平和1丁目 ~牧師室より~

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会の週報に載せている牧師の雑感

2006年9月17日 ご高齢の方々に…趣味をどうぞ

2007年04月30日 11時56分02秒 | Weblog
 ご高齢の方々に…趣味をどうぞ

 世には「釣りバカ」という言葉がある。これは何ごとにもあって、釣りだけに限らない。しかし、今日は私にかかわることだけにする。それで、この言葉の定義をしたいと思う。
 おそらく、あなたの好きな趣味や応援している何かと相通ずることだろう。釣りバカとは、釣りの話になると、待ってましたとばかりにうれしそうな顔になり、目の輝き方がらんらんと増してくる人のことを言う。
 うーん、なるほど。それから、釣りのことを思うと、いてもたってもおれない人をいう。悲しくなるほどにすべてのことを忘れ、釣りのことだけを考えて、駈けずり回っている人のことをいう。のんびりと釣れようが釣れまいが、釣り糸を垂れている人をみて、あれが釣りだと思っている人がいるが、それは違う。時代劇などの、池で釣り糸を垂れている侍をイメージしているのではあるまいか。
 釣りバカは、朝の早い時間だろうが、真夜中だろうか、仕事の疲れがたまってたまらない、そういう状況にあっても、でかける人であり、たかが遊びだが、結構、気合が入っている人なのである。
 ちなみに、とてもまじめな人が多い。Y.Y牧師、K.K牧師がしかり。釣り場について、いよいよそのときがきたら、焦ってしまって、糸も竿穴に通らない。大物がかかって、そのやりとりをしているときなど、お腹の底から笑いがこみ上げてきて、さあこい、さあさあ、と幸せいっぱいになる人だ。ご高齢の元気な人には趣味を持っている人が多いと聞く。


平良 師

2006年9月10日 加藤博美さんを偲ぶ

2007年04月29日 14時25分06秒 | Weblog
   加藤博美さんを偲ぶ

 先週の説教の冒頭で申し上げたように、加藤博美姉が天に移されてしまって、とても寂しい思いをしている。にもかかわらず世界は何事もなかったかのように動いているということが、いっそうその寂しさを募らせる。
 加藤さんを病院に見舞ったとき、「どうしても涙は出てきてしまうのですが、でも心ではすべてを神さまに委ねていて意外と平静なのですよ」と微笑まれ、すでに覚悟は出来ているご様子だった。
 加藤さんは私の新約聖書ギリシア語クラスに参加されるよりも前から、すでにかなりよくギリシア語を理解されていて、「主の祈り」も上手に暗記されていた。その上で、私のクラスではその「主の祈り」の一語一語がどのような文法的な形態になっているのかを、しっかりと学ばれたのだった。
 病床で「主の祈り」をギリシア語で祈っています、とおっしゃるので、加藤さんはそのギリシア語一語一語の意味内容をよく考えることができるのですから、そのようにして祈りましょうね、と申し上げたのだった。
 自らの死を前にして「御名があがめられますように」、また「御心の天になるごとく、地にもなさせたまえ」などと祈るのは大変なことであっただろうが、神さまへの静かな信頼の中で、彼女はそう祈ったのであろう。
 そして、これも先週の説教で申し上げたように、「われらの日用の糧を今日も与えたまえ」と訳すのは誤訳で、新共同訳のマタイ6:11が正しく訳しているように、「今日与えたまえ」とならなくてはならないのだが、加藤さんも最後の日々には、きっとギリシア語で正確に、「今日も、明日も、明後日も」ではなくて、「今日与えたまえ」と祈られたことだろう。


