平和1丁目 ~牧師室より~

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会の週報に載せている牧師の雑感

2013年3月24日 変わることのない教会

2013年03月31日 22時04分48秒 | Weblog
変わることのない教会

 バプテストの教会運営は、民主的に行われる。民主的というのは、簡単に言えば、多数決で事が決せられるということ。今日は、2013年度の計画について話し合う大切な定期総会である。現在会員には、それぞれに一票が与えられている。議事は、出席教会員の過半数で議決される。
 もちろん、多数で事が決まったからといっても、それが、よりこの時点での選択として適切であるかどうかはわからない。なぜなら、多数決というのが、間違った歩みをするのを私たちは幾度も政治をはじめいろいろな所で見せられている。また、多数で決まったことが、神様の御心であるかどうかはなおさらわからない。
 神様の御心は、少数の意見のなかにあるかもしれない。それでも、バプテストの教会は、決まったことを御心と信じて、あるいは、御心となるようにと祈りつつ、事を進めていくことになる。進めていくその過程において、神様に何度も祈り、御心を求め、神様が喜ばれるようなものに何とか近づくことを願いつつ、事を進めていく。
 そして、決まったら、賛成反対両者が一つになって、事柄に取り組むことになる。教会は、今日、2013年度の歩みを選び取る。大名クロスガーデンの活動が含まれるので、総会で話し合う量も重さも深さも例年とは違う。しかし、教会が、イエス・キリストの教会である限り、キリストの福音を広く宣べ伝え、救いに与る人々が一人でも多く起こされることを希求するという方向性は不変である。


平良師

2013年3月17日 中心にキリストがおられる

2013年03月22日 22時05分23秒 | Weblog
中心にキリストがおられる

 3月9日のジョイシップと10日のアーベントチャペルという二つの大名で始まった礼拝の出席合計人数が、60名を超えた。38名と23名である。両日の教会員は合わせて20名あまりであり、他は、他教会員と求道者、新来者だった。
 私は、この1年のうちに2つの礼拝で、かなりの人数の礼拝をまもられるようになるのではないかと期待している。それなりのものが整えられるなら、大きく成長することだろう。それなりのものとは、第一は、教会の一致した祈りである。第二は、迎えられるだけの受け皿である。受け皿について言えば、大名の建物は、会話を楽しむという点では、知恵を結集した甲斐もあり、明るくテーブルを囲んで談笑できるスペースがある。非常に恵まれている。
 あとは、教会の群れの問題だ。来られた方々のお話を聞いたり、お世話をしたり、何よりも温かな雰囲気がそこに生まれているか、など。大名でもまた、スモールグループや幾つかのミニストリーが行われることになっているので、これらの活動の参加者の中から礼拝につながる人々が生まれることも願う。
 コンサートなどで場所を使用する人々が、礼拝につながることも願う。週に一度は、昼休みにコーヒーを飲みながら、音楽を聞いたり、ビデオを見たり、話を聞いたりとリラックスタイムを提供したい。ここでは、多くの出会いが生まれるだろう。そして、その中心に、イエス・キリストの臨在を感じられるならばうれしい。


平良師

2013年3月10日 頑張らない

2013年03月16日 22時01分13秒 | Weblog
今でしょ!

 ある予備校か塾のCMで、講師の一人が言うのである。「いつやるか? 今でしょ!」。勉強でも何でも、いつでもできると思っていると、いつまでたってもしないということだ。思いついたとき、気付いたとき、できるときにやっておくことだ。年を重ねると、物忘れがひどくなる。
 だから、手帳に記すことを怠ることはできない。何かのことでそのとき連絡を受けたことや約束したことを手帳に書くことができず、後で書こうと思っていると、そのままになってすっかり忘れ、失敗することがある。今、というタイミングを大事にしなければと思うことが多くなった。
 年をとるということは、今というタイミングを、若かったときに比べ、選ばねばならないということではないか。後回しにしてはならない。先延ばししてはいけない。できるものであれば、今、することだ。若いときは、集中して短時間でできたことが、そうはいかなくなる。時間がかかる。であれば、できるときにしておくことだ。
 そう思うようになった。「いつやるか?今でしょ!」。健康のために少し体重を減らしたい、いつやるか、今でしょ!あの人を救いへと導きたい、いつ教会に誘うか、今でしょ!あの人のことを祈ろうと思う。いつ祈るか、今でしょ!何でもギリギリにならないとしないというのが、私の性分だ。明日できることを今日するな、とまでは思わなかったが、何でも先送りにしたい私だった。「今でしょ!」は、実は私には厳しい言葉だ。


平良師

2013年3月3日 3月

2013年03月07日 17時04分59秒 | Weblog
3月

 日本では、3月は、まとめのときであり、始まりの準備のときであり、お別れのときでもある。それでも、お別れは次へ進むためのものであるから、人生にとっては、希望に向かううれしい月であることには間違いない。
 3月は春、息づく季節だ。多くの草花が、一斉に芽吹く。だから、多くの人々は、この季節が好きで、うれしいと思うだろう。枯れた色合いの街並みに色が付き始める。それも一斉に。私は花粉症で、この季節は、憂鬱なのだが、それでも、すっかり滅入ってしまうということはない。やはり、3月は悪くないと思う。3月は新しく何かを考え、それを始められるのがよいのだ。
 リセットは必要だとつくづく思う。2012年度は、めまぐるしくいろいろなことが過ぎ去り、そして、その絶頂が3月にやってくる。2013年度の準備は、非常にあわただしく、恐ろしいほどである。
 平尾と大名の二つで一つの教会をいかにして作っていくのか、そのことについて知恵を出し合わねばならない。教会のすべての知恵を結集しなければならない。わくわくである。教会は、伝道をするときに一番の喜びを味わうことのできる場所だ。
 初めて教会を訪れるその一人を待ちわび、その人が現れると何にもましてうれしい。続けて来てくれるとさらにうれしい。そして、バプテスマまで導かれるならば、それ以上の喜びはないのである。教会はそのことに向けて、一つ一つを準備していると言っても過言ではないであろう。


平良師