平和1丁目 ~牧師室より~

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会の週報に載せている牧師の雑感

2016年7月10日 オリーブの一粒の実-平和は成長する-

2016年07月17日 21時57分27秒 | Weblog
オリーブの一粒の実-平和は成長する-

 今年の春には、多くの花をつけた玄関前のオリーブの木に一粒の実がなっている。たった一粒。あれほど多くの花が咲き、今年はどれだけの実をつけるのだろうと楽しみにしていたのに、成ったのはたった一粒である。
 花が咲かないことには実をつけることはないのだが、花がたくさん咲いたからといって、その分、実がなるかというと、そうでもないことがわかる。それにしても、たった一粒とは厳しい。否、一粒なったというのが実にすばらしいではないか、そう考えよう。
 今日は、参議院選挙の投票日なのだが、実に、平和に対するこの国の危機的な姿を当教会のオリーブのたった一粒の実は象徴しているという見方もできるが、しかし、それよりも、平和の実が一粒でもついて、成長しつつある。そのように、これからの日本に小さな希望の光が灯った、そういう選挙結果になるだろうと、思うことにしたい。大洪水がしだいにおさまってきたあとノアが二度目に鳩を放ったときに、鳩は、オリーブの若枝をくわえて戻ってきた。それは、神様が人間に平安と祝福とをもう一度送られたしるしだった。
 「わたしは生い茂るオリーブの木。神の家にとどまります。世々限りなく、神の慈しみに依り頼みます」(詩編52:10)。これからの日本がどのようになろうと、私たちが依り頼むお方は、ただ、神のみである。詩編52編11節後半「御名に望みをおきます。あなたの慈しみに生きる人に対して恵み深いあなたの御名に」。


平良 師

2016年7月3日 神の創造した人間に人徳ねえ?!

2016年07月17日 21時53分54秒 | Weblog
神の創造した人間に人徳ねえ?!

 先日、お隣のT醤油さんの創業祭があって味噌を買いに行った。この期間の味噌の値段は、通常の価格よりも安い。それで、毎年行列ができるほどだ。妻が用事で行けないので、喜ばせたい一心で彼女の代わりに恥ずかしいのを我慢して買いに行った。味噌だが、一度味わった者は、このような旨い味噌に出会ったことがないと思うだろう。
 ただし、創業祭だけあって、ちょっと楽しませてくれる。それは、2kgまでなら700円という値段だ。だから、2kgまでは何とかゲットしたいと皆さん、大きなしゃもじにてんこ盛りで味噌をすくう。だいたい2kgにはなるようだ。私の番になって、味噌をすくい秤にのせた。すると、お客さん2kg用の秤の針が振り切れました、と言われた。
 ええ、そんなにのせたかなと思ったけれど、店員がちょっと減らしますね、と言って、味噌のかたまりを削ってしまった。そうしたら、もう一人の店員がまた、それでも多いですね減らしますねと、またもや削った。心の中で創業祭なんだけど、と思った。家に帰って秤で量った。100gのオーバー。なんだ、たったの100グラムじゃないか、と思った。
 妻が、帰ってきて、味噌を買って来たと言った。俺も買ったんだけど、と言いながら、彼女の味噌を量ったら、何と2,650gもあった。店員さんが、もっと持っていってくださいと、これでもかと言わんばかりにのせてくれたらしい。「これって、私の人徳のなせるわざかしら」と、妻がヒヒと笑いながら言った。


平良 師

2016年6月26日 ちょっとずつこつこつと…ああ!

2016年07月17日 21時51分03秒 | Weblog
ちょっとずつこつこつと…ああ!