青野 師

2006年9月3日 冥王星が惑星でなくなった

2007年04月28日 12時42分58秒 | Weblog
  冥王星が惑星でなくなった

 冥王星が、惑星でなくなった。そもそも惑星の定義というものがこれまで曖昧であって、それを学者たちの会議で惑星の定義を定めたら、それに冥王星が当てはまらなくなったからだという。
 アメリカ人の学者が、この惑星を発見して、プルートと名付けた。その名前はあのディズニーの耳の長い犬のキャラクターの名にもなった。天体愛好家には、冥王星が惑星でなくなったら寂しい、という人々も少なからずいるようだ。
 そこで思った。何で、地球以外に星などというものがあるのだろう。太陽はないと困るが、それ以外の無数の星は何のためにあるのだろう。今度の夏期キャンプで、それに対して、幼稚科のもえちゃんが、「お空が、元気になるために」と答えてくれた。これは、とてもステキな答えではないか。
 私は、人間を慰めるために神様はこうして無数の星たちを創造なさったと答えようと考えていたのだが、もえちゃんの答えの方が詩がある。「神様が造られた自然とその中の私たち」というのがキャンプのテーマであったが、夜空の星たちを見て、慰められるのは、人間だけではないかと思うのだ。
 そもそも他の動物のどれくらいの種類が、星をしっかりと判別できるだろうか。やはり、人間への神様の思いがあって、あの無数の星は造られた、そう思えて仕方がない。
 もちろん、星誕生のメカニズムには諸説がある。それにしても、美しい夜空は、今宵も私たちを慰め、神様へと心を向けさせるのは確かだ。


平良 師

2006年8月27日 韓国大田の牧師たちとの懇談会から

2007年04月27日 13時36分11秒 | Weblog
 韓国大田の牧師たちとの懇談会から

 8月24日に行われた韓国大田の牧師たちとの懇談から、あちらの牧師たちの言葉を幾つか列挙しよう。

「御言葉が中心となるように努力している。」
「祈りはベースにあったが、具体的なプログラムによって、教会は伸びた。」
「キリスト者は、自由で、解放された者としての生き方が他の人々に対して証になる。」
「バプテストの教会は万人祭司だから、あまりに強力なリーダーシップを発揮しようとする牧師は、その群れからはじき出されることが多い。」
「讃美と祈りだけの礼拝を週に一度行っている。」
「近年の個人主義的な方々の壁を打ち破るには、セルグループの教会形成が有効。」
「障害者への伝道は、彼らに仕えることである。」
「青少年の伝道においては、彼らと共に生活をおくることが大切。スポーツなどを通して伝道することもある。」
「子どもたちが、成人するまで信仰を保ち続けるためには、聖霊の体験が必要だと思う。」
「各個教会主義だから、他教会への干渉はできないが、祈りにおぼえたり、大きな教会が小さな教会を助けることはしている。」
「食べながらのプログラムは楽しいし、意志の疎通を図る上で大事。」

 以上のように、やっていること、考えていることが、日本のバプテストの教会とあまり差がないことがわかった。そしてまた、この数年は、韓国のキリスト教会も伸び悩んでいるという点も似ていた。ああ、バプテストの教会の仲間だとつくづく思った。他派ではない、これらの方々は確かにバプテストだった。


平良 師

2006年8月20日 教会がなつかしい休息の場所

2007年04月26日 17時44分26秒 | Weblog
 教会がなつかしい休息の場所

 教会があることがうれしい。休暇を利用して、初めは鹿児島に帰る予定でいたが、こちらが連絡をする前に、母から、14日に私の妹一家と一緒に福岡に来る予定であるからよろしく、と先を越された。そう言えば、毎年、彼らはお盆の時期に大分の姉の家に行くことにしていて、今年は、その帰りにこちらにも寄りたいとのことだった。
 私たちが鹿児島でゆっくりさせてもらおうと思っていたのに、神様は、日ごろの親不孝を見逃してはおられなかった。それで、12日に大分の姉の家で合流したあと、翌日には帰福して14日に備えることにした。
 13日は、別府伝道所の礼拝に出席した。アジアからの学生を受け入れている大学が近くにあり、そこの大学生はじめ若い層の方々を配慮して礼拝をされているように思えた。礼拝前の10分間はワーシップソングを讃美。説教は、吉田先生が、日本語でなさり、プロジェクターで英訳が映し出された。
 報告のときには、今週バプテスマ記念日を迎える方が、証をなさり、その方のことを吉田先生が祈られた。これはいいことだなあ、と思って帰ってきた。
 この休暇中、いくつかの出来事があったが、別府伝道所の礼拝に出席する機会を与えられたのが休息となった。自分の教会の礼拝に出られなくても、私たちキリスト者には、その行った先々で出席できる教会があることがうれしい。
 しかも、初めてでありながら、何かなつかしく、休息が与えられるのは、キリストの教会だからだろうか。


