平和1丁目 ~牧師室より~

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会の週報に載せている牧師の雑感

2008年11月30日 平和1丁目アドヴェントコンサート・・六度目

2008年12月27日 22時24分23秒 | Weblog
 平和1丁目アドヴェントコンサート・・六度目

 平尾教会を会場にして、二日続けて、コンサートが行われた。礼拝堂の音響効果がどれほどのものなのか専門的なことはわらないが、口コミで、次から次へと、コンサートをさせて欲しいとの申し出を受ける。
 古楽器の演奏会や内輪の発表会の会場として、最適なのだろう。昨日はある教室の、そして今夜は音楽愛好家たちの発表会である。確かに、平尾教会でコンサートした方々は、こんなにすばらしい音の響きはないと言われる。
 そのようなことを意図して設計したわけではないということだが、できた礼拝堂は、なんともすばらしい演奏会場になった。地域の方々にはよほどのことがないかぎり、喜んで開放している。伝道の一環としてそうしている。ここに教会がある、素敵な礼拝堂がある、そのことを知ってもらうだけでもよい。
 さて、日曜日にコンサートをされた皆様は、障害を負っている方々の音楽教室の発表会だった。中には、朝から体調が悪く、どうかなと出演が危ぶまれた方もおられたそうだが、ここに来たら気持がはれてうまく演奏できたと喜んでおられた。神様のお力でしょうか、と言われた。
 さて、12月1日は、平尾教会主催のコールジョイとチャイムアンダンテの皆様のご奉仕による「平和1丁目アドヴェントコンサート」が開かれる。今回で6度目。これはもちろん内輪だけのものではない。広く呼びかけて、多くの方々に来ていただくことを願っての伝道のためのコンサートである。


平和1丁目アドヴェンとコンサート

平良師

2008年11月23日 いつものとおりのさだまさし

2008年12月23日 16時13分34秒 | Weblog
   いつものとおりのさだまさし

 天城での連盟の宣教会議、年次総会、そして御殿場での学生YMCA創立120周年記念フォーラムにおける講演を終えて、日曜日(16日)の深夜に帰宅した。一週間分のメールをチェックしていると、法学部のT教授からの驚くべきメールが入っていた。

 19日の福岡サンパレスでのさだまさしデビュー35周年記念コンサートのあとに、楽屋で私がさだまさしに会うことをさだまさし本人が了承したからそうするように、と書かれていた。マジで?と驚愕したが、翌日T先生から次のような事の次第を聞いた。

 日頃から私がさだまさしファンであることを知っている彼は、西南の神学部長がいつかさだまさしに会えるようにセットしてくれないか、と数日前に西日本新聞のK記者に、私に無断で依頼したのだそうだ。するとKさんはすぐに、偶然にもそのとき別のコンサートで大宰府に来ていたさだまさしに、私の書いた朝日選書の『どう読むか、聖書』を持参しながらそう依頼してくださった。

 さだまさしは「面白そうな本ですね」と言ってその本を手に取り、「いいですよ、19日のコンサートの後に楽屋に来るようにお伝えください」と言ってくれたというのだ。何という信じ難い取り計らい。しかし19日は水曜日で、教会の祈祷会をサボッてまでコンサートにいくつもりなどなかった私は、チケットを持っていない。しかしコンサートを聴きもしないで楽屋に直行というのはいかにも不義理である。そこで平良先生に事情を話してお許しを得てから、宗教部のA課長がチケット一枚なら何とかなると言ってくれたので、入手を依頼すると、運よく一枚が手に入った。

 この話を聞いた「西南学院大学さだまさし後援会」の副会長のK教授(会長は私)はどうしても同席したいと言って、立見席のチケット入手のためにその日早くから会場に並んだ。これまた運よく一人の婦人が一枚のチケットを他ならぬ彼に譲ってくださって入場できた。コンサートの最中は、このあとさだまさしはほんとうにわれわれに会ってくれるのだろうか、との一抹の不安を抱き通しであった。

 しかしK記者からわれわれの訪問を告げられたさだまさしは、三時間半のコンサートのあとだったにもかかわらず、まったくいつものとおりの(初対面の人に「いつものとおり」などと言うのはおかしな話しであるが、そうとしか表現できない)暖かくにこやかな立ち居振る舞いで楽屋から出てきて、「とてもよい本をありがとうございました」と言いながら握手してくれた。

 私が説教・講演集を、K先生が彼の説教集を、そしてAさんが大学広報やチャペル週報に私が書いたさだまさしについての文章をそれぞれ押し付けがましく手渡すと、彼はいちいち丁寧にお礼を言いながら頭を下げた。「こんなもの読む時間はないでしょうけど」と言う私に対して、「それがそうでもないのですよ」と彼は言ったが、超多忙なスケジュールの中で軽々とそう言ってのけるその姿勢に深く感銘を受けた。十分間ほどのやり取りについて書きたいことはたくさんあるが、いつか彼が、聖書や聖書の読み方などについての彼の考えを、彼の得意なあのトークの中で語ってくれたなら、それに優る喜びはない。


青野師

2008年11月16日 定期総会のこと

2008年12月20日 22時33分08秒 | Weblog
     定期総会のこと

 第54回日本バプテスト連盟の総会では、別府国際教会、郡山コスモス通り教会、神戸新生教会の3つが、新たに連盟に加盟された。それまで、伝道所として宣教活動に励んでこられたが、今年、教会組織を果たし、連盟に加盟されたのだ。定期総会では、毎回最初に、連盟への加盟を希望する教会の審議がなされる。そして、加盟が可決されるとき、議場の喜びもひとしおとなる。

