幼児教育について
人間の教育は、生後すぐから始めるのが大切だと私は考える。いや、生れる前から神に祈りつつなされるべきではないだろうか。今日本では、政府が教育制度を変えようとしている。
「真に大切なことは何なのか」が充分に審議されたのか、不安な気持である。私が述べるまでもなく、ごく普通の、明るく楽しい生活をする、自由な思想を共有し、礼儀をわきまえ、逞しく自分の人生を歩む人、他人(の気持)を尊重する人間が、世界共通の望みではないだろうか。更に平和とギセイ的奉仕が理想であろう。
キリスト教の精神にもとづき、日本最初の婦人記者・羽仁もと子女史(1873-1957)は1903年(明治36)「婦人の友」を創刊し、1921年(大正10)自由学園を創立した。彼女は幼児教育にも強い関心を持ち、全国各地に友の会幼児生活団と称する幼稚園を作った。
福岡友の会幼児生活団は1943年(昭和18)4月に始められ、63年間続けられたが、時代の移り変わりで現在小笹にある生活団は閉鎖されることとなった。昨日3月24日、初代からの指導者・石賀信子さんをはじめこれまで関わりのあった方々が集まり、感謝閉団式が催された。
この幼稚園がどれだけ他のそれと違ったものであったかはわからないが、特別な形でこの世に問いかけるものはあったように思われる。その一つ二つをあげれば、子供の能力を自由に伸ばそうとする、祈り、躾け(礼儀作法)、親が子供の教育に関わりを深くもつべきことなどがあげられよう。「婦人の友」という雑誌はすでに創刊100年を越えているが、真の平和をつくり出す歩みを願い、一人、また一つの家庭からの小さな提案がとりあげられ、広がることにより、それがやがて地域や社会を変える力となり得ると信じて、努力が重ねられている。
羽仁もと子さんは、友の会幼児生活団でも自由学園でも、3つの標語を中心にしている。それは、「思想しつつ、生活しつつ、祈りつつ」である。頭脳を使い、体を動かし、霊の交わりを覚えるのが大切だといいきかせている。
神の前にへりくだりながら、親も教師も子供も、自由に楽しく、汗を流し、お互いの人格を大事にし、人間の交わりを豊かにして成長する家庭、学校を目指して進みましょうと今もよびかけている。
自己を過大評価して、自説に固執する教育者、政治家からは、よい国家を望むことはできないのではないだろうか。
松村 師
人間の教育は、生後すぐから始めるのが大切だと私は考える。いや、生れる前から神に祈りつつなされるべきではないだろうか。今日本では、政府が教育制度を変えようとしている。
「真に大切なことは何なのか」が充分に審議されたのか、不安な気持である。私が述べるまでもなく、ごく普通の、明るく楽しい生活をする、自由な思想を共有し、礼儀をわきまえ、逞しく自分の人生を歩む人、他人(の気持)を尊重する人間が、世界共通の望みではないだろうか。更に平和とギセイ的奉仕が理想であろう。
キリスト教の精神にもとづき、日本最初の婦人記者・羽仁もと子女史(1873-1957)は1903年(明治36)「婦人の友」を創刊し、1921年(大正10)自由学園を創立した。彼女は幼児教育にも強い関心を持ち、全国各地に友の会幼児生活団と称する幼稚園を作った。
福岡友の会幼児生活団は1943年(昭和18)4月に始められ、63年間続けられたが、時代の移り変わりで現在小笹にある生活団は閉鎖されることとなった。昨日3月24日、初代からの指導者・石賀信子さんをはじめこれまで関わりのあった方々が集まり、感謝閉団式が催された。
この幼稚園がどれだけ他のそれと違ったものであったかはわからないが、特別な形でこの世に問いかけるものはあったように思われる。その一つ二つをあげれば、子供の能力を自由に伸ばそうとする、祈り、躾け(礼儀作法)、親が子供の教育に関わりを深くもつべきことなどがあげられよう。「婦人の友」という雑誌はすでに創刊100年を越えているが、真の平和をつくり出す歩みを願い、一人、また一つの家庭からの小さな提案がとりあげられ、広がることにより、それがやがて地域や社会を変える力となり得ると信じて、努力が重ねられている。
羽仁もと子さんは、友の会幼児生活団でも自由学園でも、3つの標語を中心にしている。それは、「思想しつつ、生活しつつ、祈りつつ」である。頭脳を使い、体を動かし、霊の交わりを覚えるのが大切だといいきかせている。
神の前にへりくだりながら、親も教師も子供も、自由に楽しく、汗を流し、お互いの人格を大事にし、人間の交わりを豊かにして成長する家庭、学校を目指して進みましょうと今もよびかけている。
自己を過大評価して、自説に固執する教育者、政治家からは、よい国家を望むことはできないのではないだろうか。
松村 師