無題
病院をやめて、キリスト教の宣教のために何か少しでも役に立つことをしたいと考えた時から、すでに25年以上経過した。その時から今日まで何一つ役に立つようなことは、できなかったことを思い残念でならないし、私をとりまく教会の方々に申しわけない気持ちで一杯である。
これからも同じ気持ちで毎日を過ごすことになるかもしれないが、同じように、大事な時間を無駄に過ごすことになるかもしれない。凡人のいたしかたないことかもしれない。したいこと、しておかねばならないことは、いくつもある。それに気の進まないことも多い。人生とは、そういうものかもしれない。
少しでも、信仰を与えられた人間として、価値のあることをしたいものと考えてはいるが、可能性は少ない。しかし、これからの与えられた時間を本気で有意義に過ごすよう努めたいものである。
幸い、読みたい本は、新たに買わなくても多少あるようだし、手足ものろくはあるが、動かすことができるので、最低限の範囲で行動するつもりである。早良教会にしろ、平尾教会にしろ、多くの信仰深い兄弟姉妹、やさしい親切な方々と楽しい交わりを与えられて、あらためて感謝している毎日である。
松村師