 パソコンに関しては、あれこれと助けてもらわねば何もできない。今回もまた、インターネットが接続できなくなり、どうしようと思っていたら、Tさんが助けてくださった。ありがたいことだ。原因はわからなかったが、再び使えるようになってよかった。けれども、このようなことがたびたび起こるなら、仕事に支障がでる。
 接続できなくなったとき、5つくらいのチェック事項がでてきたが、チェックする方法がわからないからどうしようもない。ただ言えることは、わからないのにあれこれと触り続けていると、さらに重症化していくことだ。だから、こちらの知識でわからないことは、さっさとわかる人に尋ねるか、専門家に来てもらうことだ。
 私のように、ほとんど文章を作ること以外は、メールなどもそれほど多くないから、そんなに困らないだろうと思う方もいるだろうが、最近は、ネットから情報を得ることが多くなったから、それが使えないとなると、とても困る。何もわからない私でも、今やパソコンがなければどうしようもない人間になってしまった。依存しているのがわかって恐ろしい。
 パソコンは、順番に操作しなければならない。順番に、というのが苦手である。順番に一つ一つ丁寧に操作していって、ようやく動き始めるのが機械なのだろうか。否、それは機械に限らない、人間の場合も同じだ。プロセスを跳び越えてやろうとして失敗をしてきたのが私。そして、超えてできるのは神様だけだ。


平良 師

2016年6月19日 神様からのプロポーズ

2016年07月17日 21時48分19秒 | Weblog
神様からのプロポーズ

 今月西南学院大学の春季キリスト教フォーカスウイークの講師として、韓国ドラマ用の作曲をするソン・ソルナム氏をお迎えしました。ドラマの「イ・サン」のストリーを語ってくださいました。
 当時朝鮮人の7割は農奴でした。農奴は農奴とわかる名前がついていたので、身分を変えることができませんでした。抜け出る希望はただ一つです。王様に出会い、その王様の命を救うことです。実話で、ソンヨンさんは小さい時に、同じく子どもだった王様との交流がありました。王様は、大きくなっても、ソンヨンさんを忘れずに、愛していました。ソンヨンさんは王様のために何の助けもしませんでしたが、王様はソンヨンさんにプロポーズをします。ソンヨンさんは繰り返し、ただ「王様!」と答えます。もちろん二人とも、涙いっぱいです。(韓国ドラマだからね。)
 王様はソンヨンさんを愛し、結婚することにしました。それによってソンヨンさんは名前が変わり、農奴から解放されて新しい人生が始まりました。ソンヨンさんは、ただそれを受け入れました。ここに福音があります。神様は、私たち一人ひとりにプロポーズをしています。無条件の愛によって、私たちには新しい将来が与えられ、名前が変わり、「クリスチャン」になります。そして、「主よ!」と答え、喜びと感謝の涙にあふれるのです!


R.ハンキンス 師

2016年6月12日 目くそ 鼻くそを笑う

2016年07月10日 11時37分47秒 | Weblog
目くそ 鼻くそを笑う

 私も結構、せこい釣りをしているので、せこい知事を笑えない。「せこい」を調べてみると、
「けち、みみっちい、ずるい」などとある。私の釣りのどこがせこいかは、後で一例をもってお伝えするが、自分の不名誉なことを暴露するのは、今後、せこい釣りから足を洗うためではなく、せこい知事と私のどこか違うのかを明らかにするためだ。などと偉そうに言っても五十歩百歩。
 せこい知事は、公金や公用車を私的なものに使ったということが非難の的となっている。しかし、法律には触れないという。だからこそ、「せこい」のである。法律に触れないように、しっかりと計算をしつくしているのである。いくら以上は、法律に触れるところは、それより何千円か下回ってセーフとか、バッチリ、法律に触れないようにやってのけているのである。
 だからこそ、第三者を立ててしっかりと調べてもらうなどとも言えたのであろう。ただし、道義的には問題あり、ということだ。私は、「ハイ、おしまい」との合図があってからも、30秒間は釣り糸を垂れている。なぜなら、釣り人らが去ってしまったあとは、お魚さんは安心してエサに食いつく。なぜ、そこまでやるか。それは、一食の足しになるからだ。
 せこい知事は、我々下々とは違うはずだ。庶民には、せこさは生きるために必要。ただ、全財産を献げたあのレプタ2枚の女性の気風の良さも信仰者には欠かせないことくらいわかっている。せこさと信仰は相反するかも、だ。


平良 師