平和1丁目 ~牧師室より~

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会の週報に載せている牧師の雑感

2012年6月10日 主の晩餐式への参与

2012年06月11日 22時18分07秒 | Weblog
主の晩餐式への参与


 日本キリスト教団では、現在ひとりの牧師の「免職」という「戒規処分」をめぐって、東京地裁で裁判がおこなわれている。東京の元紅葉坂教会牧師の北村慈郎先生が、「聖餐式」(主の晩餐式)をオープンな形で、すなわちまだ洗礼を受けていない者もそれに参加できる仕方で執行した、ということを、教団の常議委員会が教団の「教憲教規」に違反する、と判断して、多数決でこの処分に及んだのである。
 もしもそのような「主の晩餐式」の執行の仕方がいけないから免職だ、ということになれば、平尾教会の平良牧師も、松村協力牧師も、そして私も、牧師を辞めなくてはならないことになる。もちろんバプテストの群れは、教団のような「教憲教規」を持ってはいないし、また各個教会主義のもとでそれぞれの教会の決断を互いに尊重するから、そのような「処分」が権力を持った委員会によってなされるなどということはありえない。
 北村牧師は「考えの違う者を無理なやり方で切り捨てて排除することは、その人の尊厳を侵している」と訴えているのだが、常議委員会側は、「裁判の本質は、未受洗者への配餐の是非に尽きる」として、「教憲教規」の規定が誤りのない聖書の教えに基づいていることを主張している。
 しかし、聖書の解釈の是非を、世俗の裁判所が判断できるとでも考えているのだろうか。イエスは誰をも分け隔てすることなく、ともに食事をなさり、すべての者が無条件に神によって愛されていることを宣言してくださったのではなかったか。だからこそ私たちは、その福音を受け入れて信仰を告白し、バプテスマを受けるのではないのだろうか。それは「主の晩餐式」に与るための資格のようなものではないはずである。他教派のことではあるが、権力を持った教団執行部が、イエスの福音の根源に立ち返ってほしい、と切に願うものである。


青野師

2012年6月3日 福音を伝える行為とは

2012年06月11日 21時43分31秒 | Weblog
福音を伝える行為とは


 大名クロスガーデンにおける活動は、神様が私たちの教会に託されたヴィジョンとして私たちは受け止め、このヴィジョンの実現のために事を成そうと努めている。一つ一つの課題に真摯に取り組みながら事を進めていきたいと思う。粘り強くこつこつと、そして、あるときには大胆な行動も必要となろう。私たちは、福音宣教のために事を成そうとしているのである。
 この目的を私たちは常に頭において、思いを集中したい。大名の街や現代の若者事情の研究もおろそかにはできない。ところで、現代ほどボランティア活動の重要性を説いている時代もあるまい。それは、人間教育という視点から叫ばれている。助けを求めている方々へ、無償で支援活動を行うのである。
 キリスト者にとって、イエス・キリストを宣べ伝えていく行為は、ある意味では、ボランティア活動の最たるものであって、キリストが十字架におかかりになり、復活なさったときから、私たちの先達は、この伝道というボランティア活動を命にかかわる根源的なこととして、だから命がけで取り組んできた。
 私たちは、そのことを継承している。私たちは救いに与った方々から、「真の命をいただくことができました、感謝します。」と、きっと言っていただけるものと信じて、伝道を行っている。何事かを成そうと思えば、批判あるいは非難に晒される覚悟が必要である。従来では考えられなかった方策もDCGでは、試みられることだろう。


平良師