平和1丁目 ~牧師室より~

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会の週報に載せている牧師の雑感

2019年9月29日 2019年9月26日

2019年12月08日 11時51分48秒 | Weblog
2019年9月26日

 先日、米国カリフォルニア州レイク・タホで行われた牧会学の研究会に出席してきました。全米から集まった 20名ほどの牧会学者たちが、美しい湖のほとりで3泊4日を共に過ごしました。私にとっては、本を通してしか知らなかった方達と共に過ごすという貴重な機会でした。今回は「回心(conversion)」が共通テーマでした。
 回心とは、人がある信仰をもつに至った出来事や体験のことを指しますが、すでに信仰を持っている人が改宗するとか宗派を変更するなどという体験も含まれます。回心研究は、20世紀初頭以来、宗教心理学における重要な研究テーマのひとつでした。しかしこの分野では近年、伝統的な回心研究が、短期間に人格変容が起こるダイナミックな体験として回心をとらえてきたこと~パウロ(サウロ)の回心の記述に典型的に見られるように~の「狭さ」が批判されています。
 むしろ回心は、ある特定のコンテクストのもとで長期間(しばしば一生)続くゆるやかで複雑な「プロセス」であると考える方が現実的だとされるようになり、回心という言葉よりも、人の霊的・人格的レベルでの「変容 (transformation)」という言葉がよく使われるようになりました。私自身の体験を振り返ってみても、キリスト者としての人生を選びとるまでにはいくつもの段階があり、またキリスト者となってからも少しずつ変えられてきました。
 日本文化を通して仏教や神道の影響を受けてきたことも否定できません。それは簡単なプロセスではなかったのです。何度も迷い、転び、そして再び立ち上がりました。しかし同時に、その長い複雑な道のりをいつも何か大きな力に導かれてきたということも、しみじみとした実感です。皆さんにとって、今までの信仰の旅路はどのようなものだったでしょうか。


才藤千津子協力牧師