平和1丁目 ~牧師室より~

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会の週報に載せている牧師の雑感

2009年3月29日 2009・5・9・テンジンミッション・キックオフ

2009年05月16日 00時50分11秒 | Weblog
2009・5・9・テンジンミッション・キックオフ

 テンジンミッション・キックオフなどといった横文字を何も使わなくてもと思われるだろうが、何せ、向こうは、145万人都市、福岡市の中心地、天神、しかも若者の町大名。しかし、若者たちを意識して「チョウナウい」といった言葉を使ったとしても、おそらく既に時代遅れで、オッサンの言葉になっているのだろう。時代を先へ先へ、そのことが問われる教会形成がここでは必要になるのだろうか。

 5月9日、この日、私たちは朝から若者たちが多く集まるというその土地を見に行き、それから、教会に戻って、この土地でいったい何ができるかを大いに語り合うことになる。この日は、朝から晩まで、ずっと語り合うのだから、まる一日出席できなくても、出席できる時間に参加して、自分の夢を語ればいいのである。教会員皆が、一言語ることができれば、それでこの日のファミリーキャンプ(宿泊なし)は大成功だと思っている。

 大名での平尾教会の働きは、平尾教会一つに閉じられないことにこれからの私たちのヴィジョンの重さがある。それは、福岡地方連合、九州のすべての地方連合全体にもかかわってくる可能性もある。大名という地域のニードにも応えていくことが求められるかもしれない。私たちは、キリストの福音をここで語る。その方法については工夫をこらす。都市型の伝道拠点となるような諸活動がここで展開されていくだろうか。この教会は、地域どころか日本中に開かれたものとなることもできる。


平良師

2009年3月22日 2009年度計画総会を迎えて

2009年05月12日 16時57分25秒 | Weblog
   2009年度計画総会を迎えて

 次年度の計画を話し合う総会は、楽しい。どれくらい楽しいかと言うと、釣りに行って、3~4キロくらいの青物がかかり、なかなか釣り上げられなくて、10分ほど格闘する時ぐらいに楽しい。

 しかし、その総会において、大切な議題であるにもかかわらず意見の交換が活発になされなかったりした場合など、それは、あらゆる仕掛けやエサを用意していったにもかかわらず何の収獲もなく坊主で帰るときのように、疲労感だけが残って空しい。あまりにも譬えが悪いとお叱りを受けそうだが、先日釣りに行って、苦い経験をしたばかりなので、ご容赦願いたい。

 ところで、計画を立てるときには全体像を押えることが大事である。何のためにこれを行うのか。それぞれの委員会で考えていることが、有機的なつながりをもち、その年度のテーマを貫いているのなら、多くの実りが期待できる。もちろん、これは人間の側の思いであって、その向こうに主の御心があるのだから、計画通りに行かないことも多々ある。

 だから、私たちの考えることが、神様の御心となるようにと祈るのである。信仰者の姿勢は、主のために生きるということであって、それが結果として自分の喜び、生きがい、楽しみになるという方向性だ。2009年度も主の御心があり、大きなチャレンジが与えられる。

 それにどのように私たちは応答していけばよいだろうか。立派なマグロは渡された。それをどう料理してお客に提供するのかが問われるのだ。


平良師

2009年3月15日 御言葉を自分に語られていると読む人

2009年05月02日 23時38分59秒 | Weblog
  御言葉を自分に語られていると読む人

 キリスト者たちは、御言葉は自分に語られているものとして読む。先週の祈祷会は、出エジプト記の34章の1節から10節だった。神様が、イスラエルの民に下そうとされていた滅ぼし尽くすという裁きを思い返されて、再度、モーセに戒めを与えるのだ。

 そして、モーセは、神様にひれ伏して言う。「主よ、もし御好意を示してくださいますならば、主よ、わたしたちの中にあって進んでください。確かにかたくなな民ですが、わたしたちの罪と過ちを赦し、わたしたちをあなたの嗣業として受け入れてください」。33章の3節では、神様は、イスラエルの民が約束の地に入れるように状況を整えることを約束してくださるのだが、ご自身は、一緒に歩まないと言われた。

 それは、神様の怒りは完全になくなってはおらず、共に歩めば、イスラエルにまたもや怒りをおぼえて、滅ぼしてしまうかもしれないと考えられたからだった。それで、モーセは、しきりに自分たちと一緒に歩みをして欲しいと願った。

 さて、妻は、ここで、この「民」のところに自分の名前である「民枝」を入れて、もちろんだから、「わたしたち」も「民枝」と置き換えて解釈してみせたのだが、我が妻ながら、なかなかだと思った。特に「かたくなな民枝ですが・・」といったくだりは、ぐっと迫るものがあった。ついでに、「主」と「あなた」を私の名に置き換えてくれたら満点であったと思う。そんな大それたことを言いたくなるのには・・理由はない。


平良師