平和1丁目 ~牧師室より~

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会の週報に載せている牧師の雑感

2018年4月15日 ついに、スマホデビュー

2018年04月25日 22時16分30秒 | Weblog
ついに、スマホデビュー

 通信量1ギガの初心者向けのスマホを手にした。意外にも、これは面白いと思えるから、非常に驚きである。面倒くさがり屋のこの私が、である。ちょっと、これからの人生、もう少し楽しめるかもしれない。仕事柄、5分ごとにかけ直しをするわけにもいかないので、通話し放題のプランで、6,000円超である。
 これまで、妻がタブレットを使っていたが、携帯電話はガラ系であったから、私の方が少し先を行くことになったのかなあ~と、考えるのはまだ早い。まだ、何もできないのだから。ただ、今日初めて自分のスマートフォンを手にして、喜んでいるだけのことだ。
 写真をとって、Uさんに送るぞ〜!DCGの建設途中のパイプオルガンを撮ろうかな。釣り上げた生きの良い鯛をかざしている自分を撮ろうか。スマートフォンを手にしたというので、えらくはしゃでいる自分に気づく。落ち着け、落ち着け、これからだから急ぐことはない。
 手にするまでは、憂鬱だった。これまで何と二度も、携帯電話の店員さんに、お客さんはガラがよいかと思います、なんて、ちょっと侮辱的な扱いを受けてきただけに、今回も初めは気持ちが今一つ入らなかったのだが、幾人かの方から、スマホかタブレットを持った方がいいんじゃないですか、と助言をいただいて、意を決してお店に入ったのだった。実は、娘に助っ人になってもらって、店員さんにいろいろと尋ねてもらったのである。ところで何のために神様はこれを私に・・


平良 牧師

2018年4月8日 平尾と大名が一つになって守る礼拝の始まり

2018年04月14日 22時56分41秒 | Weblog
平尾と大名が一つになって守る礼拝の始まり

 今日は、2018年度の初めての合同礼拝である。今年度は、今日を含めて6回行うことになっている。これまでは、総会等があったために、便宜的に合同にせざるをえないという事情のなかでの合同礼拝であった。今年度の合同礼拝は、それもあるが、それよりはむしろ双方が協力して造りだす一つの礼拝を体験しようということに重きがある。
 それで、平尾で行うときは午前11時から、大名で行われるときには午後1時からとなる。いつもは、平尾は午前10時半から大名は午後2時からだから、まさに、双方が歩み寄った形だ。
 本日は、平尾教会にとって大事な召天者記念礼拝である。教会の先輩たちとそのご家族の方々、また、当教会員でなくても、このときに一緒におぼえて欲しい方々にも、そのご家族の写真をお持ちいただき、共に礼拝する恵みに与ってもらっている。年々、神の国に名を連ねる人々は増えていくので、今は、名前とそのご関係の方々のみの紹介とさせていただいている。前は、ちょっとしたエピソードも紹介させていただいていた。この一年のうちに天に召された方は、当教会員ではT兄とそのお母様である。それから、6月にIさんの依頼でお母様の葬儀をさせていただいた。
 仏教でも神道でも先祖供養を大事にする。キリスト教では、既に故人は神様の御許で安らいでいるので、儀式めいたものを日常的にすることはない。年に一度、礼拝のなかでおぼえ、教会の人々や家族との出会いを神様に感謝する。


平良牧師

2018年4月1日 2018年度のスタート

2018年04月07日 23時22分55秒 | Weblog
2018年度のスタート

 何事も一つの区切りがあるというのは、ありがたいことである。日本に生まれてよかったと思うのは、四季があることだ。春は、別れの季節であって、始まりの季節でもある。人生の一つの区切りを思わせる。進学や仕事や結婚で別れることになるのはつらい。しかし、別れるからこそ、新しい出会いも生まれる。いろいろなものを失うことは、新たなる何かを得るためには、どうしても必要なことだ。
 春は、死んだかに見えていた木々に花が咲き、若葉が萌え出で、命の復活を思わせるにはよい季節でもある。日本の春は、イースターを迎えるには、とてもふさわしい季節ではないだろうか。すべての命が復活する、そのようなイメージを私たちに与える。
 さて、時代はめまぐるしく変わり、昨日まで通用していたことが、今日は、もう役に立たない。2018年度は、どのような年になるのだろうか。主が先だって、導いてくださるとは言いながら、私たちは、何もしないでまるごと神様にお任せするということはしていない。否、むしろ、私たちは、自分たちの計画を主との関係性のなかで立てている。神様と話し合いながら、事を進めている。
 先週は、2018年度の活動計画のための定期総会であった。また、伝道師招聘と教会組織改革検討員会の発足も決まった。新しい平尾教会を始めることができるだろうか。私たち自身が新しくなれるだろうか。新しい年度を歩み出す日本の季節と時の流れは、実に、キリスト教的で嬉しい。


平良 師

2018年3月25日 岩波版新約聖書の改訂新版について

2018年04月05日 18時18分10秒 | Weblog
岩波版新約聖書の改訂新版について

 岩波書店から、岩波書店版『新約聖書』の「改訂新版」(仮称)が遠からず出版されることになった、との連絡がありました。1995年から96年にかけてまず5分冊版が発刊され(その第四巻の『パウロ書簡』を私は執筆・翻訳しました)、2004年にそれらが一冊にまとめられた合本版が発刊されました。
 しかし、2011年に第8刷が発行されて以来、ずっと品切れ状態が続いておりました。その大きな要因の一つとして、岩波書店からのキリスト教関連の書籍発行を一手に引き受けてくださっていた担当編集者が定年退職された、ということがありました。ですから、もう「絶版」になってしまったのか、との疑念を抱かれた方々も多かったのではないかと思います。大貫隆さんの岩波新書『聖書の読み方』においても、私の『パウロ』においても、原則としてこの岩波訳聖書を引用しましたので、どうしたらそれを入手できるのかとの問い合わせも、何人かの方々からいただいておりました。
 そういうわけで、この連絡は私にとってはほんとうに有難い「朗報」でした。岩波新書の編集長も、全体の編集会議で、「これを放置しておくのはあまりにもったいない」と後押しをしてくださったとのことでした。当然のことながら、どの聖書訳も、できるだけ原文の意を、新約聖書の場合にはギリシア語原文の意を、そのままに訳し出したいと願っています。しかし岩波訳聖書の場合には、たとえ訳文が日本語としてはスムーズでないと思われたとしても、原文のニュアンスをそのままに伝える努力を優先させています。
 また、原文には省略があることが多いのですが、その場合には、翻訳者が補足した部分には必ず〔 〕を付して、それが原文にはない補足であることを明らかにしています。今回の改訂新版のためには、この間の研究の進展等を踏まえて必要不可欠と判断される改訂を施そうとしていますので、若干の時間をいただきたく思いますが、長らく再版を待ってくださった方々に、このニュースをお伝えいただけましたなら、大変嬉しく思います。どうぞよろしくお願いいたします。


青野太潮 協力牧師