平和1丁目 ~牧師室より~

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会の週報に載せている牧師の雑感

2013年10月20日 祈りの必要性

2013年10月27日 17時09分29秒 | Weblog
祈りの必要性

 数日前、どのテレビ番組であったか記憶にないが、隣国の中国で最近宗教が容認され、広い国であるから地方により違いはあるのかも知れないが、キリスト教も盛況を見ているというニュースが流れていた。しかもバプテスマ(浸礼)が次から次へと、数秒の間に何人もの人が浸礼を受けている場面が流れた。この日だけで60人以上の人たちが受けたと述べられ、全身、浸礼漕に沈められている光景が見られた。
 このことは、大きな現象だと感じた。ひるがえって、日本におけるキリスト教の現実を考えると、私たち自身の取り組みは何か改めなければならないものがあるのではないかと、痛感させられた。最近、筑紫野南キリスト教会の斎藤剛毅牧師が、アメリカのバプテスト派のH・Eフォスディック先生の「祈りの意味」というタイトルの本を刊行された。私たちは、各自の力は弱いかもしれないが、心を一つにして日本の宣教のために祈りを傾ける必要があるのではないかと痛感する。
 折しも、今日はギデオン協会から池田巨さんが証と献金のお願いに来られるが、かつて、アメリカの二人の青年が旅で偶然同室となり、全世界に聖書を広めようという祈りと願いを話し合ったという志を抱いた交わりが、現在のギデオン協会に成長したことを考えると、私たちも小さな祈りであっても、宣教の務めを果たすことが求められていると思うことしきりだ。


松村師

2013年10月13日 日本の宣教の広がりを求めて

2013年10月19日 11時19分18秒 | Weblog
日本の宣教の広がりを求めて

 宮西先生ご夫妻が、富士吉田教会の牧師になられ、昨日就任式が行われた。とてもあたたかな式だったそうだ。そして、今度は、佐藤浩(バンジー)先生が、山梨教会の牧師に就任され、10月から働かれるという。
 あの場所で、かつて当教会の研修神学生として教会生活を共にされた方々が、牧師として招聘され、働かれるのだ。感慨深い。御坂峠を下るとそこは甲府盆地で、春には、赤紫の桃の花が一面に広がっていた。富士吉田が伝道所の頃、毎年3月末には、母教会の山梨教会に、1年間の報告に行ったものだ。母教会の方々は、私の報告を聞きながら、伝道所に与えられた神様の恵みを知って、目を細めて喜んでくださった。
 富士吉田教会時代、いろいろな方々が訪問してくださった。そして、宣教活動を手伝い、励ましてくださった。富士吉田教会での最大の財産は、多くの方々が訪れてくださり、ご奉仕や励ましをいただき、祈ってもらったことだ。それは、教会にとっても恵みだったのだが、今の私の財産であり、神様への信頼の基いになっている。連盟の協力伝道のおかげだと思っている。
 平尾バプテスト教会は、この協力伝道の輪が連合、連盟を超え、超教派的な広がりを持ち始めている部分もある。また、地域への奉仕や協働もなされている。カンボジア、ルワンダ、アメリカなど、国外から受けるものもあって、国際的な広がりも生まれている。当教会の役割は、既に、予想を遥かに超えたものとなっている。


平良師

2013年10月6日 いつも基本に立ち返る

2013年10月12日 11時21分59秒 | Weblog
いつも基本に立ち返る

 これからの平尾教会をどのようにしたらよいかは、皆で話し合って決めていくことである。一人ひとりの考えをお聞きできるならば、それが一番よい。日本に一人でも多くのキリスト者を与えてください、と祈る私たちであるが、このこと一つとっても自明のことではないのだろう。
 教会は、イエス・キリストの教会であって、私たちのものではない。イエス様が大事にされてきたことを大事にし、望んでおられたことを果たしていく。キリストのために生きるという姿勢を失うならば、教会もまたサロンと化す。私たちの伝えるべきは、イエス・キリストの十字架と復活、神様の無条件の愛。そして、このイエス様に従っていく人々を、キリストのもとに招き、導くという使命である。
 教会は、教会の外にいる人々を教会に招き、イエス・キリストに従う教会の群れの一員となるようにお奨めをする。それから、その人をイエス様の弟子として訓練すると同時に、神に仕え、他者に仕える者として育て、最後には、イエス・キリストを伝える者にまで至るように整えるのである。
 教会を作っていくという視点で、イエス様の御言葉をみていくと、イエス様が私たちに大切な掟として伝えたのは、神様を愛し神様に仕えること、それから、人を愛し人に仕えること、そして、ご命令は、人々をイエス様の弟子とすること、洗礼を施し、イエス様が命じたことをすべて守るように教えることだった。教会形成の基本だと考えている。


平良師

2013年9月29日 青野協力牧師定年退職記念講演と大討論会を終えて

2013年10月05日 21時25分34秒 | Weblog
青野協力牧師定年退職記念講演と大討論会を終えて

 私は、キリスト教の伝統的な教理を信じているおそらく平均的な牧師である。青野先生は、新約聖書学で特にパウロを研究されてきた学者だ。参加された方々も、2時間の講演とそのあと3時間にわたる質疑応答で、かなりのことを今回理解されたのではないだろうか。
 青野先生には、前の週には、3日間の東日本大震災の被災地支援をめぐる宣教フォーラムでの発題のご奉仕、その後の2日間の日本新約聖書学会での会長としてのお仕事など、多忙で大変お疲れのところ、前日の執事会なども含め、これは過重労働もいいところであっただろうに、よく耐えてくださり感謝申し上げたい。
 私は、司会を務めさせていただくこともあり、改めて先生の著書を読んだ。そして、講演を聞き、先生が研究の結果、たどり着いておられる現段階でのお考えを五分の一くらいは理解できた気になった。すごいことをおっしゃっておられると思った。これでまたまた私の自由と福音宣教の範囲が広がった。
 平尾バプテスト教会は、他教会に比べると非常に自由な空気があるが、これは、青野先生の存在が大きな役割を果たしていることをおぼえておきたい。青野先生の語られている福音理解は、贖罪論一辺倒ではない幅広いものである故に、日本人には受け入れられやすいのではとの意見もあった。日本にキリスト教が広がらないことを憂えてきた私は、ほんとうにそうなのだろうかと思うと同時に、もしそうならと期待のような感情も湧いてきた。


平良師