平和の人イサク
アブラハムが「信仰の父」と呼ばれるのに対して、イサクは「平和の人」です。なぜ、平和の人かというと、争いを回避するからです。特に、この井戸をめぐる争いについては、井戸の所有は正当な権利であるにもかかわらず、それを放棄していくのです。
イサクは、ゲラルの地をアビメレクから追われます。アビメレクの言い分は、「あなたは我々と比べてあまりに強くなった」ということでした。そこで、イサクは、その地を去り、谷の方へ向かいます。そこにもアブラハムがかつて掘った井戸で、ペリシテ人にふさがれてしまった井戸がありました。
イサクは、その井戸を掘り直し、使えるようにします。ところが、その土地の羊飼いたちがきて、その水の権利を主張しました。そこで別にまた井戸を掘ります。そうすると、そこでまた争いが起こります。それでさらに別の井戸を掘るのでした。
そして、三度目に掘った井戸にして、ようやく争いは起こらなかったのです。イサクはその井戸にレホホドという名をつけて、「主は我々の繁栄のために広い場所をお与えになった」と言って感謝したのでした。しばらくして、アビメレクが友好条約を結ばないかと言ってきました。
これもまた、勝手な話で、イサクをゲラルの土地から追い出しておきながら、イサクの勢力が大きくなってきたために、脅威を感じ、友好関係を結ぼうとしたのでした。アビメレクは、イサクに対しても主が共におられ、祝福しておられることを知りました。
これまで、ひどい仕打ちをしてきたアビメレクに対して、イサクは、彼らのために祝宴を開き、手厚くもてなすます。そして、「彼らは安らかに去って行った」のでした。その日に、井戸を掘っていたイサクの僕たちが帰ってきて「水が出ました」とまた報告します。
彼は、争いを好まず、敵の都合のいいように言い負かされ、行動してしまうようなお人良しでした。しかし、主はそういう彼を守り、祝福なさったのです。
平良 師
アブラハムが「信仰の父」と呼ばれるのに対して、イサクは「平和の人」です。なぜ、平和の人かというと、争いを回避するからです。特に、この井戸をめぐる争いについては、井戸の所有は正当な権利であるにもかかわらず、それを放棄していくのです。
イサクは、ゲラルの地をアビメレクから追われます。アビメレクの言い分は、「あなたは我々と比べてあまりに強くなった」ということでした。そこで、イサクは、その地を去り、谷の方へ向かいます。そこにもアブラハムがかつて掘った井戸で、ペリシテ人にふさがれてしまった井戸がありました。
イサクは、その井戸を掘り直し、使えるようにします。ところが、その土地の羊飼いたちがきて、その水の権利を主張しました。そこで別にまた井戸を掘ります。そうすると、そこでまた争いが起こります。それでさらに別の井戸を掘るのでした。
そして、三度目に掘った井戸にして、ようやく争いは起こらなかったのです。イサクはその井戸にレホホドという名をつけて、「主は我々の繁栄のために広い場所をお与えになった」と言って感謝したのでした。しばらくして、アビメレクが友好条約を結ばないかと言ってきました。
これもまた、勝手な話で、イサクをゲラルの土地から追い出しておきながら、イサクの勢力が大きくなってきたために、脅威を感じ、友好関係を結ぼうとしたのでした。アビメレクは、イサクに対しても主が共におられ、祝福しておられることを知りました。
これまで、ひどい仕打ちをしてきたアビメレクに対して、イサクは、彼らのために祝宴を開き、手厚くもてなすます。そして、「彼らは安らかに去って行った」のでした。その日に、井戸を掘っていたイサクの僕たちが帰ってきて「水が出ました」とまた報告します。
彼は、争いを好まず、敵の都合のいいように言い負かされ、行動してしまうようなお人良しでした。しかし、主はそういう彼を守り、祝福なさったのです。
平良 師