平和1丁目 ~牧師室より~

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会の週報に載せている牧師の雑感

2004年8月1日 平和の人イサク

2007年01月01日 22時47分37秒 | Weblog
    平和の人イサク

 アブラハムが「信仰の父」と呼ばれるのに対して、イサクは「平和の人」です。なぜ、平和の人かというと、争いを回避するからです。特に、この井戸をめぐる争いについては、井戸の所有は正当な権利であるにもかかわらず、それを放棄していくのです。
 イサクは、ゲラルの地をアビメレクから追われます。アビメレクの言い分は、「あなたは我々と比べてあまりに強くなった」ということでした。そこで、イサクは、その地を去り、谷の方へ向かいます。そこにもアブラハムがかつて掘った井戸で、ペリシテ人にふさがれてしまった井戸がありました。
 イサクは、その井戸を掘り直し、使えるようにします。ところが、その土地の羊飼いたちがきて、その水の権利を主張しました。そこで別にまた井戸を掘ります。そうすると、そこでまた争いが起こります。それでさらに別の井戸を掘るのでした。
 そして、三度目に掘った井戸にして、ようやく争いは起こらなかったのです。イサクはその井戸にレホホドという名をつけて、「主は我々の繁栄のために広い場所をお与えになった」と言って感謝したのでした。しばらくして、アビメレクが友好条約を結ばないかと言ってきました。
 これもまた、勝手な話で、イサクをゲラルの土地から追い出しておきながら、イサクの勢力が大きくなってきたために、脅威を感じ、友好関係を結ぼうとしたのでした。アビメレクは、イサクに対しても主が共におられ、祝福しておられることを知りました。
 これまで、ひどい仕打ちをしてきたアビメレクに対して、イサクは、彼らのために祝宴を開き、手厚くもてなすます。そして、「彼らは安らかに去って行った」のでした。その日に、井戸を掘っていたイサクの僕たちが帰ってきて「水が出ました」とまた報告します。
 彼は、争いを好まず、敵の都合のいいように言い負かされ、行動してしまうようなお人良しでした。しかし、主はそういう彼を守り、祝福なさったのです。


  平良 師