平和1丁目 ~牧師室より~

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会の週報に載せている牧師の雑感

2010年2月28日 教育の大切さ

2010年03月21日 14時03分49秒 | Weblog
      教育の大切さ

 教育者でない私が教育を論じることはおこがましいことであるが、次の時代の日本を築く人たちが、科学的にしろ、精神的な知識にしろ、豊かな教育を受けなければならないことは言うまでもない。日本には、昔から教育を重んじる慣習はあったと思われるが、戦後、貧困を味わった年月が続き、物(と金銭)が生活の中心になっていた間が問題であったのかもしれない。今から40年以上前に出版されたコメニュース(鈴木秀勇訳)の世界教育学選集の中に書いてあるいくつかを紹介してみよう。

 彼は細々した知識の教え方を述べている。膨大な内容だが、知識、技術、言語、徳行、敬神をあげ、一つにまとめており、平易に着実に敏速にと言っている。そして教育の始まりの知は心(精神)でものを見ることが重要だとしている。そして根底に神をおいていることが注目される。

 少年期、青年期の教育に注目し、子どもの能力に信頼をおいている。また「母親学校の指針」の中に幼児の健康と鍛錬についても記している。そして教育は、人びとに喜びを与えると同時に人生に役立つ言葉を語ることだと述べている。わかり易い、楽しい教育をめざして私たちも教会学校を成長させていきたいものです。


松村師

2010年2月14日 建物の伝道力

2010年03月18日 00時35分31秒 | Weblog
     建物の伝道力

 建物も伝道するというのは本当だろうか。そうだと思う。スペインのサクラダファミリアは、まだ、完成もしていないのに、毎日のように多くの人々が見学に訪れている。ガウディーの意志を継いで、息の長い建築作業を人々が行っているのだ。何かが人々の心を惹きつける。そして、神様へと心が向けられることだろう。
 平尾教会を訪れる人々は、この建物のことを褒めてくださる。落ち着いた雰囲気が感じられる。1階が全体的に木質の感じであるために、ぬくもりを与えている。瓦もシックで、細長い二重窓が教会らしさをかもし出している。ステンドグラスからもれてくる光のハーモニーが花台の生花に懸かっているときには、えもいわれぬ美しさである。建物が完成して15年が経過した。礼拝が100名、多目的ルームで昼食をとるのは70~80名くらいである。
 2007年にこうした状況を迎えてから3年が経過したが、礼拝出席者の数は変わらない。建物の許容量ほどになって、変わらないのである。しかし、最近、多目的ルームで礼拝を受けられる方々もおられるようで、若干だけれども、礼拝人数も増えてきたように思う。
 建物が、礼拝や活動に与える影響は、デザインや色合いなど、雰囲気がかもし出すものもあれば、機能的かどうか、バリアフリーは考慮されているか、使い易さ、音響などに関するものもある。平尾教会の礼拝堂をはじめとするこの建物は、多くのものを満たしており、確実に伝道に寄与してきたと思う。


平良師

2010年2月7日 カレーを食べながら

2010年03月14日 16時54分58秒 | Weblog
     カレーを食べながら

 大名の土地を久々に見に行った帰り、近くのお店でカレーを食べながら考えた。ここの土地に合う伝道の方法がやはりある。ここは、普段もまた集会が可能な地域だ。月曜日から日曜日まで。朝から晩まで。365日OKである。仕事をしている人々、遊びに来ている人々、買い物客、海外からの人々、若者たち。つくづくと私たちの教会に与えられた主からの使命を思わないではいられない。
 もし、私たちが行おうとしている伝道の方法がこの地域に合うものであるなら、大勢の人々が教会を訪れることになる。おしゃれな建物が必要かもしれない。憩える空間。お茶を飲みたくなるような空間。音楽もできるような空間。卓球台を置くなどしてもいいかもしれない。若者たちがワイワイガヤガヤと集まり、イエス・キリストの福音に触れて熱くさせられ、新しい価値観をもって社会へ出ていく、そのような場所にならないだろうか。
 TBCでは、教会近くのファミリーレストランや喫茶店で若者たちがスモールグループをしていたが、ここは町並みに合わせて、教会内にそのような空間を作ることもできる。これから教会員一人ひとりが夢を語り、その夢の集大成が大名会堂(大名クリスチャンセンター)になる。
 2010年度は、行う活動内容をある程度しぼり込み、建物などについても考え始めることになるだろう。大名という街、空気、人々、賑わい、それらに溶け込む建物と集会・活動内容をどこまできっちりと考えられるかだ。


平良師

2010年1月31日 金先生の紹介

2010年03月14日 16時50分10秒 | Weblog
      金先生の紹介

 この原稿が「平和一丁目」に掲載される2010年1月31日には、金 明洙先生が平尾教会で説教をしてくださることになっていますので、金先生のご紹介をも兼ねながらこの文章を書いています。金先生は韓国釜山にある慶星(キョンソン)大学神学部教授でいらっしゃいます。1948年生まれで、最初は大学で機械工学を学ばれましたが、のちにソウルの韓神(ハンシン)大学神学部で神学を修められました。神学生の時代に韓国民主化闘争にコミットされたために、四年半もの長きに亘って投獄されました。
 しかし先生は獄中で、中国の古典その他を徹底して学ばれて、聖書神学に新しいアプローチを導入されることについて思索されました。1985年から6年間ドイツのハンブルグ大学神学部に留学されて、イエスの語録集である「Q資料」の担い手を韓国の「民衆(ミンジュン)の神学」の視点から解明しようとする博士論文を執筆され、それはドイツで国際Qプロジェクト叢書の一冊として出版されました。
 釜山ユニオン神学校教授を経て、現在は慶星大学神学部教授(新約学)で、前年度まで神学部長を務められました。今学期は西南学院大学の国際交流校である慶星大学からの交換教授として西南神学部に来校されています。私は2008年3月末に慶星大学を訪問して金先生と神学部長同士で交流をさらに深めていくことについての話し合いをしたのですが、交換教授としてお互いに行き来しましょうとの約束は、まず金先生の来日でさっそく実現することができました。
 先生の韓国語の著書は20冊を超え、先生の恩師で私も20年ほど前にその謦咳に接することをゆるされた韓国民主化闘争の指導者・故安柄茂教授の思想と神学についての重要な著書もあります。
 今学期は「史的イエス」についての特別講義を担当してくださいましたが、「民衆の神学」から捉えられた「イエス像」は極めて魅力的なものでした。先生は授業で、韓国の禅における瞑想音楽などを観賞し、メディテーションそのものをも導入されて、厳密で学問的な史的再構成と信仰的な霊性との統合を図ろうとされました。観賞した音楽の中には、なんと、なんと、さだまさしと楊姫銀さんのデュエットの「人生の贈り物」も含まれていました。先生ご自身ギターを素敵に演奏され、弾き語りで「マイウェイ」やビートルズの「Let it be!」をも歌ってくださいました。
 先生の生き方は、「民衆の神学者」を標榜する方にふさわしく実に質素なもので、こちらは豪華な日本食をご馳走したいのに、「シンプルに、シンプルに」とおっしゃり、「私はそばが一番好きです」と言われます。そんな金先生の説教に平尾教会で直接ふれることをゆるされて心から感謝しています。先生の言葉にしっかりと耳を傾けましょう。