平和1丁目 ~牧師室より~

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会の週報に載せている牧師の雑感

2010年10月17日 ヴィジョンに向かって

2010年10月23日 22時37分49秒 | Weblog
    ヴィジョンに向かって

 第二回の大名クリスチャンセンター設立委員会では、建物をどのようにするかについて図面を持ち寄った。いろいろなアイディアがあり、楽しい反面、どのようにまとめていけばよいかと考えると、途方にくれる。しかし、何とかなるであろう。私たちは、確実に一歩一歩前に進んでいる。
 駐車場は建物の前がいいか、後ろがいいか、1階部分すべて駐車場、建物は2階部分から、或いは半地下の部分、台数は、2~3台、7~8台分でいいのか、20台分くらいは確保したいのか。ちなみに現在、駐車場として使用している敷地は、50台ほどの駐車スペースがある。駐車場一つとっても意見はまちまちである。
 礼拝堂の広さは、150名か200名か、向きは、北、南、形は、縦長、横長、正方形、円形、台形など。塔はどうする。庭は、多目的ルームは、キッチンは、牧師館は、などなど。カフェテラスのようなものもあった方がよい、回廊のようなものがあって、中庭に大きな木が植わっており、宿泊施設なども欲しい、といった具合である。これから一つひとつを決めていかねばならない。ある程度まとまった段階で、図面に対する意見を執事会、常会で聞くことになろう。
 そのとき、そこに集まった人の数だけ、建物のイメージが出てくることだろう。大名では、何に力を入れるのか、どのような福音の広がりを作っていくのか、そのことが自ずと建物の方向性を決めていくだろう。いずれ、神様が大名に期待されていることを私たちは具体的にみることになる。

2010年10月10日 次女の結婚式の出し物

2010年10月12日 22時33分14秒 | Weblog
   次女の結婚式の出し物

 娘の結婚式は、式から披露宴、二次会の席まで2人でプロデュースしたものということだった。義理の息子の方が、むしろ、入念にお膳立てをしたらしい。娘も、幸せそうで、ほんとうにうれしかった。披露宴では我々家族の余興が最後だった。例によって例のごとくで、内容を知らなかった二人をハラハラさせた。
 「夏期学校のときに、N姉が、オニのパンツのメロディーにあわせて「祈り~なんて、めんどくさい。祈ろう、祈ろう・・」という替え歌を作られたのだが、あれにヒントを得て、
1番
(子どもたちだけで歌う)結婚~ってすばらしい。
(私と妻)やめとけ、やめとけ。
(子どもたち)いつも一緒にいられるし。
(私と妻)やめとけ、やめとけ。
(子どもたち)結婚、結婚、うれしいよ、
(私と妻)結婚、結婚、苦しいよ。
(一緒に)あなたも、あなたも、あなたも、あなたも、幸せいっぱい、結婚は
2番
(子どもたち)結婚~ってすばらしい。うれしい、
(私と妻)寂しい。
(子どもたち)どんな家庭になるのかな。明るい、
(私と妻)ハチャメチャ。
(子どもたち)結婚、結婚、うれしいよ。
(私と妻)結婚、結婚、忍耐よ。
(一緒に)あなたも、あなたも、あなたも、あなたも、
(子どもたち)幸せいっぱい結婚は。
(私と妻)毎日努力よ、結婚は、ヘイ。
(子どもたち)ユー君とマキさんは大丈夫、ヘイ!
というもので、毎度のことながら・・でも超ウケであった。
 愛は、忍耐なり。聖書の教えだから仕方がないのだ。


平良師

2010年10月3日 故郷、そして帰郷・・

2010年10月03日 18時37分41秒 | Weblog
    故郷、そして帰郷・・

 魯迅の「故郷」という短編小説がある。私の好きな作品だ。現在住んでいる都市部へ転居するために、故郷の我が家を売り払い、整理しに帰郷した主人公。そこで、少年時代は輝いていたが、大人になり、日々の暮らしに疲れ果て、木偶の棒のようになってしまった農夫の友人と再会する。
 その彼に、必要なものは何でもあげようと言って、希望したものをあげたが、藁灰まで欲しいというから、そのつもりでいたら、翌日、その灰の中から茶碗などがでてきた。口の悪い近所の婦人は、それは、その友人が隠しておいて、藁灰と一緒に持ち帰ろうとしていたものだろう、というのだった。
 主人公にとって、この友人は、少年時代の英雄だったのだが、その影は薄ぼんやりとなり、失意の中で故郷を後にするのだった。故郷は遠くにありて思うもの、とはよく言ったものだ。私にとっても少年時代の故郷の風景は、懐かしく、美しい。引退したら、故郷へ戻って伝道・・否、まず近くの海釣り公園かな。
 しかし、その懐かしさは、おそらく風景もだが、両親や兄弟たち、友人たちといった人々がいたからなのだろう。さて、私たちキリスト者の故郷は天にある。いったい何が懐かしいのだろうか。既に召された方々との再会もあろう。神様の御元に戻るといった感覚はあるだろうか。まさか、行ってみて、やはり遠くにありて思うもの、でしかなかったなどということはないだろう。当然、天国に行けるものと思って語っている。


平良師