平和1丁目 ~牧師室より~

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会の週報に載せている牧師の雑感

2007年6月3日 教育について考える

2007年08月25日 15時43分57秒 | Weblog
   教育について考える

 私は今年の3月25日の週報に(平和一丁目)に「幼児教育について」と題し、羽仁もと子の幼児教育に対する卓見について述べた。その紙面に福岡友の会幼児生活団のすぐれた指導者であった石賀信子さんが、その前日3月24日の感謝閉団式に出席されたとばかり思い込んでいたが、実は体調が悪くその日は欠席だったという。この紙面で私の早とちりをお詫びして訂正しなければならない。
 さて、今回は、教育基本法改正案が昨年末(12月14日)、充分な審議を経たとは考えられないうちに国会を通過した。今改めて、これからの日本の教育が本当に正しい方向に進んでいくのか、大きな不安を持っているので少しく、皆さんにも考えて頂いて御意見を聞かせて頂きたいと思うのである。
 テレビや新聞などでは、真の教育者というより、現在の社会現象から政治家や官僚が考え出した、いわゆる机上の教育理念としかいいようのない政策(改革)がなされようとしている。ゆとりの時間が必要と考えたり、その結果が充分わからないうちに、時間一杯につめこみ授業に切り替えようとしたり、先生の質が下がったようだから、適正再審理のテストを考えるなど、物事を深く掘り下げて考えるという教育や政策に必要な思考や学びが、むしろ政治家の方に足りないのではないかと思われる。
 少年たちの一部に心がすさんで、暴力や犯罪さえ起こすようになった。人の命、生物の命を大切にすることを教える必要があるという。しかし、人間(の命)が大切であり、尊いという事は、単に理論的に説明できるものではないように思われる。
 神が命の息を吹き入れて人は生きる者となった。それは目に見えない神の霊によって、この地上に存在する者となった【創2:7 主なる神は土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に神の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。】この事は、全知全能の神の言葉、神から与えられた知恵によって導かれ、理解されることがらである。人間があれこれ考えて強制的に教えることではない。
 神の目に見えない霊の働きによって、なされる不思議な出来事なのである。すべての人が孤独から解放され、一人ひとりの人格が尊ばれ、肉体だけでなく心や精神が安定した健康状態を保つ、平和な社会、国家を目指すのが教育の基本ではないかと思うのです。
 この事は、先ず、神の前にへりくだり、互いに隣人を自分のように愛し、ゆるしあうことが生活の基本であり、この世の知識を学ぶことより、主を恐れる生活をともに求めたいものです。

“主を恐れることは知恵の初め”(箴言:1:7)


松村師