平良 師

2006年8月13日 教会の成長

2007年04月25日 17時41分24秒 | Weblog
     教会の成長

 目に見える教会の成長の形としては、人数や財政面などがあげられる。これは、神様のお恵みによるものである。そして、教会が成長している時には、何かよい材料や要因がそこにはある。
 カルト教団などは、マインドコントロールにより集団を拡大させるが、普通の教会の成長の要因は、礼拝の内容が充実しているとか、教会学校がおもしろいとか、交わりが温かい、奉仕活動が楽しい、自分を受け入れてくれる人や場所がある、また、信仰が励まされたり強められる、ある目標に向かって心が一つになっているなどであろう。
 数や量で成長のすべてを計ることはできない。個々人の目に見えない霊的な成長もあるからだ。しかし、数や量は成長の一つのバロメーターとはなりうる。だから、教会の内実が整ってくれば数や量に反映される。
 その点、私たちの教会は、この数年、数や量において成長のあとを見る。いろいろなよい要因を神様によって与えていただいている。神様の大きな恵みだ。
 教会は、キリストの教会であるから自ずと成長する。これは、私たちが当然持つべき確信である。そうならないのは、どこかでこのキリストの働きを私たち人間が、妨げている可能性がある。
 福音の種だから、それは成長し、必ず大きな実りを生む。私たちは、キリストご自身の成長を楽しみにし、その過程に参与させられていることに喜びを見出す。キリストの体なる教会の成長は、私たちではなく、キリストの成長なのである。


平良 師

2006年8月6日 いと静けき港

2007年04月24日 14時39分58秒 | Weblog
    いと静けき港

 一度も礼拝に来ることはできなかったけれど、キリストによる救いに与る決心をされたのは、柴田兄を通して福音を語られた神様が、最後に波多江兄を捉えてくださったからに他ならない。私たちはこの一事の中に、彼の人生に注がれた神様の愛と恵みの集中を見るのである。
 波多江兄は、2003年11月に食道癌を患ってからというもの、この3年近く、闘病生活をなさってきた。いわば、それまでの人生にも幾多の危機や苦難があったことだろうが、この3年間はそのなかでも、人生における最大の嵐だったに違いない。
 新生讃美歌520番に、「人生の海のあらしに」というのがある。とても有名な讃美歌だが、
 その1節は「人生の海のあらしに/揉まれきしこの身も/ふしぎなる神の手により/命びろいしぬ/いと静けき港に着き/われはいとやすろう/救い主イエスの手にある/身はいとも安し」。
 7月の13日、波多江兄は、バプテスマを受けられた。その直後、「これで安心です」、と言われた。しかも、お連れ合いも一緒にバプテスマに導かれたから、さらにうれしかっただろう。
 彼は、「いと静けき港に着いた」。それはまずはホスピスだったかもしれない。そして、次に真実の港に着いたのだった。イエス・キリストという港である。
 それは、イエス・キリストの御手のなかに自分の身を委ねるということであった。また、その港は、今まで嵐の真っ只中だったのに、春の海のような静かさと温かさ、安らぎに包まれていることだろう。