 それから、最初の地域協働プロジェクトとして、新潟教会、新潟栄光教会、豊栄伝道所の3つが合併して、一つの教会として新しく生まれ変わり、伝道を展開していくことが可決された。その際、複数スタッフで行っていきたいので、そのために2000万円が必要とのことである。日本海側の伝道は、これまでも困難とされてきたが、この新しくできた教会が、拠点となることを議場は願った。

 協議事項としては、教役者(牧師など)の年金制度をこれからどうするかという問題について話し合われた。このままでは、年金制度が崩壊するということで、今後は、すべての教会が、厚生年金へ移行してもらうということである。すでに、当教会のようにそれを行っている教会はこれまでどおりでよいとのことだが、これから、それを行うためには、諸教会でその財政的な努力をしてもらわないといけない。しかし、実際問題として、それは非情に厳しいとの見方だ。2年後、中長期大綱を連盟は出すことになる。「定期総会が連盟である」とある方が言っていた。


平良師

2008年11月9日 挨拶(あいさつ)

2008年12月15日 22時23分48秒 | Weblog
      挨拶(あいさつ)

 その人が、大人であるかどうかは、挨拶がしっかりとできるかどうかだ、と言われる。何か事があるときに、挨拶をしっかりとするということもある。お礼や依頼など、これらも挨拶だが、しかし、そうでなくとも、毎日の生活で交わす家族同士の挨拶、仕事、学校などで交わす挨拶もある。
 教会の行き帰りで、日に必ず一度は挨拶を交わす人がいる。近くの酒屋の主人で、60歳半ばくらいかと思う。この方に挨拶をする人が随分と多い。それは、このご主人がまず、通りを行き来する人々に挨拶をされるからだ。「今日は、暑いですね。寒くなりましたね。今日はお早いですね」など、実に、短い挨拶なのだが、笑顔であちらからしてくれる。
 それで、いつしか私も、こちらから挨拶をするようになった。ところで、通りを歩く人々が、この方と会う機会が多いわけは、毎朝、店とその周辺の掃き掃除をされていること、そして、店の自動販売機や窓、ドアなどの拭き掃除を念入りに時間をかけてなさっているからだ。その姿から、仕事というのは、このようなところから始めなければいけないと教えられたりもする。
 ヨハネによる福音書には、復活のイエス様が弟子たちに現れて「あなたがたに平和があるように」と挨拶される場面がある。とても素敵な挨拶の言葉だ。教会員同士の挨拶はこれでいきたい。しかし、もし、明朝、酒屋の主人に「今日もご主人に平和がありますように」と言ったとしたら・・凍ってしまうかな。


松村師

2008年11月2日 オレの立場

2008年12月13日 23時38分07秒 | Weblog
      オレの立場

 オレオレ詐欺は後を絶たないどころか年々増加しているという。あれほど盛んに、注意を喚起しているのに、なお、引っかかる人がいる。私も昨年、台湾の有名な水墨画家と名乗る人から羽田空港で掛け軸をもらって、カンパに1万円あげたのだが、あれも詐欺だった。

 妻は、エビをあげると言われて、ホントーうれしいと、私以上のお金をガソリン代として貸したが、その同級生だと名乗った男は返しに来なかった。エビも来なかった。二人とも昨年のこと。オレオレ詐欺にだまされた人を笑うことなど、我々にはとてもできない。

 前の教会では、旅の途中で、お金を落としたというので、貸してくれと泣きついてきた人々の幾人かに、いくらか貸したけれど、一度として返ってきたためしはなかった。むしろ、青森県警から詐欺で捕まっている男がいるが、あなたからも詐欺を働いたと言っているが、被害届を出して欲しいということだった。私は、あげるつもりでしたから結構です、と言ってお断りした。

 こちらに来てからは、1度だけある。その人も旅の途中で、お金を紛失したということだった。お金はあげられないが、食べ物ならと差し上げたのだが、福岡の人間は薄情だと罵りながら帰っていった。世の中には、人を騙す、信頼を裏切ることを商売にしている人々がいる。とても許し難いことだ。しかし、どちらの立場がいいかとオレに問われるなら、騙すよりも騙される方がいいし、裏切るよりは、裏切られる方がいい。


平良師

2008年10月26日 教会の・・秋の大運動会だあ・・楽しもう・・

2008年12月08日 12時27分40秒 | Weblog
 教会の・・秋の大運動会だあ・・楽しもう・・

 牧師になって、体を動かす機会が少なくなった。腕力のない非力な男に年々なっていく。かつては、薩摩隼人にして、山男だった・・と言ったところで、誰も信じまい。山男の雰囲気が、まだ若干残っていた頃、妻と出会ったのだが、妻にとっては運の尽きだったと言える。

 信じてくれないだろうが、私にも輝いている時があった。今では、腕力だけではなく、頭髪の力も抜けていく。最近、「今も、輝いているじゃない」、と言ってハゲマシてくれた人がいた。余計なお世話だ。

 さて、今日は、教会の運動会。私は、正直燃えているのである。思えば、走るのも早かった。体操だって、模範演技をさせられたものだ。これまた、さらに誰も信じまい。非力な弱々しい男がイエス様というなら、私も、牧師の風格が出てきたということか。筋骨たくましく恰幅のいい男で、召命感をいただいた者は不幸だ。断食から始めなければならないから。

 私は、今日の競技で、一番楽しみにしているのが「パン食い競争」、おいしいあんパンかなあ・・それから、ちょっと苦手だなあと思っているのが、フォークダンス。昔から、恥ずかしかった。ときめく人がいるときなど、何番目かで、その人の番になるだろうかとそっと数えて震えた。誰もがする経験だ。

 教会の運動会は、たったの2時間。あっという間に終わるだろう。それでも、みんなで、わいのわいの言って楽しめたらうれしい。主にある兄弟姉妹、神の家族の交わりを大いに喜ぼう。


平良師

秋の運動会