性は実に多い。そんなとき私たちは、「イエスだったらどうされるだろうか」(What Would Jesus Do? 略してWWJD?)といつも考える必要があるだろう。不当な権力に媚びることなく、また屈することなく、小さくされた者たちの側に常に立って行動していく、そのような「生き方」を私たちはイエスとともに選び取っているであろうか。


青野 太潮  協力牧師

2020年2月23日 「どげんすっと?宣教協力」に参加して

2020年03月08日 11時02分17秒 | Weblog
「どげんすっと?宣教協力」に参加して

 第二回「どげんすっと?宣教協力」が先日開かれました。バプテスト北九州地方連合会長山崎克明さんにより 「北九州地方連合における地域協働システム形成の軌跡と展望~宣教支援センターの取り組みを中心に~」と題しての基調講演でした。
 講演の中で心を動かされたことは、北九州の教会がひとつ「消滅」している最中に、連合の対応を話し合っている矢先にもう一つの教会も消滅し、机上の空論ではなく、実際に実働し、寄り添っていく組織や連合の共同体形成を目指していかなければならないというくだりには、痛みを伴うことで、この働きが大いに進められたのだと認識しました。
 また、教会再建に向けた働きの中では信仰告白の見直しや、北九市の課題を共有する中で、少子高齢化、進む未婚率と離婚率、それに伴う母子家庭の増加と貧困の格差、などから地域にある教会の居場所づくりの働きとしてどのようなことが教会に望まれているのかを、連合主事と共に話し合い、実施をするよう励まし、ひとつの教会だけではなく、地方連合の教会の兄弟姉妹の協力を得ながら、一歩一歩進められているという話もなされました。
 教会の課題は多くあり、また連合、そして連盟も多くの課題を改めて示されたわけですが、困難な時代の中にあるからこそ、「助けて」と言える信頼関係作りが大切なのだと思わされた日となりました。


森 崇 牧師

2020年2月16日 まっすぐに憲法について取り組む人

2020年03月08日 10時58分07秒 | Weblog
まっすぐに憲法について取り組む人

 2・11反ヤスクニ集会に出席した。今回の講師は、泉教会の城倉牧師であった。聖書は着想の基とのこと。論理の展開も興味深く、主張点も明解だと思った。主権在民という思想を大事にし、民主主義がしっかりとこの国に根を張ることにもっと力を入れるべきだといったことではなかっただろうか。天皇制から共和制へという。また、護憲という立場ではなく、改憲論者であり、憲法の1章を削除することを目指すとのことであった。
 私は、護憲の立場であり、憲法改正論議の土俵に上がれば、自ずと憲法9条がなし崩し的に無力化されることになるだろうと危機感をおぼえる者だ。しかし、城倉氏は、恐れていては民主的な社会はできないという。実際に、いろいろな立場の人々とも議論を交わし、改憲手続き等も公正なものに整備した上で、国民の総意をはっきりと示せたらという。
 日本国憲法は、立憲主義であり、憲法によって、国の権力をしばることにある。主権は、国民にある。神道の儀式によって、天皇が神となるという行為を国費で賄うのは、違憲のそしりを免れない。その他にも天皇制には、憲法で定められている天皇の国事行為以外の行為や天皇が被っている人権侵害など、問題も多いとも語った。
 城倉氏は、憲法改正の私案を作っているという。それ故に、いろいろなことを入念に調べ勉強している。城倉氏は、日本に民主的な社会を実現させようと大胆だ。こうしたキリスト者としてのありようも、ありだ。


平良憲誠 主任牧師

2020年2月9日 人の労働は同じ値打ち

2020年03月04日 22時46分29秒 | Weblog
人の労働は同じ値打ち

 マスクを買いに近くの薬局に行ったら品切れであった。それで、コンビ二に行ってみた。幾つかの種類がわずかばかり残っていた。
 買ったあと、裏を見てみたら中国製。そう言えば、最近は、「純日本製」といった表示がやたらと目につく。日本のメーカーなのだが 、どこの国で作ったかが、今は大事なようだ。人件費が安くつく国で作っているケースが少なからずある。それでもしっかりとした製品ならいい。消費者としては、安い方がいいに決まっている。「安かろう、悪かろう」という言葉がある。同じように見える製品でも、安い物は、粗悪品が多いということなのか。しかし、流通経路や人件費、材料などで、つまり企業努力により少しでもコストを下げて、安く提供しているのが普通である。
 私は最近、これまでのガラクタを処分するため幾つかの業者にあたったが、値段に3倍以上の差があり驚いた。この差はどこから来ているのか。見積りに来た人、荷物を取りに来た人は、日本人以外のアジアの方であった。それも、ここはエレベーターなしの3階だというのに、値段の上乗せはなかった。申し訳なく思った。
 ひょっとしたら、幾つかの家具はまだ十分に使える物だったから、すべてを廃棄しているのではく、海外への再利用のルートがあって、お金になっているのかもしれない。安いのはうれしいが複雑な気持ちである。人の労働に同じ値段をつけてくださるのは神様だけである。


平良憲誠 主任牧師

2020年2月2日 人間をとる漁師なんだよ

2020年03月04日 22時43分21秒 | Weblog
人間をとる漁師なんだよ

 イエス様が、ペトロを弟子に招いたときに「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われたことをとてもうれしく思っている。というのは、教会の方々もご存じのように、私は釣りが趣味であり、その魚釣りに人をイエス様に導くことをたとえているからだ。
 私は、釣りをする前の晩は、妙に力が湧いてきて少年に返ったような気分になる。妻から多少のことを頼まれても「ハイ!ガッテンですよ~」と、そんな具合になる。趣味というものは、楽しく、リフレッシュにもなる。これは、仕事ではないから誰かに対する責任もない。
 しかし、このイエス様の言葉は、ちょっと重い。確かにペトロに言われた言葉だが、私たちキリスト者への言葉でもある。自分がリフレッシュをするために、イエス様の所に人を導こうというのではない。これには、キリスト者としての責任が問われているとも言える。「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」。
 私たちは、イエス様について行こうとしているのだろうか。イエス様から人間をとる漁師として招かれたのだが、その責任を果たそうとしているのだろうか。これは、趣味ではない。伝道すること、イエス様を伝えること、これは、私たちキリスト者の最も大事な歩み、お仕事そのものだと言える。ちなみに、私の魚釣りは、どちらかというと漁に近い。だから、海洋釣堀に行っている。たくさん鯛を釣りたいからだ。なんだ、落ちはそこなのかい・・。


平良憲誠 主任牧師