平良 師

2006年7月30日 夕焼けに

2007年04月23日 13時12分29秒 | Weblog
     夕焼けに

 梅雨が明けた。いかにも梅雨明けを思わせる今日の天気だった。それにしても大量の雨が降った。土石流が発生し、がけ崩れが起こり、洪水となり、さんざんのこの数週間だった。被害に遭われた方々のことをお祈りしたい。
 今日は久々の夕焼けだ。予報は明日も晴天という。何もなかったように、あの夏の強い日差しが戻ってきて、蝉が鳴き、うだるような日々がやってくる。それから、甲子園、花火、祭り、いつもの夏が始まる。今週から8月に入る。時は、どんどん過ぎていく。ちょっと立ち止まることも、許されてはいないかのように。
 しかし、夕焼けは、そのような私たちへ、立ち止まりなさい、空を見上げなさいよ、しばし忘れなさい、心を落ち着かせて、と語りかけてくれる。自然は、ありがたい。刻々と色合いが変わっていく西の空に心が吸い込まれる。ずっと見ていても飽きることはない。
 しかし、その夕焼けを与えてくれるのも神様、大量の雨を降らせるのも神様なのである。自然はすばらしくも恐ろしくもある。疲れているとき、神様が創造なさった自然が安らぎを与えてくれる。
 美しい地球、美しい日本、私たちが気をつけて、あたりを見回すならば、いくらでも遭遇できる自然がある。疲れたとき、人ではなく、神様の造形物が与えてくれる安らぎがある。
 夕焼けも終わり、暗くなった海へ明かりを灯して漁に出かけて行く船がある。沖には漁火。ふっと、私も行きたいと思う。平和、安らぎ、静寂を思う。


平良 師

2006年7月23日 温暖化

2007年04月22日 15時40分23秒 | Weblog
      温暖化

 鹿児島で育った私は、青年の頃まで、どうしてあの暑さをしのいでいたのだろうと不思議でならない。湿度などは、福岡よりもずっと高かったのに。
 蚊帳をつり、行水をして、汗をとってから、寝床についた。団扇だけだったが、今ほどに、寝苦しくて眠れないということはなかった。しかし今、鹿児島の実家では、一日中クーラーをつけているという。我が家でも、昨年まで、クーラーをつけるのは当たり前だった。
 ところが、今年になって、妻が、省エネ化と健康のためと、クーラーを使わないことを主張し、例のごとく、実力行使の憂き目を他の家族は被っている。しかし、不思議なことに、慣れるとこの方がいいようにも思う。昨晩などは、結構涼しい風が入ってきたのである。
 しかし、35度とかという温度が平気で観測されるようになった昨今である。鹿児島にいたとき、33度と聞くと、わあ暑かったんだなあ今日は、といった感覚だったが、33度など、今やどこでも、いつでも観測されるくらいの温度になった。
 だから、このようなご時世に、クーラーを使わないなどというのは、時代に逆行している。なんで今頃になってと思う。しかし、妻が右と言えば、たとえ、誰かがぐずぐず言っても、いつの間にか右になっているのが、平良家なのである。
 そして、妻が熱から冷めたとき、またいつもの平安がもどってくるのも毎度のこと。妻の温暖化は、長くて1ケ月である。地球の温暖化もこれくらいであって欲しい。


平良 師

2006年7月16日 ジダンは最優秀選手

2007年04月21日 22時42分23秒 | Weblog
   ジダンは最優秀選手

 サッカーワールドシリーズのフランス対イタリアの決勝戦を観た。フランスチームの将軍の異名をとるジダンが、突然イタリアの選手の胸元に頭突をして、レッドカードとなり途中退場となった。
 試合は、1対1の引き分けとなり、PK戦の末、イタリアが優勝した。あのままジダンが出場し続けていたらどうなっていたかわからない。しかし、最優秀選手賞は、ジダンに輝いた。イタリアの新聞は、それまでのプレーが光っていてもあのように暴力行為をして退場処分になったジダンが、どうして最優秀選手なのか理解できないと憤慨し、一面に「恥と共に去りぬ」と揶揄した。
 ジダンは、この大会を最後にサッカー選手を辞めると告げていたからだ。しかし、多くの人々は知りたがったはずだ。ジダンはどうして、頭突などしたのだろう。レッドカードになるかもしれないと思わなかったのだろうか。それとも、退場処分されても構わないから、頭突でもして懲らしめないと気がすまなかったのだろうか。
 イタリアの選手はジダンにこう言ったらしい。「アルジェリアのテロリスト」。ジダンは、移民で、貧しい家に生まれ育ったという。彼は、このとき、フランスの勝利など、どこかに吹っ飛んだ。そして、自分が本当は何者でどこに立っているかに気づき、正直に振舞ったのだった。
 私たちも、本当の故郷は天国であると何かのきっかけで、はっと思えるときが来る。そのときは世のしがらみから解き放たれて、主のもとに帰ろう。


平良 師