平和1丁目 ~牧師室より~

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会の週報に載せている牧師の雑感

2014年10月26日 無題

2014年11月05日 11時47分41秒 | Weblog
無題

 病院をやめて、キリスト教の宣教のために何か少しでも役に立つことをしたいと考えた時から、すでに25年以上経過した。その時から今日まで何一つ役に立つようなことは、できなかったことを思い残念でならないし、私をとりまく教会の方々に申しわけない気持ちで一杯である。
 これからも同じ気持ちで毎日を過ごすことになるかもしれないが、同じように、大事な時間を無駄に過ごすことになるかもしれない。凡人のいたしかたないことかもしれない。したいこと、しておかねばならないことは、いくつもある。それに気の進まないことも多い。人生とは、そういうものかもしれない。
 少しでも、信仰を与えられた人間として、価値のあることをしたいものと考えてはいるが、可能性は少ない。しかし、これからの与えられた時間を本気で有意義に過ごすよう努めたいものである。
 幸い、読みたい本は、新たに買わなくても多少あるようだし、手足ものろくはあるが、動かすことができるので、最低限の範囲で行動するつもりである。早良教会にしろ、平尾教会にしろ、多くの信仰深い兄弟姉妹、やさしい親切な方々と楽しい交わりを与えられて、あらためて感謝している毎日である。


松村師

2014年10月19日 H家のSGに招かれて

2014年11月05日 11時42分43秒 | Weblog
H家のSGに招かれて

 H家のSGに招かれて、2015年度からの教会のあり方について、ご意見をうかがう機会を得た。私を入れて7名であったが、皆が発言された。話をお聞きし、私もお話をさせてもらうなかで、少しずつ、互いの気持ちの固くなっていた部分が和らいで、近づいていったような気がした。
 やはり、話すことである。話せば、互いに何を考えているかがわかり、理解も深まる。私自身も随分と砕かれ、さらにもっと砕かれる必要をおぼえたのだった。2015年度の新体制については、2回の全体会議を経て、いろいろな意見が出て、それはそれでたいへんありがたいことではあったが、もう少し多くの個人の声に耳を傾ける必要があると思っていたので、このようなSGに招かれて、そこで互いに意見を交わすことは、願ってもないことであった。
 そして、少人数だからこそ、十分に話すこともでき、気持ちも通い合わせることができた。もっと多くの場で、このように意見を交わすことができることを願う。私たちは、自分をむなしくして、イエス・キリストにある福音を多くの人々に伝え、一人でも多くの方が救いに与り、イエス様に従っていくことを願って、宣教活動に励んでいる。
 これまで、一人一人は、己の形で、イエス・キリストの弟子として歩もうとしてきた。それもまた大切なことであった。この新しい組織は、これからも多くの場で話し合いを重ね、より平尾教会にふさわしいものになったらよい。信頼してこそ神の家族。


平良師

2014年10月12日 民主的な教会運営は、多くの議論を要する

2014年11月05日 11時35分00秒 | Weblog
民主的な教会運営は、多くの議論を要する

 先日の常会では、次年度からの新組織体制についての大まかな取り組みの姿勢と、新制度を取り入れた暁には、どのようなことが変わっていくのか、また、変わらないのかについて、説明したつもりである。これからは、この記載されていることについて、議論を交わしていくことになろう。
 このような説明書を作成したのは、話し合いができるだけ具体的になされていくためである。しかし、記載されていないことで、不安に思っていること、心配されていることを発言してくださった方々も随分とおられた。最もなご意見であったかと思っている。それについて、少し付け加えておきたい。
 この新組織制度を導入しようという動きが教会から平安を失わせ、特に現在個人的にいくつかの大きな問題を抱えている方々にとっては、しんどいのではないか、というご指摘もあったかと思う。その通りだと思う。申し訳ない思いである。牧師もせわしい感じを漂わせていて、のっぴきならない問題を抱えていてもなかなか相談できない、といった方もおられただろう。空気のことは注意したい。また、教会員やそれ以外の方でも相談がある場合は、いくらでも時間を割く用意はあるので、どうか、遠慮なさらずに連絡して欲しい。
 それから、この落ち着かない雰囲気は、新しいものを生み出すための避けられないプロセスであり、多くの議論もまた我らバプテスト故のことであってむしろ喜びたい。そして、説明書どおりになる必要はなく、教会の群れが、納得できる形になるまで議論ができたらよい。主のお導きを祈ろう。


平良師